第13話 イサワタリ

 場の空気はひどく澱んでいた。

 過去かなりの人の往来があった地下鉄の空間がごっそり彼らの根城になっているらしく、周囲には痩せほそった体をボロボロの布に包んだ浮浪者がかなりの数ゆらゆらと体を揺らしながら佇んでいる。ほとんどのものが薬物に手を染めているのだろう、その目からは正気が失われて久しく、口元には泡が吹いているし中にはよくわからない独り言を結構な大声で呟き続けているものも見受けられた。

 …致し方ないとはいえ、こんな場所に身を落とさねばならないとは。僕の身の上もいよいよ来ている。


 自嘲気味になりつつ、今はもう動いていないエスカレーターの段差を下に下にと降っていく。

 ここは結構な規模の地下街だったらしい。もうすでに全ての店にシャッターが下され、そうでない店は見る影もないほどに荒れ果てた店内の様子を晒している。その店内にもポツポツと怪しげな光を目に宿した人々の姿があった。

 なるべく目視しないようにしつつ先を急ぐ。


 薄暗い地下街を道なりに進むと、前方にぼんやりと明るい光点が臨まれた。それは近づくほどに眩さを増し、彼方からコツコツと靴音を鳴らしながら何者かが歩み出てくる。


「おや。お兄さん、“上“から来た人かな?」


 小さな少女であった。場違いに明るい笑顔を顔に称えたその少女は、ちょいちょいっと身軽な仕草で歩み寄ってくると、ニヤッ、と年相応の幼い笑みを見せる。

 よくよく見れば彼女の左腕は義手であり、どうやらこの場所がそうに違いないと合点した。


「ここに非正規ギアーズを施術してくれる闇医者がいると聞いてきた。…何でもいい、医者が必要なんだ」

「ふうん。まあこんなとこまでくる人は大体その類だよ。切羽詰まってる」


 まるで無関心なように言い放つと、ニヤニヤと笑いながら、少女はぽん、と僕の肩を叩いた。


「で。患者はどこ? なに、私の手にかかれば多少の手術などお茶の子サイサイさ」


 それが闇医者の少女、サワタリと僕の邂逅であった。



 サワタリの実家はさる名家の医学一家であり、代々の血筋がそうであったように彼女も医学書を絵本がわりに読んで過ごしていたらしい。その上彼女の両親がたいそう変わり者であった、というか子煩悩であったから、幼い彼女を「この子は将来なんとしても名医になる」と信じて疑わず、その資質を伸ばすために幼児期にはすでに執刀の立ち合いを許されていた。

 彼女は彼女で、当時からまともな幼女の神経など持っておらず、患者から切除した臓器や実験用のマウスなどをおままごと相手に暮らしていた。


 しかしまともな神経をもたぬ人間はどこかで道を踏み外すものであり、そうなれば相応の鉄槌が下るものだ。

 サワタリが十二になって数ヶ月経ったみぎり、ついにサワタリ家は没落した。


 で、一族総出で路頭に迷い、この地下街に身を移してなんとか浮浪者たちの医療を請け負って身を立ててきたのだという。


「どうしても医者のプライドだけは捨てられなくてね、私も、私の一族も」


 どうでもよさそうにサワタリは言うが、どうもそれは感情を清算し切っているからというよりは、まだ生乾きの傷が彼女の深層心理に深く深く横たわっているからであるように感じられた。


 この世界に生きているものは、多かれ少なかれ傷を負っている。

 その傷を見てみぬふりしているか、立ち向かってさらに傷つくか、そのどちらかでしかない。


 だったら全てを諦めて生きることにも、正当性があるというものではないだろうか。



 サワタリを秘密裏に実家に招いての非正規ギアーズ施術には、一日も掛からなかった。

 まさに魔法。としかいえないような見事な手腕でオペは進み、気がつくとはい、終わった、なんて言いながらポンポンと手を打つサワタリと、ギアーズを施術されたーー僕の姿があった。

 彼女に会う時にはフードを目深に被って隠していたが、僕は右目をとある事情で深く抉られていて、義眼を必要としていた。


 そうして彼女に頼って新たな光を得たというわけだ。感謝をしてもしてもし切れない。


「まあ、お代は十分にいただいたからねえ」


 幾たびも頭を下げながら礼をいう僕に、サワタリはいつもそっけない。彼女自身、もう誰とも深い関わりを持ちたがっていない様子が伺えた。

 だから、僕が彼女の何かになれたらと思った。…こんな気持ちになるのは初めてなんだ。



「闇医者、サワタリだな。医療法をいくつも犯している咎で逮捕状が出ている。きてもらおうか」


 ある時、僕たちの前にそいつが現れた。警察の、それも相当な暗部から派遣されたらしい公安局員。目が落ち窪んだ影の中でぎょろぎょろと光っており、それが僕のサワタリに無遠慮に注がれている。こいつを許してはいけない、と思った。


「逃げろ、サワタリ。僕に光をくれた君が、こんなところで捕まっていいはずがない」


 彼女を庇うように立ち塞がりながらボソボソと内談を持ちかける僕に、少女は滅多に見ない穏やかな笑顔を向けた。


「いいんだ。もう、疲れた。この世界じゃ誰も彼も、正しくなんか生きられない。私はもう、十分に楽しんだよ」


 いつかのように僕の肩をポンと軽く叩いて、そいつとともに去っていく。情けないことに僕は、追い縋ることもできなかった。



 そうして、今もサワタリのいない世界で、僕は空虚な毎日を噛み締めている。誰も正しくなんか生きられない、といった、彼女の言葉がしんしんと降り積もっていった。

 あの地下街も、まもなく封鎖されるらしい。街は僕から、全ての思い出を奪っていく。


 せめて、サワタリがくれたこの目で。


 僕は彼女が遺した医学書を紐解き始めた。

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