第9話 一晩の約束
アンティラスの真面目すぎるが故の爆弾発言から2週間が経った。あれからエイヴァはアンティラスと顔を合わせていない。もともと騎士団所属の騎士と魔塔所属の魔術師では、武具のメンテナンスあるいは事件の共同調査などの際しか関わらない。アンティラスのことだから、都合の良い男として呼んでくれという自身の発言を忠実に守り、エイヴァが呼ばない限り向こうからはやってこないだろう。
(このまま自然消滅してくれればいいんだけど……)
普通の人間なら愛想を尽かして終わりだ。しかし相手はアンティラスである。正直、いつまでも待っていそうだ。
エイヴァはため息を吐いて立ち上がった。
魔塔の個人研究室に詰めて5時間。一段落したので、そろそろ休憩しても良いかもしれなかった。
エイヴァの休憩はもっぱら気分転換か睡眠である。この日は気分転換を選択して、魔塔の中を散歩することにした。
そうして魔塔の1階正面受付付近まで来ると。
「そこをなんとかお願いします! 友人の命が危ないかもしれないんです!」
露出度の高い服を着た女性が受付で騒いでいた。どうやら依頼を断られたにもかかわらず、食い下がっているらしい。
何も聞かなかったことにして通り過ぎるには「命が危ない」という言葉は重すぎた。
「どうされたんですか?」
エイヴァが声をかけると、女性がこちらを向いた。必死な顔をしている。よほどの緊急事態だ。
「私の友人がよく分からない病気にかかったようなんです!」
「病や怪我は魔塔ではなく神殿か医者のところへ行ってください」
受付の男性はため息混じり。エイヴァとしては、それができないからここへ来たのだろうという見解だ。
「何度も言っているでしょう! 神殿では門前払い! 医者もお手上げ! もう頼れるところはここしかないんです!」
やはり。
「ここは安くありませんよ。それでも良いですか?」
「大丈夫です! 命あっての賜物ですから!」
女性の意思は強いようだ。
エイヴァは頷いた。
「それでは私がお話を聞きましょう」
***
女性は娼館で働く娼婦で、名をマーガレットといった。命が危ないという友人も同じ場所の娼婦だということで、エイヴァは2人が働く娼館にやってきていた。
実は、神殿で断られたと聞いたときからそうだろうと予想はついていた。万人のための神殿は孤児も奴隷も移民も受け入れるが、唯一性を売り物にして商売をしている人間を拒否する。禁欲を慮る神殿の性質上、許されざる道へ進んだ者として認識しているのだろう。そのため、娼婦や男娼は神殿の助けを得られず、魔塔に流れてくるのであった。
問題の娼婦とは、彼女がベッドで体を起こしている状態で対峙した。癖のない真っすぐな銀糸の髪をしており、肌は白く滑らか。すっきりした綺麗な顔立ちで、どこか上品さも漂う女性だった。けれど痛々しくも顔や腕、足を包帯で巻いている。
「包帯、外しましょうか?」
包帯をしている女性ミモザに言われ、エイヴァは首を振った。
「私は医者ではないので、その必要はありません。それに、貴方がどうしてそのようなことになってしまったのかはもう分かりましたので」
ミモザとマーガレットは唖然として顔を見合わせた。
「ミモザに会って数分なのに?」
「身に起こった事が黒魔術によるものの場合、魔力を探ればすぐに分かりますので」
「ということは、私がこうなったのは黒魔術の仕業だということですか?」
そういうことです、と頷くとミモザは息を吐いた。自分を蝕んでいた訳の分からないものが何なのか分かり、安心したのだろう。
「これくらいの黒魔術なら私がすぐに解いて差し上げますよ。ただし高いですけど」
「黒魔術を解くことができるのは神聖力を持った聖人だけなんじゃないの?」
マーガレットは不思議そうに首を傾げた。
災禍をもたらす黒魔術は魔術の中でも特殊で、かけられたものを解除するには神聖力が必要だ。魔力と神聖力は共存しないため、魔術師は聖人にはなれず、聖人は魔術師になれないものである。当然エイヴァにも神聖力は雀の涙ほども宿っていないのだが。
