第2話 なかったことになれ

(いいわけないんだよなぁ、いいわけがぁ……)


 エイヴァはベッドに顔を突っ伏し、頭を抱えていた。


 隣にはアンティラス・グレンラグナ騎士団長殿。綺麗な顔ですやすや眠っていらっしゃる。もちろん事後だ。2人して眠りについて、しばらく経ってからエイヴァだけが目を覚ましたというわけである。


 それにしても可愛い人だ。天使の寝顔。ずっと見ていられる。最強と謳われている騎士団長様がこんなに無防備で良いのだろうか。


(……どうすっかなぁ)


 ひとしきり寝顔を眺めてから、エイヴァは今後の対策を練った。


 酔った勢いで、なんて。この真面目な騎士様にとっては人生の汚点だろう。不埒な関係になるのは解せないはずだ。となると「責任を取ります!」とか言い出す確率が高い。


 そうなっては面倒だった。明るい未来が広がっている若者に責任を取らせるなんて。良心の呵責に耐えきれなくなりそうだ。


 ここはぐっすり眠ってもらって、その間に何事も無かったかのように偽装しよう。


 そうと決まればまずは催眠魔法だ!


「は~い眠れ眠れ~ぐっすり眠れ~」


 彼の顔に掌をかざし、くるくる回す。確かこの騎士様は弱体化系の魔法の類いに耐性があるはず。念には念を。通常の人なら十時間はぐっすり眠って起きないくらいにしておこう。


 頬をつついてしっかり眠っていることを確認すると、エイヴァは脱ぎ捨てた服をかき集めて身に付けた。彼にも魔法を駆使して着せてやる。質の良いシャツにズボン。それから靴下、革靴。おそらく全て着せてやれたと思う。ベッドの下にも上にも衣服の残骸はなさそうだ。


 さて。次は彼の記憶を奪っておこう。ちょっと酔っていたようなので、酒で記憶を飛ばすタイプだったら良いが、そうとは限らない。記憶があったら何事も無かったことにならないので、奪わせてもらう。


 時刻を確認して、遠慮なく記憶を取り出す魔法をかける。だいたい7時間くらい奪っておいたら良いかな。


 記憶を封印するのではなく、取り出すことを選んだのは、誰かに弱体化魔法にあたるこれらの魔法を探られた場合の安全策だ。封印だけなら解除されれば記憶は戻る。しかし取り出しておいたら戻さなければ決して思い出さない。しかも取り出した記憶は壊すことも可能。完全に消し去ることもできる。


 ただ、さすがに他人の記憶を勝手に取り出しただけでなく、壊してしまうのは申し訳なかった。


 まん丸の宝玉のような記憶の玉を、エイヴァはひとまずチェストの一番上の引き出しにしまった。これについては後で考えることにして、次は彼を家へ戻さなければ。


(グレンラグナ家って伯爵家なんだよなぁ。警備、厳しいかな)


 アンティラス・グレンラグナは伯爵家の生まれである。長子長男だが、本人がいつ命を落とすか分からない戦地に赴くと決めたため、爵位継承は弟に譲ったと聞いたことがある。


 その辺りの出身者だったなら、警備のない家だから簡単に侵入できるのに。伯爵家なんて難しそうだ。


「はぁ」


 骨が折れる。思わずため息が出てしまった。


 とはいえ自分が蒔いた種は芽が出る前に回収しなければ。幸い、座標までは分からなくてもどこがグレンラグナ伯爵家なのかは分かる。近くまでワープして、何とか屋敷に侵入するしかない。


 エイヴァは魔法でアンティラスの身体を半分にして横抱きにしようとした……ところで、魔法をかけ直して体重を五分の一、いや十分の一にした。脱いだ彼の筋肉はすごかった。可愛らしくて繊細な顔からは想像もつかないくらい。


 十分の一にしては重量のある身体を横抱きにし、エイヴァはグレンラグナ伯爵家がある北区にワープした。貴族の屋敷は北区に集中している。グレンラグナ伯爵家は由緒正しい伝統貴族。邸は確か北区の中心あたりだ。


 北区の中心あたりの上空にワープしたエイヴァは、上からグレンラグナ邸を探して宙を揺蕩った。


 暗いので見にくかったが、それらしい屋敷を見つけることができた。


 門に双頭鷲の紋章が描かれた屋敷だ。双頭鷲の紋章はグレンラグナ伯爵家を象徴するものだった。


 秘密裏に大事なお坊ちゃんを返しておくのだから、正面突破はやめた方が良い。エイヴァは彼の部屋はこの辺りだろうという狙いをつけ、その上空にやってくると、すうっと息を顰めて目を閉じた。


(静かに、そっとカーテンの隙間から入るイメージで……)


