第18話 ボウ

 もう何度こんなふうに朝を迎えたか、数えていない。今日も私はうつらうつらするたびに自分に襲いかかる巨大な異形の幻覚を見て飛び起き、傍に投げ出されていたボウガンを抱き寄せるのだった。


 「狩人」と呼ばれるさる伝の高給バイトについてから二年半が経とうとしている。この仕事を始めた当初はリスクの分楽しまなければ損だ、と、その法外な金額の給与明細を見て日々の贅沢な暮らしへの想像を逞しくしていたが、そうした真っ当な神経を保てたのはごく最初期のうちだけだった。

 相手が正気を失くしているとは言え、そもそもが人を殺す職務である。ボウガンで中距離から対象に矢を見舞うスタイルを定着させたものの、矢が彼らの肌に着弾して、ズブズブと肉を割きながら体にめり込み、そして内部から弾け飛び細かな肉片をあたりに飛び散らせるまでの実像が繰り返し繰り返し目の前に描かれる。

 その像が、平時にも何度も何度もフラッシュバックするのだ。


 正当防衛なんだ、こうしなければ誰かが、そして自分が死に面するのだとひたすら唱えて自分を納得させようとしたものの、被弾時に対象が上げる叫びや命を刈り取る瞬間のあのゾッとするような悪寒が自己正当化を許さない。


 そうこうしているうちに、街中で群衆に溶け込んでいる最中にも、絶えず周囲から自分を狙う爪や牙が襲ってくるのではないかという妄想に駆られるようになった。周りを取り囲んでいるなんでもない人々の方から、強烈な殺気を感じる…気がする。自分を近くからじっと見ているものがいる…気がする。今にも轟音が轟いて、日常がひっくり返される恐怖に怯える。

 次第に街に出ることをしなくなり、一日中マンションの自室で武器を胸に抱き、その上で気を張り詰め続ける生活に突入した。


 自分という核がもうどうしようもなく変わり果てていて、日常には二度と戻れないのだと痛感する。

 一年前に戦闘で失った足を補うために施術した義足が、本来あり得ない痛みを生じる。失くした左足が私に訴えているのだと思った。“お前は人殺しだ“。“もう二度と安穏とは生きられない“、と。




『オオイ、起きてっか』


 その日もボウガンを抱いてうとうとしていた私を、無線からの声が揺り起こす。

 元々スマホを持たない主義だったので、そうした昨今珍しいアナログ人間用に職場から支給される携帯無線機を使って仕事上のやり取りをしていた。携帯の着信と違って向こうからの通話をそのまま受信する無線機を、眠気に鈍る目でうろんに見下ろす。


『起きてんな? まあどっちでもいいが、要件だけ言うぞ』


 ここらの地区を統括しているパートリーダーの声だ。もっとも、この端末に連絡をよこすのは大抵はこのおじさんくらいなもので、特に「狩人」間の横の繋がりが希薄なここC区では、バディや班を組んで仕事にあたることも稀である。

 よその地区だと原則二人一組でことにあたると言うことにされている例もあるらしいが、C区の家屋の密集した現場では連携は却って手間になる。ほとんどの場合において単体で対象を殲滅することになっていたし、それが可能なだけの戦力を有していることがC区狩人にとっての必須条件なのだった。


『…お前、月一の定期検診サボり続けてんだろ。俺たちもウィルスで化け物に転じる可能性が常にあることを自覚しろ。いいか、一週間内に検診受けろ。結果が出るまで戦場には出さんぞ』


 言いたいことを言うだけ言って通信は切れた。もう向こうには聞こえないだろうと、深々とため息を吐く。


 戦場に出たいなどと誰が思うだろうか。誰だって死にたくはないし、その危険性がある場所にむざむざ出かけていきたいわけがない。本当は、もう命を奪う流れ作業はまっぴらだ。


 それでも今更、真っ当に誰かと笑い合う生活に戻れるはずもなく、戦場が私を必要としないならもう私に塵芥ほどの価値もない。

 左足に鎮座するギアーズを撫でる。部分移植した右肘と右腿の人工皮膚型のギアーズの施術痕がキシキシと不快な金属音を漏らすのだった。




「オオ、来たな」


 翌朝、だるい体を引きずりながら本部に出向すると、今しがた支部長室から出てきたらしいパートリーダーとすれ違う。案の定大袈裟に安心した身振りをして見せた彼は、体格相応にしてもデカい手のひらで無遠慮に私の肩を叩く。


「支部長も心配してたぞ。このところバイタルが安定しないようだし、お前ちゃんと食ってんのか?」

「…セクハラです」

「おおっとそうか。昨今はおっさんにゃあ生き辛い世の中だねえ」


 わざとらしくおどけて見せる。こういう態度のいちいちがカンに触るのだが、ジェネレーションギャップというやつだ、この世代のおじさんには今時の若者の機微など理解できないのだろう。

 無視して医務室へ向かおうとする私に、彼はぽんっと軽く何かを投げてよこす。ビニールの梱包容器に入れられた、今時珍しくないパウチの栄養補助食品だった。


「昨日発売のY社のゼリー飲料なんだが。ギア社の系列がプロモを請け負うことになったとかで、まあうちの支部にも大量に在庫が送られてきたんだと。そいつがお前の取り分だ」

「…いただきます」

「オオ、検診前に食っとけ。顔が真っ青だぞ」


 余計なひと言を付け加えて満足したようにその場を去っていく。その大柄な背中を見送ると、また一人でにため息が漏れた。

 …私なんかが、今更人間らしい扱いを受けるなんて。

 手にしたそれを乱暴に手提げ鞄に押し込むと、私も踵を返す。社内節電だとかで照明が絞られた薄暗い廊下を行く。


 どうせなら、私も化け物になって死にたい。それが私に相応しい。

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