「おっしゃる通り、神聖力のある人間にしか黒魔術は解けません。けれど裏を返せば神聖力があれば黒魔術を解くことができるということです。私はこの身に神聖力を宿せるんですよ」
「そんなことができるのですか!?」
ミモザが驚くのは至極まっとうである。生まれながらにして魔力を持つのかはたまた神聖力を持つのか、あるいはどちらも持たないのかが決まっているのに、それを覆すというのだから。
「そうですよー。私、魔塔で魔力変換の研究をしているんです。魔力を別のものに変えられないかっていう研究です。それで魔力を神聖力に変える研究をしていたらできちゃったんですよ。私、実はすごい魔術師なんです」
だからこそエイヴァは若くして魔塔の第十四指となったのである。
感嘆の息を漏らす2人。
「そういうわけで、ミモザさんの黒魔術は解いてあげられます。で、ここからが本題なんですけど。改めて、ご依頼はどうされますか? 黒魔術を解く解かない。それから黒魔術をかけた人物を探す探さないとかもろもろ。貴方の希望する通りに依頼を受けますが、難しいことであればある程いただく報酬は高くなると思ってくださいね」
「もちろん、黒魔術は解いてもらいたいです。このままではお客様に来ていただけませんし……。黒魔術をかけた人について、追及はどちらでも良いのですが……」
「どちらで良くないよ! またこんなことがあったらどうするの!? 犯人を捕まえてもらった方がいいじゃない!」
消極的なミモザに対し、マーガレットは積極的だ。大事な友人を包帯だらけにした犯人を許せないという気持ちが伝わってくる。
「……まぁ、そうよね。またこんなことがあっても困るし、万が一私ではない人がこうなってしまっても困るもの。そういうことをする犯人は見つけ出しておいた方が良いわよね」
マーガレットに引っ張られて、ミモザも考えを改めたようだ。マーガレットは「そうよ!」と鼻を鳴らした。
「では、ご依頼内容は黒魔術を解くことと、黒魔術をかけた人……いえ、黒魔術をかけるよう依頼した人物の確保ということで良いでしょうか?」
「黒魔術をかけた魔術師を捕まえるんじゃないの?」
「正直、それはあまり意味がありません。黒魔術をかけた人物と黒魔術を依頼した人物は別であることが多く、黒魔術をかけた人物を捕まえたとしても、依頼主が違えば別の人物に黒魔術を依頼するということができてしまうので」
とはいえ依頼主を探す過程で黒魔術師を捕まえることになる可能性は高いが、それは直接彼女たちには関係ないので黙っておく。彼女たちが危惧するべきは依頼者だからだ。
「分かりました。それでお願いします」
依頼内容が確定したので、エイヴァはその他の注意点を説明した。それから初期依頼料として金額を提示すると、ミモザは快諾してくれた。決して安い金額ではなかったが、背に腹は代えられないのかもしれなかった。
契約書を魔法で作成し、ミモザのサインをもらったエイヴァはにこりと笑った。
「ではさっそく取り掛かりますね」
そうして右手でミモザの手を取り、左手にポケットから出した紙片を持って意識を集中させた。
手掛かりになればと、黒魔術の術式を探って紙片に移しているのである。
(やっぱりダメだこりゃ)
しばらくして出来上がった魔法陣は、ごくありふれたものだった。時々特殊な魔法陣を書く魔術師がいるので、そうであれば特定しやすかったのだが。残念だ。
気を取り直して今度はミモザの黒魔術を解く方へ移行する。再び意識を集中させると、エイヴァの周りに十数個の大小さまざまな魔法陣が浮かび上がった。エイヴァの身体から漏れ出た金色の魔力が魔法陣を通って空色の神聖力に変化し、ミモザの身体の中に入っていく。
「もう大丈夫です。包帯の下を見てみてください」
この間たったの数十秒。
本当に黒魔術が解かれたのか2人は半信半疑だった。しかしミモザが腕の包帯を解くと……。
「すごい! 綺麗になってる!」
「あんなに爛れていたのに……!」
