第4話 こうがんな人

「コロニス、カレー食える?」

「好物ですよ」

「アライグマはカレー食べて大丈夫? タマネギとか」

「普通のアライグマは食べたらあかんのですけどもね。私の場合ベースが人間なんでいけるんですよ」

 ネギ類は人間を含む猿とネズミぐらいしか食べることができないといわれる。

「それって転生するときに説明された?」

「いや、なんか本能みたいに最初から脳に刻まれてた感じですわ。転生するときに神様とか天使とか謎のマスコット的生物とかに説明されたりはなかったです」

「コロニスは転生してきたけど、異世界転生じゃなくて同世界転生なんよな」

「同世界にアライグマでですよ。なんでやねんって」

「〈小説書きしよう!〉にそんなジャンルがなくて」

「異世界転生かそれ以外かみたいなジャンル扱いの印象ありますね」

「だから、俺とコロニスの生活を小説に書いたらジャンルが『コメディ』にするしかないんかなと」

「コメディですよ。アライグマに生まれ変わった悲劇は客観的に喜劇ですよ」

「えーと、そのへんなんか有名な言葉があった」

 PCで検索する。

「これこれ。『人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ』チャップリン」

「カレーが食べられることは幸せだと思ってますよ」

「じゃあはりきってカレー作るよ」

「この体になってカレーでテンション上がるとは思わなかったですね。アライグマになってから食べる機会はもうないと思ってたし」

「うちのカレー甘い目やけどいい?」

「甘いのも辛いのも好きですよ。激辛は苦手ですけども」

「俺も辛いのが強いのは苦手でね。レトルトの大人向けカレーの甘口でも辛いのがあったり」

「それでこんな生活ネタに小説書くんですが」

「書いていい?」

「いいですけども。わたしでも最低限のプライバシーありますから、ちゃんとアップ前に全文チェックしますからね」

「もちろん。尊重するよ」

「アライグマに生まれ変わるとかネタとしてはそんなにオリジナリティないから他に色々入れていく必要ありますね」

「現実にアライグマに生まれ変わった人は他に聞いたことないけどね」

「そのへんはローファンタジーとして読んでもらえればええんじゃないですか」

「ファンタジーの住人なんやコロニス。

 俺、昔『現実に少しだけ非現実要素が入り込んでる』小説を書いてたんよ。それを『お茶の間SF』って呼んでる友人がいて」

 『お茶の間』という言葉も過去のものになってるし、『SF』もその頃ほどジャンルとしての勢いはない。

「昔ってそれ残ってるんですか?」

「あったら読む?」

「読んでみる流れですやん」

 コロニスの気遣いがありがたい。流れ大事。俺のわがままな流れを受け入れてくれる。

 ちなみにカレーは作っている。作りながらこの会話などは続けている。

 PCで、手持ちの一番古いショートショートを開いて見せた。



     ▼



     いんすたんとら~めん


「――よーし、三分たった」

 男はカップのインスタントラーメンのふたを開けた。

 すると中からうにょろうにょろと麺がはいずり出てきて男の体にからみついた。

「うわぁああ」

 男は麺にからまれて声をあげる。

「いつもいつもびんぼー人にばかり食われとるのも、もう我慢の限界だ」

 麺が言った。しゃべった。

「まて、話を聞け。インスタントラーメンがびんぼー人に食われるのはびんぼー人のせいじゃない。うらむなら、びんぼー人より、びんぼー人に食われるような食い物にしたやつをうらめ」

