第17話 ミカサ

 自分や自分の命に大して価値があるとは思っていない。私一人いなくなったところで、世界は何の変化もなく回り続けるだろうし、その限りいつどうやって死んでもそれほど変わりはない。

 だったらせめて何か大義のために消耗して死にたかった。


 小中高と学校に全く居場所のない半生を過ごし、自宅に帰れば成績の低さや人付き合いの苦手さを両親にネチネチと咎められ続ける日々。ネットで「死ぬ方法」「救われる方法」なんて言うワードを検索しては、そこに羅列される前向きな文面にさらに辟易した。


 ずっと死場所を求めていたように思う。

 そんな折に目に入った、何やら怪しいバイトの勧誘広告に吸い寄せられ、その頃大学でも肩身の狭い思いをしながらギリギリの生活をしていた私は「狩人」と呼ばれるアルバイトに就いたのだった。


「ミカサ先輩ー」


 今日も背後から甘ったるい声に呼ばれて振り向くと、このところ自分に付き纏っているバイト先の同僚がこちらに駆け寄ってくるところだ。

 手にはつい今しがた購入したのであろうクレープとタピオカが二セットずつ握られ、彼女の小さい手にその大ぶりの荷物は何とも絶妙に危ういバランスで収まっていた。放っておくと落っことしそうだったのでーーそして実際に過去、手にしていたアイスを地面に落下させてべそをかいていた彼女を覚えているのでーー抱き止めるように手を差し出すと、そこにポン、と収まった彼女はいとも幼い顔で微笑む。


「この前ネットのインフルエンサーが推してたクレープ屋に行ってきたんですよー。先輩の分も買ってきました、一緒に食べましょ!」

「甘いもん苦手だって言ってるのに…」

「そんな先輩でも安心、豆腐クレープです。甘辛いソースが絶品。ほら、食べて食べて」


 クレープというよりケバブのような、野菜がモリモリ乗ったそれを否応なく受け取って、口に運んだ。この子の押しの強さには敵わない。

 とはいえクレープはそれなりに美味しく、一緒に渡されたタピオカもたまに飲むとそこそこ満たされるものだ。大学に入って一人暮らしを始めてから、生活費の倹約のためにおやつどころか三度の食事もギリギリまで削っていたから、彼女がちょくちょくこうして美味しいものを手に突撃してくることには助けられている。

 いつものように代金を支払おうと財布を引っ張り出した私の手を、彼女は真っ白い小さな手で止めるのだった。


「うちは実家が太いんでー。これも親の金で買ったクレープなんで、気にしないでください」

「…正直、助かる」

「先輩はもうちょっと食べたほうが良いんですよ、鎖骨がくっきり浮いてるじゃないですか。女の子はちょっとは太った方がいいです」

「中年オヤジみたいなことを言う…」


 私の苦笑にちょっと笑って見せて、彼女は清潔なハンカチで指先を拭う。

 そして、急に神妙な顔になってスマホを取り出した。


「今日のヤマ、ヤバそうですね」

「“ヤマ“…。まあ、ヤバくない時の方が少ないけどね。なにしろ人を殺す仕事だから」


 いけしゃあしゃあと述べた私の顔をまじまじと見て、彼女は珍しくふっと小さなため息を吐く。


「自分には価値がないから、危険なお仕事も平気でこなす、って顔ですね」

「よくわかるね、まさにそう思ってる」

「いいですか、先輩がいなくなったら悲しむ人がいるんですよ。例えば私とか。だから…」


 そのあとの声は小さくつぶれていって、うまく聞き取れなかった。




「現場のデータ照会お願いします」

『オペレータ3、了解。データ転送を開始します』


 事務用AIの淡白な声を聞きながら、衛星にリンクされたスマホにずらずらと文字が表示されるのを流し見る。

 一応努力義務として現場の状況を頭に入れておくよう、バイトの研修でも口酸っぱく言われたし、契約後スマホに転送されてきたクソ長い契約書にもさらに念を押して記されていたのだが、まあしかしこんなものは家電についてくる説明書みたいなものだ。大体毎回似たようなことを繰り返すのみだし、そもそも家電を動かせればーー対象を殺せれば、何でもいいのである。


 そんなわけで今日も、情報照会はそこそこに獲物の大斧を握った。隣では仕事の後輩である彼女が、後方支援用のライフルを握りしめている。

 …その手が小さくカタカタと震えていた。


 仕方ない、彼女は自分とは違って、死場所を求めてこのバイトを始めたわけではないようだし、裕福な家庭で何不自由なく育ったようだから。彼女のどことなく上品な仕草や他人に対する愛情の表現の仕方を見ていると、この子が自分とは全く違った世界から来たお姫様であることをよくよく思い知らされた。

 だから、彼女を生きながらえさせ、優しい両親のもとに無事帰してあげることが自分の使命だ、と、このところ思うのである。


「援護頼むね。大丈夫。すぐ終わらせてくる」

「先輩…死なないでください」


 毎回彼女が言うこの言葉が、私を生に縛り付けるのだった。


「…じゃあ、行こうか」


 大斧を振りかぶり跳躍する。目の前で蠢いていた今日のターゲットが、ウィルスによって肥大化したその巨躯を翻し、暗く沈んだ眼差しをこちらに向ける。


 私のために、死んで。

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