第6話 微に入る傘

 コロニスとカレーを食べる。

 コロニスは俺の向いの椅子に乗ってカレーライスが入った皿に向かっている。ティースプーンを右手に持って。普通のカレーを食べるサイズのスプーンでは大きすぎて食べにくいからだ。

 普通のアライグマというものをよく見たことはないが、コロニスは普通のアライグマより手先が器用なように思う。

「アライグマがスプーンでカレー食べてるって滑稽ですよね」

 コロニスは俺の視線に気づいた。

 コロニスがスプーンを使って食べるのを見るのは初めてだ。これまで箸やスプーンを使う食事をしていなかった。最初は使えるかどうかわからなかったし。

「いや、元々人間なんやから普通やと思うよ」

「カレーおいしいです」

「ありがとう。よかったらおかわりして」

「カレーってついいっぱい食べてしまいます。まあ体が小さくなったんで一人前いかないですけどね」

 コロニスの体の大きさは直立したときの頭の高さが40センチくらい。体重は15キロくらいかな。持ち上げてないからわからない。

 ちなみにコロニスのカレーを入れた皿も小さい。うちのカレー皿では大きすぎて食べにくいようだ。


 食事が終わり食器洗いはコロニスがする。

「やっぱり人間用にできてるとやりにくいよな」

 コロニスは脚立に立って作業している。横から見てると上半身はシンクに隠れて見えない。

「まあアライグマになってしまった事実は受け入れるしかないですわ。せめて身長が120センチくらいあったら便利なんですけどね」

「そのサイズのアライグマは怖い」

 サイズ的にツキノワグマぐらい?

「そうですよねぇ。アライグマは雑食だから肉も食べますし」

「なんか話変えよう。コロニス不愉快にしてる気がする」

「いや気にしてませんよ。カレー食べられただけで幸せですよ」

 コロニスは人間ができているように思う。人間じゃないけど。いや人間じゃないって言ってはいけない。これだけ意思疎通できる相手を同格の存在だと認めないわけにはいかない。ヒト人間という種の生き物ではないけど彼は一個の人格を持った存在だ。

 キンタマよりは人権持っていい。


「じゃあまた秀さんの、いやどうしゅうさんの小説を読みます」

 食事の後片付けを終えたコロニス。

「おっ」

 俺はノートパソコンをさっきまで食卓だった机の上に置いた。

「とりあえずこういう系統はコロニス的にはどうかなと」



     ▼



     『ビニール傘』


 雨が降る中、ビニール傘をさして男は歩く。


(人間は勝手なもので、だいたい普段は雨が降ることをうとましがるくせに水不足になると雨を求める。

 小さなひとりの人間は自分の都合が世界のマクロな都合より優先する。

 瞬間的な自分の都合だけのために世界が滅ぶことを願ったりする。

 ミサイルでも降ってくりゃいいのに。


 実際に降ってきてもうれしいのはそいつだけだ。しかもその瞬間のそいつだけだ。

 下手をするとミサイルが降ってくるのがそれから三秒遅いだけでもそいつは恐れおののいて腰抜かすことになるかもしれない。

 人の心はがたい)


(傘をさすというがどこに刺すんだろう。なにをもって上に向けて傘をひろげているのを「さす」というのか)

 検索してみる。「さす」というのは「上にかざす」という意味もあるらしい。


 色々と考えながら歩くこの男。

 暇さえあれば何か考えている。だいたいその考えたことが実際に役に立つことはない。それが使命であるかのように感じている節がある。使命だと思っているほうが意義があるような気がして気持ちいいからだ。趣味だといえば一番しっくりくるのだろう。

 人は気持ちいいことを求める。ミサイルが降ってきて欲しいと瞬間だけ思うのもそれだ。


(濡れないようにさすのであって、基本濡れてからさすのではない。濡れたから入れてやろうというネタもある。やっぱり誰か下ネタの神様が「傘」は「さす」にしといたほうがネタにしやすいからそう決めたんだろう。他の言語で同じようなネタができるんだろうか)