 魔法封じの結界を破って侵入する。


 目を開けると部屋の中に立っていた。侵入成功。騒いでいる気配はないから、気づかれていないようだ。


 天涯付きの大きなベッドにローテーブル、ソファ、暖炉、チェスト、デスク、本棚、全て装飾の施された一級品。天井には豪華なシャンデリア。壁には絵画。いかにも貴族のお部屋だ。


 しかしここはおそらくアンティラスの部屋ではない。ベッドに人の気配がある。たぶん弟の部屋だろう。


 ベッドを覗いていらぬ仕事が増えるのは面倒なので、確認せずに部屋を出た。


 正確には出たと言うより、壁をすり抜けて隣の部屋に移った。


 隣の部屋は先ほどの部屋より狭く、簡素だった。暖炉にライティングビューロー、チェスト、本棚。天井は小ぶりなシャンデリア。壁には剣が1本かかっているだけ。一つ一つの物は良いので貴族らしいといえばらしいが、豪華さには欠ける。唯一ベッドだけが豪奢でアンバランスにも思えた。


 飾り気のない部屋。彼の見目や心と同じなのだろうか。となると、無防備な身体を保護するベッドが一際豪華だなんて、実は一際警戒心の強い人だったりして。


 なんて、勝手にプロファイリングっぽいことをしつつ、アンティラスをベッドに寝かせた。


 強い魔法をかけたおかげでぐっすりだ。


 良かった。これで何事も無く、終われそうだ。


「……ごめんね」


 とはいえ本当に何事も無かったことになる訳ではなく。彼の完璧な人生の汚点を作ってしまったことと、勝手に記憶を奪ったことを陳謝して、エイヴァは彼の頬に手を当てた。


 そうして姿を消そうとしたのだが。


 アンティラスの手がそっと自分の手に重ねられ、エイヴァはぎょっとした。


(え!? あんなに強い催眠魔法をかけたのに解けてる!? この人、バケモノ!?)


 ええいままよと再び強めの催眠魔法をかける。あまり負荷をかけすぎると精神や身体が壊れてしまうのだが。ちょっと加減が分からない。


 このくらいかな? というところでやめておいて、アンティラスの呼吸を確認した。後に支障が出るまでの負荷であれば呼吸が乱れるのだが。全く乱れていない。


(たぶん、普通の人ならそのまま永眠しててもおかしくないんだけど)


 この最強騎士様なら大丈夫だろうということにして、エイヴァは今度こそ、そそくさと姿を消したのだった。


***


 エイヴァが姿を消して数分後。


 アンティラスは激しい意識の抵抗で目を覚ました。


 強い弱体化魔法をかけられたようだ。アンティラスの身体は弱体化魔法が強ければ強いほど反発するようになっている。


 辺りを見回してみると、自室だった。しかし帰って来た覚えがない。そればかりか、騎士の同僚たちと大衆居酒屋に出かけたところで記憶が無くなっている。


 飲み過ぎて記憶を無くしたのだろうか。この、自分が?


 アンティラスは自身を制御の効く人間だと自負していた。酒はほどほど(そもそもザル)で済ませるはずなのだが。薬でも盛られたか? しかし自室というのはおかしい。グレンラグナ伯爵家にはしっかり魔法封じの結界が張ってあるうえ、護衛騎士もいる。


 一体、どういうわけなのか。


 ぼんやりする頭を抑えようと、右手を持ってきたところで気がついた。


(ブレスレットがない)


 お守りに常に身に付けているブレスレットが。


 あれは大事なものだった。紛れもなく、初恋の人から……今でも陰ながら焦がれる人からもらったお守りなのに。


 窃盗か? 盛られて眠っている間にブレスレットを奪われた? 見目は大層なものではないのに?


 なぜなら、ブレスレットというものの、実際はローブを落ちないように止めておくためのただの紐(だったもの)だからだ。


「……エイヴァさん」


 寂しくなってしまった右の手首を撫でながら呟く。


(戦場でも失くさなかったものを失くしてしまいました。貴方はもう、忘れているでしょうけれど。必ず探し出しますからね)


***


 自室に戻って来たエイヴァは風呂に入り、ベッドにうつぶせになった。


(……いやぁ、結構、良かったなぁ)


 正面から枕に顔を埋めて振り返る。


 結構、というか。すごく。良い思い出になった。


 枕を抱き抱えると、指先に何かが当たった。それを掴んで取り出してみると、エイヴァの人差し指くらいの太さのある紐だった。紐はところどころ擦れていて、血のようなもので汚れた痕もあり、お世辞にも綺麗とは言えない。


 なんだってこんな紐がこんなところに?


 捨ててやろうかとも思ったが、何となく実行できなかった。


 なんか、なぁんか見覚えがあるようなないような。


 そんなことを思いながらチェストの一番上に紐をしまい込む。そうしてエイヴァは眠気を覚えてベッドに沈み――。


 翌朝。


「んな!? グレンラグナ騎士団長殿!?」


「エイヴァさん!?」


 思わぬ訪問者に目を丸くするのだった。


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