第3話 知らないと言い張りたかった
ぐっすり眠っていたエイヴァを起こしたのは、玄関扉にかけられた人払いの魔法を破る者が現れたからだ。守りの魔法は破られれば直ちに術者へ警報が届く。
故にエイヴァは頭の中に鳴り響いた警報に飛び起きて、慌てて玄関に飛びついたのだった。そうして扉を開けたところに立っていたのは……。
「んな!? グレンラグナ騎士団長殿!?」
「エイヴァさん!?」
アンティラス・グレンラグナだったというわけだ。
(まさか、ちゃんと記憶を奪えてなかった? 10時間前から奪っとけば良かったかな!?)
「ど、どうしたんですか騎士団長様? 私に何か御用でも?」
内心焦りながら声と態度は冷静を装って問いかける。するとアンティラスは顔を背けながら答えた。
「無くしものをしまして、失せ物探しの魔法をかけてもらったらこちらに行き着いたんです」
アンティラスの手には紙が握られている。勝手に魔力を探ってみると失せ物探しの魔法がかけられていた。彼の話は本当のようだ。
「何を無くされたんです?」
「ちょうど私の手首を一周するくらいの紐です」
頭に枕の下に隠れていた紐が浮かび上がり、思わず「あ〜」と声にしそうになった口を閉じた。
どうやらあの紐はアンティラスのもので、魔術師に失せ物探しの魔法を依頼するくらいには大事にしているものらしい。魔術師の魔法は安くない。伯爵家の人間にとっては安いかもしれないけれど、そうまでして探したいものであるのはかわりなかった。捨てなくて良かった。
しかしどうやって渡そうか。失せ物探しの魔法を使ってここに行き着いているのなら、しらばっくれるわけにはいかない。
「ちょっと待っててください」
ひとまず考える時間を稼ぐためにも、エイヴァは不躾にも訪問者を玄関に立たせて寝室に戻った。チェストを開けて紐を取り出す。視界の端に虹色の玉が映ったけれど、見なかったふりをして引き出しを閉じる。
さて、どうしたものか。それらしい言い訳を考えなければならないが、墓穴を掘るわけにはいかない。となるともう少しアンティラスに話させて、向こうから零すのを待つしかないか。
エイヴァはそう決めて扉を開けると、手のひらに乗せた紐をアンティラスに掲げた。
「これですか?」
「そうです! まさか、エイヴァさんが拾ってくださっていたなんて」
失せ物が見つかっただけにしてはやけに嬉しそうな顔でアンティラスは紐を受け取った。
こういうところが可愛いんだよな。
「持ち主に戻って良かったです。それじゃ」
すかさず扉を閉めようとしたけれど、アンティラスが身体を割り込んできたので扉が壊れて閉まらなくなった。
「あ!! 壊れた! 騎士様のせいだ!!」
「す、すみません。弁償しますので許してください」
仔犬のようにしゅんとして反省しているようなので許してやることにする。そもそもこれくらいならエイヴァは魔法で直せた。
「怒らないであげますから、気にしないでください。弁償も結構です。自分で直せますから」
ぱちんと指を鳴らせば瞬く間に扉は直った。これくらいの魔法なんて見慣れているはずなのに、アンティラスは「すごいですね」と褒めてくれた。簡単なことでも褒めてもらえるのは嬉しい。
「どうも。ではこ「あの、この紐はどこにあったのですか?」
今度は扉を閉める前に問いかけられ、さすがに逃げられなかった。ここで逃げたら怪しまれる。とはいえ昨日共に雪崩れ込んだベッドの枕の下から出てきましたなんて言えない。
「騎士様はどこで無くされたのですか?」
質問に質問で返す。おそらく真面目な騎士様は、何の疑問も持たずに答えてくれるはずだった。
「それが、私にはさっぱり検討もつかないのです。だから魔術師に依頼しました」
案の定だ。ここは円滑な言い訳のために情報収集といこう。
「いつ無いと気づかれたのですか?」
「昨日の夜です。夜中に目が覚めたら無くて」
アンティラスは右手首をさすった。
どうやら常人が永眠するぐらいの催眠魔法をかけたのに、アンティラスはまたしても目覚めたようだ。なんというバケモノ。