 男は必死に言った。

 麺は彼からするりとほどけ、

「そんな食い物にしたやつは誰だ」

と、男に訊く。

「……インスタントラーメンを発明したのは日清製粉の社長か会長だぞ。会社は大阪にある」

「……そうか」

 そう言って麺はどこかにずるずるとはいずって去っていった。


 その麺が男の家から五十メートルほどのところでひからびて死んでいたのは、次の日になって分かったことである。



     ▲



「ちゃんとオチてますやん。文章は荒削り感あるけど」

「まあ古いんで書き直そうとか思ったけど、文体変えたら味が消えてしまうんでこのまま残してて」

「ああ、確かに文章は書き直すと雰囲気変わってしまいますわな」

「あと、『お茶の間SF』だとこんなんあるけど。下ネタなんやけどいい?」

「いや、別に下ネタいいですけど。まだ付き合い浅いんで会話にあんまり下ネタ入れるのはさじ加減がうまくできるかわからんのですが」

 PCに表示されてるタイトルを見るコロニス。

「さじ加減を間違えても気にしないってことで」

「じゃあ急にえぐいワード言っても引かないでくださいね」

「まあ俺もあんまりそのへんコントロールうまくないし」

「わかりました。読みましょう」



     ▼

     陰嚢の目覚め


 縮んだ陰嚢は優れた知性を持っていた。

 ただし、たるんだ陰嚢は知性を持たない。

 つまり、収縮した状態は脳に似た形状のため、知性を持ったという説である。


「って、それで納得しろってか」

「そうだ。私は知性をもったキンタ……」

 おれはキンタマにドライヤーを当てた。温められたそれは知性を失った。

 しゃべれないキンタマはただのキンタマだ。という言葉もある。

 ただのキンタマであってほしいのだ。おれとしては。


 冷えるとしゃべりだすキンタマ。

 どうしようか。

 まだ春でも寒いときはある。ひょっとしたことで、他人に股間がしゃべっているのを聞かれでもしたら大変なことになる。

 なにが大変って、研究対象になって、おれの玉袋がピンセットでつままれたりすることだ。

 いや、実際どんなことされるのかわからんのだが。

 とりあえずキンタマの人権は認められないだろう。いや、その所有者であるおれの人権は認められてしかるべきだ。

 だからおれの股間の毛をみんな剃ってしまうようなことはされないはずだ。やったら人権侵害だ。


 いや待てよ。これは使えるかもしれない。キンタマと話し合う余地はある。


 おれはキンタマを水にひたして冷却した。

 玉袋はたるんとした状態からきゅっと縮んだ。

「ああ。話す気になったか?」

「お前はおれの体の一部なんだからおれの言うことをきくよな?」

「あんたの体の一部だということは認めるが、私は別人格だ。よく言うだろう。『下半身は別人格』って」

 オチがついてしまった。

「じゃあ、お前は何を要求するんだ?」

「別に要求することはない。ただ私を一個の人格あるものだと認めてくれればいい」

「認めなくもないけどな。普通のキンタマは人格がないわけだ。他の人に『これがおれのキンタマです』って紹介するわけにもいかないのはわかるだろ?」

「そうだな」

 キンタマは考えこむかのように沈黙した。まあしゃべる以外のアクションはできないらしい。もっともどこからどうやって声を出してるのかもよくわからないが。

「とりあえず、キンタマの市民権がある程度得られるようになるまではおとなしくしていよう」

「話がわかるな。そこで提案なんだが」

「なんだ」

「実はな……」

 おれは提案を話してみた。

「まあ、かまわないが……」


「はい。こんにちわ。それじゃあ、キンタ君もごあいさつを」

「こんにちわ」

 ふたりで腹話術をやることにした。


「こんなことやっていてバレなければいいが」

 楽屋でおれの股間のキンタ君が言った。

「大丈夫だって。キンタマがしゃべるなんて誰も思わないって」

「いや、いずれ誰のキンタマも覚醒するときがくる」

「じゃあそれはそれでいいじゃないか。みんなのキンタマがしゃべるようになれば、おれも普通の人でお前も普通のキンタマだ」


 もうその翌日のことだった。

 ニュースでキンタマがしゃべることが報道された。

 睾丸が知性を持っていることが判明するまでにそれほどの日数を必要としなかった。


 そんなわけでおれの腹話術はあっさり廃業になった。

 まあ思いつきで始めた副業なんてそんなものか。


 誰ものキンタマがしゃべるので、トラブルが絶えないらしい。

 幸運なことにおれのキンタマは人格ができてるのでトラブルはなかったが、ほかのキンタマの中にはかなり性格の悪いものもいるらしいのだ。

 バレては困る秘密を話してしまったり、ひどいキンタマになると、でっちあげのことを言って自らがついている本体をおとしめたりするのだ。そんなことしてなんになるんだか。本体である男の立場を悪くしたら結局自分も困ることになるのがわかっていない。

