第20話 ヤクモ

 雨粒が窓を打つ音が淡々と部屋に響いている。雨は苦手だ。湿気で義手の接合部が痛むから。物書きとして生きるようになって、先月二冊目の単行本を出版し、ネットの小界隈でもてはやされる程度の知名度を手にしたがだからと言ってリアルの自分に自信がつくわけでもなく。

 今日も私は部屋にこもって、SNSのタイムラインを追いながらダラダラと執筆作業をこなしている。


 大学の頃伝手をあたった義体コミュニティには前向きに人生を謳歌している人が多く、彼らの溌剌とした人柄には最後までうまく馴染めなかった。私には薄暗がりのこぢんまりとした部屋がお似合いだ。

 キーボードのタイプ音が雨音に混じり、不安定なリズムを刻む。


 昔っから引っ込み思案なところのある娘だった。同い年の女の子たちが煌びやかに着飾って街に繰り出すのを横目に見ながら、自分は部屋にこもって延々ミステリ小説を読んで暮らしていた。

 本さえあれば他に何もいらず、まあ気に入った作品の感想を言い合う関係に憧れたりもしたのだが、その頃ハマったネットの読書感想アプリに毎度長々と書評を投稿していれば十分気が済んだものだ。


 私の熱の入った書評は徐々にネットで評判を呼ぶようになり、中学二年の夏休み、ネットのフォロワーたちからの強い要望もあって、私は処女作を執筆し始めた。

 他人の作った文章を読むのと自分が制作するのとでは話がまるで違っており、度々つっかえながら、後戻りしながら、なんとか一文字一文字血を流すように絞り出して、結果その処女作は小説投稿サイトで軽くバズったのだった。



 有頂天だった。自分には才能があるのだ、それを認められたのだと舞い上がった。

 それから学校の勉強もそこそこに執筆の道にのめり込んでいく。朝も昼もなく、窓にカーテンを引きっぱなしにして、通販で買い込んだカップ麺をお供に寝る間も惜しんで小説を書き続けた。

 一日に飲むインスタントコーヒーの量が日に日に増えていき、やがてそれはエナジードリンクに置き換えられた。二徹、三徹は当たり前で、当時所属していたコミュニティで俄かに話題になっていた文学系の同人誌即売会に出品するようになってからは、それはもう締め切り前に怒涛の缶詰の日々を過ごした。


 俊才の女子高生同人作家、の肩書きがあるうちは、常にチヤホヤされていた。

 今思えばまともに小説そのものを評価してくれていた人は少数で、ほとんどのファン、フォロワーは女子高生というカテゴリに強く興味を示し、下心を隠して近づいてきていたのだとわかる。しかし当時の自分は、全てが自分の地の能力と努力の結果なのだと疑いもしなかった。


 若かった。本当に。


 その日も鬱蒼とした雨の降る、梅雨時期だった。大学受験を控えていた私は、しかしそこそこの偏差値の文学部にAO受験の末ほぼ合格の確約を取り付けており、相変わらず小説を書くことしか頭になく毎日部屋に篭ってキーボードを叩いていた。

 その頃には文学賞にも度々作品を応募していて、それも準入選や佳作をとっており、将来はプロの小説家だね、と両親も手放しで喜んでくれていた。

 何もかもが順調だった。

 そうして、ついに過労でぶっ倒れたのだ。


 点滴に繋がれて病院で目覚めると、深刻な顔をした両親と医者が天井の手前から寝ている私を覗き込んでいた。


「あっ、目が覚めた…」


 母はすでに涙ぐんでいる。そこまで自分は悪いのか、まさか死ぬのではあるまいな、という悪い予想がカチカチと頭の中で瞬き、その後の会話はぐわんぐわんと耳鳴りのようで、よく聞き取れなかった。

 ただ、医者が「右腕の靱帯がボロボロなので、今手術しないと二度と使えなくなります」なんてことを言ったのをいまだに一語一句鮮明に覚えている。


「小説を…小説を書かなきゃいけないんです」


 あくまでも押し切ろうとした私を慣れた風に宥めながら、その時まで医師の隣で大人しく佇んでいた男が名刺を差し出す。


「"ギア・コーポレーション、特別顧問、兼社長"…?」

「そうです。あなたの才能は素晴らしい。そこでご提案なのですが、我が社で最近開発した軽量型の新製品をご紹介させてくれませんか? あなたの新しい腕の話です」

「えっ、ちょっと待ってください、今手術すれば治るって…」


 隣から慌てて口を挟んだ母を、その社長だかなんだかという男はまあまあと押し留める。


「この手術は成功率が低いんですよ。神経を繋ぎ直す術式なのでね、それならば丸ごと義手にしてしまった方がリスクが少ない」

「そんな…」


 母が私よりも余程ショックを受けていたが、当の私はと言えば締め切りが迫っている文学賞のことで頭がいっぱいであった。


「どっちにすれば早く退院できますか」


 母を遮るような私の言葉に意味深に笑ったその男が、手早く契約書を作成し判を押すことを促し、あれよあれよという間に施術も済んで、リハビリはまあ適当に乗り切った。

 結果としてその時執筆していた小説は特設の賞をとり、私の出版デビューが決まったのであった。



 あの時の決断が正しかったのか、いまだにわからない。ただ、その男と関わるようになってから何もかもがやけにうまくいっている。私の小説は度々インフルエンサーの話題を攫い、ネットで拡散されて大層な評価を受け、まあネットの評価なんて実際の売り上げの一、二割にも及べばいい方であったが、口コミも手伝って初出版作は十万部の売り上げを記録した。

 何か上手くいきすぎていて怖いくらいだ。


 私にはその男が、私の片腕を代償にこの束の間の幸福をもたらした、神か悪魔のように思えるのだった。

 義手の継ぎ目がキシキシと痛み、私は痛み止めをコーヒーで流し込む。


 ああ。今日も生きてる。

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