第8話 執着男は嫌われるのか

「つまりドラゴンの尻尾を踏んで怖くて逃げたと」


 シャーロットに指摘され、エイヴァは唸った。


 確かに逃げた。何を言われるのか怖くて。でもそれを認めて口に出してしまうと負けたような気がして、自ら言うのは憚られた。


「だってぇぇぇ」


 テーブルに突っ伏す。エイヴァとシャーロットはバルコニーにテーブルと椅子を用意して話していた。


「貴方、恋愛に臆病になっているんじゃない? ねぇヘイリー」


 シャーロットの腕には赤ん坊が抱かれている。淡い桃色の布にくるまれた可愛らしい女の子だ。ヘイリーはシャーロットの腹の中で2年間ゆっくりと成長し、3ヵ月前に生まれている。将来は優れた魔術師だった(それは今もだが)シャーロットに匹敵する魔術師になるのではないかと、コールマン侯爵家では期待が寄せられているようだ。


「ヘイリーはシャーロットママみたいに魔術師になってもエリントンパパみたいに騎士になっても活躍できるでしょうね」


 シャーロットの夫、エリントン・コールマン侯爵は元騎士団長。現在48歳で、シャーロットとは親子ほど歳が離れているが、シャーロットの一目惚れで結婚している。


「当たり前よ。この子には自分がこうだと思える道に進んでもらいたいと……」


 途中で言葉を切ったのは、部屋の扉の前に気配が立ったからだ。


 ノック音がして扉が開き、エリントンが部屋に入って来た。赤い髪を短く刈り込んでいて、左足は膝の下から義足。現役を引退していても恰幅が良いのは変わらず、リラックスしているように見えて洗練された気を纏っているのが分かる。


「いらっしゃいエイヴァ嬢。会話に興じているところを失礼するよ。貴方を追いかけてアンティラス殿が来ているが、どうしようか」


「えっもう!?」


 逃げ出してから5分も経っていないはずだが。どうしてここが分かったのか。


「エイヴァ貴方、魔力を消し忘れたんじゃなくて?」


「あっそうだ忘れてた」


 焦っていてすっかり魔力残滓を散らしておくのを忘れていた。そこそこの人物が相手ならそんな細かいことはしなくても良いが、彼の騎士様相手ならやっておかなければならなかった。優秀な人間相手は少しの油断が命取りだ。


「どうするのよ? ひとまずうちに招き入れて時間を稼ぐことはできるけれど、それまでだからね」


「うぅ……」


「あなた、アンティラス様の相手をしてくれるかしら?」


「承知した。ヘイリーを預かろうか?」


「そうね。お願い」


 エリントンはシャーロットの腕からヘイリーを預かり、そうして部屋を出て行った。


「それで、どうしてこんなことになったのか順に説明してくれる?」


 にっこり。愛らしい顔をしてシャーロットは詰め寄って来た。


 話したくない。けれどそう言って逃げられる相手ではなく、そもそも逃げ込んで巻き込んでしまったのだから、シャーロットには知る権利があった。


「えっと……実は……」


 エイヴァはアンティラスを誑かしてしまった日のことを話し始めた。


***


 エイヴァを追ってコールマン公爵邸に辿り着いたアンティラスは、エリントンに案内されて談話室にいた。エリントンはエイヴァが本当にいるのかも含めて確認してくると言って部屋を出ている。


 コールマン公爵邸にはエイヴァとエル・ポワントに出かける前にもお邪魔している。街で声をかけられた心を読む不思議な貴婦人がシャーロット・コールマン夫人だったからだ。その際アンティラスはシャーロットからデートに着ていく服のアドバイスを受けている。当日になってエイヴァと服を合わせるために呼び寄せられたのだと理解したものだ。


「お待たせ。どうやらエイヴァ嬢はシャーロットに任せておけば大丈夫そうだよ」


 帰って来たエリントンの腕には赤ん坊が抱かれていた。


「お手数をおかけいたしましたコールマン卿。お子さんですか?」


 エリントンはいかにも、と言って赤ん坊の顔を見せてくれた。エリントンの真っ赤な髪を受け継いだ、ふくふくとした頬の愛らしい子だ。見ていると自然と笑顔になる。


「可愛いですね」


「よもや私がこのような宝物を手にすることになろうとは。シャーロットには本当に感謝しているよ」


 エリントンは南に巣くったドラゴンから街を守るため、十数年にもわたる長期遠征に赴いていた。いつ死んでもおかしくないという理由で伴侶を持たず、恋人も作らず過ごしてきたが、45になりそろそろ現役引退をと決めて王都に帰還したところをシャーロットに捕まったというわけである。


「この子はきっと卿にも感謝していることでしょう。奥方様に出会ってくれてありがとうと」


「そうだな」


 エリントンの口の端が上がった。


「私は未熟者で、つい最近になるまで余裕がなく、人生の伴侶を得ることや子どもを授かることを想像できなかったのだが。その点、君はさすがだな。あの人だと決めたのか?」


「彼女さえよければというところなのですが」


 アンティラスは苦笑した。


「というと、彼女に拒否されれば大人しく引き下がるということか?」


「そうですね」


「こんなところまで追いかけてきておいて?」


 返す言葉が無かった。


 抜かれていた記憶が戻り、空白だった時間が頭も身体もとろけるくらいの快楽に満たされていたことを知ったアンティラスの心は穏やかではなかった。独占欲なのか所有欲なのか。エイヴァという女性を自分だけのものにしたいという気持ちと戦わなければならなくなったのである。ここまで追いかけてきたのはその本能によるものだ。しかしこうして冷静になってみると、なんて恐ろしいことをしたのだろうと感じる。


