第2話 エリュティア 無垢な宝玉
「ああっ。ルミリア、ルミリア」
エリュティアは太陽に象徴される真理の神の名を感動と感謝を込めて小さく呟いた。まぶしそうに目を細めて空を見上げた彼女が頭を振るたびに、豊かな金髪が幾筋も陽を反射して黄金に輝かせた。
初春の日差しが柔らかく暖かい。その日差しが川面の小さな波に砕けて跳ね返って、無数の小さな輝きでエリュティアを包んでいた。
エリュティアというのは、そう言う境遇に包まれた少女だった。自身が純な輝きを持ち、周囲も彼女を輝きで包む。アトランティスの中央に位置し、豊かな穀倉地帯を抱えるシュレーブ国王の一人娘である。
『シュレーブ国を訪れる旅人は、自分の女の自慢話が出来ない』と揶揄される。
シュレーブを旅する者は、事あるごとに、酒場の主人や宿の賄い娘にまで、お国自慢を聞かされるのである。
「なにしろ、エリュティア様ほど神々に祝福された人は居るまい」と
もちろん、酒場の主人がエリュティアに直接会うことなどあるはずもない。旅人の話は、そういう一般の民衆までが、エリュティアの存在を祝福するほど、人々の敬愛に包まれながら育ったと言うことである。事実、彼女は素直さ、優しさ、従順といった大人が少女に求める美徳を兼ね備えていて、それを否定する人々が無かった。
エリュティアの足下で物音がして彼女を驚かせた。川面に目を移せば魚の鱗が陽の光を反射して輝いていた。
魚の跳ねた音だった、という当たり前の事が彼女を微笑ませた。ここはルードン河の上だ。アトランティスの大地を東西に貫いて流れる雄大な流れに身を任せる船の上だ。
甲板のほぼ中央に四本の柱で支えられた天幕があり、天幕の屋根には濃い紫色にルージ王家の旗が翻っている。エリュティアは天幕を出て、船尾側に上った太陽の暖かさを楽しんでいたのだった。
アトランティスの人々は『トライネが目覚めを運ぶ』という表現をする。植物の芽吹きに先立って大地の上を東から吹く季節風の女神トライネの神話に由来するに違いない。
春の暖かさに比して冷たく厳格な性格の女神であるという。そのトライネが彼女の髪を撫でている。まだやや肌寒い風である。エリュティアは両の掌で頬を包んで頬の冷たさを感じたのだが、それでも終始機嫌良く不満が無いらしい。
そのエリュティアの姿を見守っていた侍女頭ルスララが呟いた。
「ほんと、お人形のよう」
その表現も誤りは無い。侍女頭は彼女の手を引いて天幕に導いた。ほっておけば凍りついても機嫌良く景色を見ているかもしれなかった。
侍女頭ルスララはエリュティアをソファに導いて彼女の肩からガウンをかけた。
「温かいものでも用意して参りましょう」
若い侍女に飲み物を準備するように言いつけ、エリュティアに向き直って提案した。
「温かいものでも飲んで、少しお休みなさいませ」
ルスララはエリュティアの精神が少し高ぶっていることを気遣っているのである。もともと不満や不安といった感情が欠落しているのではないかと思うほどだが、その反動か、この頃エリュティアは夜に夢にうなされたり、昼間はルスララの手を意味もなく握りしめたりする。そしてエリュティア自身、その理由を説明できないでいるのである。
「ここはルスララに任せてゆっくり落ち着きなさいませ」
ルスララのやわらかでゆったりした口調に合わせて、エリュティアの呼吸もゆっくり静かになっていった。ルスララの手にエリュティアの鼓動が伝わって共鳴するかのようだった。
「ああ、ルビウスの声が聞こえます」
それがこの時の二人の最後の会話になった。
エリュティアが彼女に身を任せた。ルスララは腕に感じる重みでエリュティアが眠りに就いたことを知った。彼女はエリュティアが呟いたルビウスという小鳥の気配を感じ取ろうとしたのだが感じられない。ルスララは呟いた。
「もう夢を見て居られるのか」
そして、暖かなスープを持ってきた侍女に目配せをして不要になったと伝えた。エリュティアがルスララの腕の仲で小さな寝息を立てていた。
安心して身を任せるエリュティアが、実の子供のように愛おしい。
(聖都シリャードに着くまで、ゆっくりとお休みください)
そう思いつつも、一方では、アトランティスの女らしく不満を漏らした。
「まったく。男どもときたら。戦と政治の好きな馬鹿者ぞろい」
聖都シリャード。今回の旅行の目的地で、ルードン河の河畔にあるアトランティスの聖地であった。政治の中心地でもあり、この政治の中心という意味では総都(ラメス・スタジール)とも呼ばれる。
ルスララの不満は、政治に対して向けられている。ルスララに政治というものが理解できるわけではない。ただ、漠然と男どもがエリュティアを利用しようとしているように感じるのである。
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