 そう。学習能力の低いキンタマは危険である。

「私はつつましやかに暮らしているから問題ないだろう」

 おれのキンタマは穏やかにこう話す。ある意味ありがたい。こいつに人前で昨日のオナニーのおかずがなんだったとか話されては人格が疑われる。

「そういえばお前は自分の存在がなんなのかということを考えたことはあるのか?」

「陰嚢、睾丸の存在価値は、子孫を残すための精子を生産することだ」

「じゃあ会話できる意味がないじゃないか。どうして会話できるようになったのか、なんのために人格があるのか」

「じゃあ、あんた自身はなぜ人格があり、会話ができるんだ?」

「それは……」

 言葉に詰まってしまった。

 そうだ。人間だって生殖行為をして子孫を増やし、DNAをつないでいくために生きてるんだってことは否定できない。

 ほかにきれいごとはあるが、根本的にはこれじゃないのかと思う。

 じゃあ男なんかキンタマじゃないか。

 『おーとこーなんてきーんーたまー』って歌があったよな。

 なんか、このままだと男は自分がキンタマにすぎないって考えてるうちに、ホントのキンタマと主客転倒してしまうっていうSF的オチになるんじゃないのか。『下半身は別人格』で終わっておいたほうが平和だったんじゃないのか。

「いや、それはないな」

 キンタマが言った。

「どうして?」

「ナンセンスじゃないか。キンタマはキンタマだ。キンタマとして生まれたからにはキンタマとしてのアイデンティティがある。本体との立場を覆そうなどと考えたりはしない」

「おまえはそうかもしれないけど、ほかのキンタマはそんな理性的じゃないのもいるぞ」

「理性的じゃない人間もいる」

「理性のない人間と理性のないキンタマの組み合わせだったら最悪じゃないのか」

「両方理性的でないなら、主客転倒するような余地もないだろう。

 それで思ったんだが、理性的じゃない人間と理性的なキンタマの組み合わせの場合、キンタマが思考を司るように変化していってもおかしくないかもな」

「じゃあ、キンタマに体を支配されてしまうこともあるんじゃないか」

「より高度な思考を司る部分が肉体全体をあやつるほうが、その個体にとって有利だ。自然の摂理だろう」

「おまえがおれからこの体を奪うことはないのか」

「心配するな。あんたはさほど愚かなやつじゃない。私が労力をかけてまで全身を乗っ取りたくなるほどの憤りは感じない」

「そういうもんか」

「そういうもんだ。信用できないなら、わたしを切り落とすか?」

「そんな恐ろしいマネできるか」


 やがて日本では股間でしゃべる男が増えてきた。

 いや男だけではない。女もまた、股でしゃべるだ。

 きいた話だが、女の下半身の思考は子宮が司っているらしい。そして、女性器が言葉をつむぐのだ。

 『女は子宮でものを考える』ということも陰唇という唇でしゃべるというのも、なにか悪い冗談としてできすぎだった。


 やがて世界は、ある区別として三種類の人間が存在するようになった。

 ひとつは自分の生殖器とうまく共生している人。おれもこのうちに入る。

 もうひとつは、生殖器にイニシアチブをとられてしまう者。

 そしてあとひとつは、生殖器を黙らせてしまう者。

 最後のひとつになった者はたいがいが生殖能力を失っている。

 もちろんこの三種類だけでおさまるわけではないし、元々生殖能力のない者は生殖器に人格はそなわらなかった。


「これからの人類はどうなるのでしょうか」

テレビの討論番組のようなものにおれは出演していた。いや、正確にいうと、おれのキンタマが出演していたのだ。

 おれのキンタマはコメンテーターとして名をあげていたのだ。

「生物はDNAの乗り物にすぎないという説があります。つまりその考え方でいうと、生物はDNAのため、ひいては生殖器のために生きているということにもなります。

 もちろんこれはひとつの仮説にすぎません。

 しかし、我々生殖器が人格をもつに至ったことの意味は……」

 おれのキンタマはご高説を歌っている。しかし、テレビにはまだ彼の顔(キンタマ自身)は映ったことはない。

 生殖器の人格をうんぬんする番組もまだ、生殖器の姿を全国にそのまま放送できないらしい。

 モザイクの中で未来を語るおれの股間。

 彼らの人格が真に尊重される時がきたら、モザイク越しでなく俺のキンタマがテレビ放送されるのか……。



     ▲



「キンタマだらけですね」

「うん」

「まあ下ネタですけどなんか社会派っぽくて好きですよ」

「良かった」

「けど、これを書いた秀さんが私との生活を書いたら、なんとなく私はこのキンタマのポジションですね」

「タヌキだったらキンタ君だったかも」

「タヌキじゃないです。アナグマでもハクビシンでもないです。レッサーパンダは野良にいません」

 軽くコロニスの地雷を踏んだらしい。


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