 たった一夜の過ちとして関係を終わらせようとしている女性にとって、執着してくる男ほど恐いものはない。


「……私、変質者でしょうか」


「ははは。傍から見ればな」


 はっきり言われてショックを受けた。アンティラスは自分のことを少なくとも弟には顔向けできるような模範的な人間だと思っていたからだ。


「……帰ります」


「待て待て。私の経験から言わせてもらうとだな。どちらかが淡泊なら、どちらかが熱心な方が上手くいくのだ。ちょうど私とシャーロットのように」


「しかし、卿は奥方様のことを心から愛していらっしゃるでしょう? 奥方様も同じくらい卿のことを愛していらっしゃるようですが」


「今でこそ私たちの心はちょうど二つに割ったように良い塩梅だが。シャーロットに出会った頃の私は一生独り身を貫くつもりで、心も枯れており、乗り気ではなかったのだ。けれど彼女が熱心に私に向き合ってくれたおかげで私は踏み出すことができ、今はこうして宝物を抱いているというわけだ」


 赤子がきゃっきゃと声を出した。エリントンは赤子に顔を近付け、長く戦場に身を預けていた者とは思えないくらい穏やかで愛に満ちた表情をした。


「だから私は君を応援しているのだよ。まだ彼女に何も話せていないのだろう? せめて彼女の口から『金輪際近付くな変質者』と言われてからでも遅くはないのではないか?」


「それはもう遅いような気がしますが?」


 エリントンは声を上げて笑った。曰く、君は揶揄いやすいのだということらしいが、アンティラスは首を傾げるのだった。


 それからしばらく他愛のない話を続けていると。談話室の扉が開いてエイヴァとシャーロットが一緒に入って来た。エイヴァは居心地が悪そうに視線をずらしており、シャーロットはどこか楽しそうだ。


「エイヴァさん」


 アンティラスは思わず立ち上がってエイヴァの元に駆けた。エイヴァは隣にシャーロットがいるからなのか、今度は逃げなかった。


「ちゃんと話を聞くことに決めました。煮るなり焼くなりお好きにしてください」


 アンティラスを前にして決意を固めたらしいエイヴァは、先ほどまで泳いでいた瞳をしっかりアンティラスに固定していた。


 意志の強い真っすぐな瞳。アンティラスはこの瞳を美しいと思ったのだ。


「はい。単刀直入に申し上げます。私は……」


「ちょ、ちょっと待って。ここコールマン家だから! せめて私の部屋に戻ってからにしてください!」


 エイヴァに止められてそういえばと思い出す。アンティラスとしては何処で言っても恥ずかしくないことなので気にしないが、エイヴァが気になるなら二人きりになれるところで話した方が良さそうだった。


「では、お時間を改めさせていただいて……」


「あら。鉄は熱いうちに打たないといけませんわよグレンラグナ卿。善は急げ、ですわ」


 パチン、と指が鳴ったのと、エイヴァが「あ」と呟いたのが同時だった。


 ふわ、と浮遊感が身体を襲ったと思うとアンティラスとエイヴァはワープさせられていた。


 身体が横になっていることに気づき、ワープの出口で咄嗟に下になってエイヴァを庇う。そうしてどさりと落っこちた先は、一人用のベッドの上だった。


 覚えがある。あの日の忘れたくなかった記憶の中にあった、エイヴァの家のベッドだ。


「……シャーのやつ。余計なことを」


 呟くエイヴァは己の上に乗っている。


 どっと押し寄せて来た欲にまみれた思考を頭の隅に追いやり、アンティラスは上体を起こし、エイヴァをベッドに座らせて自分も向かいに正座した。


「エイヴァさん。あの日のことを貴方は無かったことにしたいようですが、私には無理です。忘れられません。何故なら、私は貴方のことを愛しているからです」


 え、とエイヴァの口から驚きが弾けた。


「ずっと前からお慕いしていました。あの日の私は貴方から誘われて、それが冗談だと知っていたにもかかわらず、想い人の貴方から誘ってもらえたことが嬉しくて思わず飛びついてしまったのです。許しを乞うのは私の方です。すみません。ですからどうかご自分を責めないでください。そして、少しでも……私を『良い』と思ってくださったのなら、お付き合いしていただけませんか?」


 真摯に訴えた。するとエイヴァはぷるぷると震え始めた。


「この真面目ちゃんめ~! そういうの苦手だから避けてたのに! 貴方自分の顔、真正面から見たことある!? 真剣な顔した貴方って相当魅力的だよ!?」


 これは褒められているのだろうか?


「ありがとうございます?」


「貴方みたいな真面目で魅力的な人に、私みたいな遊んでばかりの適当人間は釣り合わない。だからお付き合いはできません。もっと良い人を探してください」


 断られた……のだが。エイヴァが言っているのは自分たちが釣り合っていないから付き合えないということ。だったら、釣り合うと思えれば脈はあるのだろうか? と真面目なアンティラスは思った。


「では、私と遊んでください。エイヴァさんが必要とした時だけ呼んでくださる都合の良い男にしてください」


「はぁ!? 自分が何を言ってるのか分かってるの!?」


「分かっています。私は貴方が思っているほど真面目ではありません。それを証明してみせますから」


「そういうところが真面目なのよ……」


 エイヴァは呆れたように頭を振った。


 一方アンティラスはエイヴァから「それはできない」とはっきり言われなかったことを良いことに、『都合の良い男』になれたことを喜ぶのだった。


 寂しい時。楽しみたい時。利用したい時……。エイヴァが必要な時だけ呼ばれる男で良い。今はまだ。

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