 傘からはしずくが垂れる。もう濡れ濡れびしょびしょだ。もうちょっとがんばったら潮吹くかもしれない。いや吹かない)


 ふと前を見ると、駅前のまだ開店していない店の軒下で雨宿りをしている女性がいた。若い。会社員らしいスーツの地味な人だ。

 さっき考えたことを思い出す。

(こんなに濡れて。入れてやろう。って言ったら怒られるかな)

 男は常識を常人の76パーセントぐらい持ち合わせているので、なんか妙な機嫌にでもならなければこんなことは言わない。普通に前をただ通りすがるだけのことだ。

 ただ、このときの男は妙な機嫌を起こしていた。さっきの台詞を言ってみたいという衝動ではない。

 ビニール傘というものは増殖するものだ。経験のある者も多いと思う。

 今さしているビニール傘をなくしても、男はさほど困らないのである。

 このまま駅に入ってしまえば、あとは職場まで雨にやられずにすむのだ。職場に着けばロッカーにビニール傘がまだ3本もある。

 別にビニール傘のコレクターではないし、仮にビニール傘のコレクターだとしても今手にしている傘にコレクションの価値はない。もしこれが徳川家康の使ったビニール傘だったらプレミアがついたかもしれないが、残念ながら徳川家康のいた時代にビニール傘はない。最後の徳川将軍、慶喜のときだってそうだ。

 征夷大将軍の使ったわけでもない量産品の傘なので手放すのに痛痒はない。

「あの」

 女に声をかけた。

「なんでしょうか?」

「傘がなくてお困りなら、これを――」

「あ、いえ。だいじょうぶです。お気遣いなく」

「あーすいません。余計なお世話でしたね。失礼しました」

 男は素直に引き下がり、柿本人麻呂が使った由緒正しいものではないビニール傘を善意のフリして処分することを断念した。

「いえいえ。お心遣いだけいただいておきます」

(いや、お心遣いじゃなくてこの平清盛も使ったことのないビニール傘を受け取って欲しいだけなんだが)

 確かに平清盛も使ったことはない。断言するが卑弥呼も使ったことはない。


 こうして、男はなにごともなく、三億円事件の犯人が触れたわけでもないビニール傘を手に出勤するのであった。



     ▲



「おもしろいですね。何も内容がなくて」

 ほめてるのかけなしてるのかわからないような感想だが、ほめているに違いない。

「うん。ちょくちょく内容ないよな」

「ビニール傘の処分に困ったときどうするか、っていう社会派だ、って言い張ることもできますけども。そんな気ないでしょ」

「ないない。浅野あさの内匠頭たくみのかみが使ったビニール傘とか言いたかっただけ」

 作中では浅野内匠頭は登場しない。

「もし」コロニスはちょっとだけ間を置いて言葉を継いだ。「長編書くのだったらこのノリじゃ難しいですよね」

「うん。ショートショートと長編って書き方がかなり別のような気がしてる」

 本当は短かろうが長かろうがある程度は同じメソッドでできるはずなんだろうが、俺の経験上こういう感覚だった。

「このショートショートのノリは長編に使うとしたら、挿話エピソードとして登場人物のキャラクター性を立てる意味くらいで本筋そのものには使えないと思います」

「うん」

 ショートショートと長編は別物。

 ショートショートを並べても長編小説にはならない。普通はショートショート集でしかない。

 例えば今回の『ビニール傘』に加筆したら長編になるかというとならない。なったとしても別物になるはずだ。いやたくみな人ならなんとかなるか。分解と再構築できれば。俺には無理だ。

 じゃあ、長編本編の中にショートショートを挿入インサートしていく形でやったらいいのか。

「なんか思いついた顔しましたね」

「うん。一応十万枚いける可能性は見えた」

 そんなわけで一旦は毎回コロニスにショートショートを読んでもらう方向性に決まった。

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