「では最後にあるということを認識したのはいつですか?」
「訓練が終わり、大衆酒場に行く前に身だしなみを整えている時……ですかね」
「身だしなみを整えてから酒場に行くまでは確認しましたか?」
「いえ。お恥ずかしながら」
ここだ! とエイヴァは思った。
「実は私がこの紐を拾ったのは酒場の前だったんですよ。何かな〜と思ったら大事そうなものだったので、一旦持ち帰ったんです」
「ミンクの酒場ですか?」
「えぇ」
「魔塔の皆さんもよく利用されていますものね」
にこりと笑いかけられ、再び「えぇ」と答える。
よし。これで危機は脱した。我ながら素晴らしい答えだったと自賛しながら、これで話は終わっただろうと扉を閉めようとした。
しかし。
「おかしいですね。昨日、私たちが飲んでいたのはミンクの酒場ではなく、オソレビアンコだったのですが」
オソレビアンコというのもミンクの酒場と同じく大衆居酒屋で、魔塔の面々も騎士の面々も気に入っている場所である。
昨日、エイヴァとその同僚はミンクの酒場で飲んでいた。後をつけられていたところを助けられたから、当然同じ酒場で飲んでいたからだと思っていたのに。しくじった。
まずい。言及されたらボロが出る。
「……もしかして、騎士様、誘導尋問をしたんですか? この私に? 大事なものを拾って返した、この私に!? まさか騎士様をここに呼びつけるために盗んだとでも思っていらっしゃるのですか!? あんまりです!」
わぁっとエイヴァは泣くふりをした。こういう時は話を逸らすのが得策だ。優しい騎士様なら途端に慰めてくれて逃がしてくれるはずだった。
「そんな! エイヴァさんを責めるつもりはありません。どうか泣かないで。落ち着いてください」
思った通り、アンティラスはエイヴァの背を撫でて慰めてくれた。それだけでなく、咽び泣くエイヴァを部屋の中に促し、テーブルセットの椅子に座らせてくれたのだった。
「落ち着きましたか?」
しばらく泣き真似をして、落ち着いた風を装って頷いてみせた。嘘泣きは得意だ。魔法を使えばお茶の子さいさい。
「良かった。では、どうして私に嘘をついたのか教えてくださいますか?」
……この騎士様、天使の顔をしているくせに全然優しくない。というか甘くない。さすがは最強と謳われているだけある。
いつのまにか自分も座って居座っているし。無防備だからって油断しすぎたか。
「実を言うと、私も正直どこでその紐を持ち帰ることになったのか分からないんです。気がついたら家にあって。もちろん騎士様の物とも知りませんでした。嘘をついたのは、私の部屋にあったのに知らないだなんて話、信じてもらえないと思って」
「そうでしたか。分かりました。咎めるようなことを言ってしまい、重ね重ね申し訳ありませんでした」
「信じてくださるんですか?」
「えぇ、もちろん。そもそもエイヴァさんが何かを企んでいるとか重要なことを隠しているとかは思っていなくて、ただ気になったから聞いてみただけですから」
にこり、と笑いかけられて良心が痛んだ。企んではいないけれど、ちょっと、それなりに重要かもしれないことを隠している身としては、今の発言は心にくるものがある。彼が善良だからなおさらだ。
「そうですか。それはそれは」
肩を丸めたエイヴァが徐に視界を邪魔していた髪を耳にかけると、アンティラスは「ん゛ん゛」と妙な咳払いをした。疑問に思ったけれど、特段聞くこともないかと思い、エイヴァは素直に陳謝した。
「嘘をついてしまって申し訳ありませんでした」
丁寧に頭を下げる。
頭を上げるとアンティラスは何故だかしばらく放心していたが、エイヴァが名を呼ぶとすぐさま立ち上がったのだった。
「こちらこそ、お騒がせしました。それから無断で入ってしまい、無礼をお詫びいたします。それでは、良い休日をお過ごしくださいね」
そうしてそそくさと出ていってしまったのだった。
なんだ。変なの。
何はともあれ、やっと危機を脱した。あとは記憶を抜かれていることにさえ気づかれなければ、完全犯罪の出来上がりである。
***
(逃げるように出てきてしまった! 情けない!)