包帯の下から真っ白い綺麗な腕が出てきて、わっと2人が歓喜の声を上げた。ミモザは目に涙を浮かべ、マーガレットはミモザに抱き着いてきゃっきゃとはしゃいだ。
「良かった! 良かったぁ!」
「本当に……ありがとうございます」
頭を下げるミモザ。マーガレットはハグをしてくれた。
エイヴァはどうもと軽い返事を返した。それからまた次の段階へいこうとすると。
キャァァァッ
外から黄色い歓声が聞こえてきて、思わず窓の外を見下ろしたのだった。
エイヴァたちのいる場所は2階。窓は比較的大きな通りに面していて、眼下に女性たちの人だかりが見えた。
「あぁ、騎士様のお出ましか」
同じように見下ろしたマーガレットが呟いた。
(ほぉ~ん。なるほど)
よくよく見てみると女性たちの真ん中に頭一つ抜けて背の高い金髪が見える。律儀に女性一人一人の申し出を断りながら、乱暴なことはせず、隙間を見つけて数センチずつ歩を進めているところに性格が出ている。
「アンティラスさんが定期的に見回ってくれるから、この辺りには厄介な客が少ないんだって香車が言ってた」
それはそれはご苦労なことで。さすがは婦女子に大人気な騎士様である。
「騎士様は遊んで行かないの?」
「全く。騎士様みたいな人がお客になってくれたら嬉しいからって、みんなこぞって誘うんだけど。彼を部屋まで引っ張っていった人はいないよ」
美女に気立て良しに度量が大きい女性もそろうこの場所で、色香に誘われることなく帰るなんてたいしたものだ。見ているそばからアンティラスは潔く全員を断っていく。
そういえば、自分は断られたことがないなと思うと、彼がどのように人をあしらっているのか気になるようになってしまった。
エイヴァの悪戯心がざわめいた。
(そっと女性たちに紛れて近付いて、どんな風に断るのか体験してみよ)
そうと決まれば善は急げ。
エイヴァはちょっとだけ時間をもらって部屋で出て、アンティラスの元へ向かった。
歩きながら変化の魔法で見た目を変える。ぱっとしない顔を甘いマスクに。深碧のくせ毛は薄紅色のストレートに。メリハリのない身体をスレンダーでも出るところは出ている体型に。いつもの動きやすいシャツとパンツ姿を肩の落ちた丈の短いワンピースに。もちろん声も高めの仔猫のような声に変えておく。
あっという間に誰もが羨む美女に変身を遂げたエイヴァは、念のため魔法残滓を散らし、声もちゃんと変化していることを確認して、アンティラスの背を追いかけた。
そうしておしくらまんじゅう状態の女性たちをかき分け、ようやくたどり着いた彼の右腕に飛びついた。
「騎士様! 私と遊んでくださいな!」
アンティラスの青と緑の中間のような、不思議な瞳がこちらを向いた。
さて。腕に絡まった女性をどうやって振りほどいて断るのだろうか。
エイヴァは興味津々にアンティラスを見つめていた。
するとアンティラスはにっこりと微笑み、言うのだった。
「私と遊んでくださるのですか? 嬉しいです」
エイヴァは唖然とした。さりげなく絡めた手をぐっと掴まれて逃げ出せなくされている。
(私の変装、もしかして騎士様のドストライクだった!?)
変装が見破られた、とはつゆも考えないエイヴァは己の容姿を顧みて焦った。バレないように自分とかけ離れた容姿を意識したら、堅物騎士様さえ陥落するような人物になってしまったらしい。
まずい。どうしよう。誘った手前、ここでやっぱりなかったことに、なんて言えなかった。そんなことを言ったら疑われるかもしれない。仕方ないので話を合わせることにする。
「もちろん! お店が開いたらお店に来てくださいますか?」
「どちらのお店ですか?」
エイヴァが咄嗟にマーガレットとミモザがいる店をさすと、アンティラスは頷いた。
「分かりました。それでは開店と同時に伺いますね。今、貴方の今宵の一晩を予約させていただいても?」
(ひぇっ買われちゃう……)
「ひゃい……」
すっかり言葉を失くしてしまったエイヴァは、力なくこくりと頷くのだった。
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