エイヴァの部屋を後にしたアンティラスは、路地裏の片隅で手をついて項垂れていた。
まず大事なブレスレットがあるのがエイヴァの部屋だったことに驚き、続いてエイヴァの無防備な姿に驚かされ……最後には我慢できなくなって逃げ出すように去ってしまった。
着古したからか首元が緩いトップスに、膝上丈の心許ないボトム。上から自分を見下ろしたことのないエイヴァには分からないだろうが、上から見ると、はたまた屈まれると、あの手の服は中が見える。
(10代の坊主か私はっ!!!)
戒めのために頭突きをかますと壁にヒビが入った。自身は無傷だ。
10代の子どもかと罵ったが、実際はそれより酷いかもしれなかった。何せ10代からの初恋をずっと引きずっているのだ。
エイヴァはアンティラスの初恋の相手だった。15で騎士団の仲間入りを果たし、武具のメンテナンスの際に3歳年上のエイヴァと出会った。魔塔はほとんど貴族の集まりだが、エイヴァは平民にもかかわらず10歳で魔塔入りを認められた魔術師、いわば天才だった。8年社会で揉まれたためか、強面で身体の大きな騎士を前にしても全く引かず、軽くあしらいもする彼女の立ち居振る舞いは15で社会に認められた子どもにとっては頼れるお姉さんで、いつしか憧れとなった。
そんな折。初めての遠征で不安がっていたところ、お守りとして魔術を施してくれた紐を腕に巻きつけてくれ、一気に陥落したわけだが。当時のエイヴァには恋人がいて。それに3歳下の自分なんか子どもにしか見てもらえないだろうと、勝手に恋心をしまい込んで、はや10年。恋心は拗れに拗れて話をするのも緊張し、大人になったはずなのに子どものような反応をしてしまうのだった。
我ながら、情けない。それから己の執着ぶりにも驚かされた。時が経てば忘れるものかと思っていたが、そうではないらしい。
となるとこれはチャンスかもしれなかった。10年温めた恋を始動させる機会なのだ。
幸い、今のエイヴァには恋人がいない(らしい)。3歳年下でももう子どもではなく、下っ端の青二歳だった頃とは違って騎士団長までになった。使うところがなかったので貯金も十分。顔は……自分ではわからないが、褒めてもらえることが多いので彼女も気に入ってくれることを願う。
問題は彼女のガードが固いことだ。
彼の天才魔術師様は、彼女は気づいていないけれど大変人気がある。新人騎士はだいたい一度は彼女に淡い恋心を抱くもので、歳の近い騎士たちは結婚相手にどうかと悩んでいたりする。年上だって侮れない。けれども誰もエイヴァの恋人になれていないのである。
彼女を絆せる何かがあれば良いのだが。
ううむと悩みながら、アンティラスは歩を進めた。
(あぁ、そういえば。エイヴァさんにも聞いてみれば良かった)
いくらか歩いたところで思い出す。
(ブレスレットも持っていたし、私が無くした記憶について、何か知っているかもしれない)
失せ物探しの魔法をお願いしたついでに、どうして昨日の記憶が一部欠損しているのか調べてもらったら、魔法で抜き出されていたことがわかったのである。
記憶を奪う魔法は上級魔術師にしか使えない。それこそ、エイヴァのような……。
(まさか、エイヴァさんがそんなことをするはずはないだろうけど)
聞いてみても良いだろう。何せエイヴァは天才魔術師。調べてくれた魔術師以上に何かができるかもしれなかった。
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