第9話 灰原

 私の生まれ育った町は年がら年中灰色だ。

 生まれながらに左半身の発達が弱く、中学卒業を機に体の左側をギアーズに換装した私を励ましてくれたのは、お世話になった医療技師だった。


 ギアーズの発売元であるギア社の末端職員であるその技師先生は、私がリハビリの度に傷める患部周りを丁寧に施術しながら言ったものだ。


「きっと今、君にしか為せない事がある。私もその手伝いが出来ればと思うよ」


 それ以来有志で町の清掃に当たっている。この灰色の街を少しでも彩れないかと。




「チームを抜けたいんですけど…」


 ああ、これで今月に入って三人目だ。

 清掃チームのリーダーとして、脱退願のチームメイトの相談に応じながら、心中大きなため息を吐く。


 「ギアーズ施術者でありながら街の為に清掃を行う少女」という肩書は大層センセーショナルだったようで、半年前清掃チームを立ち上げた際は、協賛してくれる地元の商店やチーム参加者がどっと募ったものだった。

 自分にも出来ることがあったのだ、先生の言った通りだった、と、喜んだのもつかの間、高校の学業の傍ら事を為すには苦労の連続であり、早くも私の心は折れかけていた。


 清掃と言ってもチームでことに当たるわけだから、随分と大規模な活動になる。

 結果チームをいくつかの班に分けて、それぞれにパートリーダーを立てての活動となったが、それぞれで思い描く活動の趣旨が違い過ぎて、当初からチーム内で幾つもの小競り合いが起きた。

 やれ、自分はちゃんとやっているのにあの人は真面目に活動しない。やれ、人気取りの小娘が全体のリーダーを任されているなど分不相応だ。やれ、もっと地元メディアなどに取り上げてもらって活動を拡大すべきだ。


 それらの声が逐次パートリーダーを通して私の元に集まってくる。

 ただのゴミ拾いくらいのものを予期していた私にとって、これらは全く晴天の霹靂というやつであった。



 しかして自分が立ち上げ、この規模に膨れ上がったものを早々にたたむ訳にもいかない。

 バイトが忙しくなったからチームを抜けたい、という今回の相談者と渡りをつけて、事務所にさせてもらっている地元商店の一室を持した頃には、とっぷりと日が暮れていた。




「おや、こんな時間までやっていたのかい」


 誰かに呼び止められて、振り返ってみると、技師先生が人の好い笑顔でこちらに手を振っている。その顔にひどくほっとさせられてしまい、危うく泣き出すところだった。

 涙を耐え、笑顔を作ってこちらも手を振り返す。


 先生は今二十代後半だそうで、叔父にあたる人の家で間借りして暮らしながら医療技師という仕事に当たっているのだと、一年前のリハビリ時聞かされていた。給料が十分に出ないのか、と随分ぶしつけな質問をしてしまったが、先生は笑いながら「何かあった時の為になるべく貯蓄するようにしてるんだよ」と律儀に答えてくれたものである。


 その先生に誘われて、ほど近くにある夜もやっているようなファミレスに入った。両親には友人に誘われて遅くなる、と言ってある。

 「友人」という形容もまあ間違いではない気がしたが、私はこの人に何か特別な感情を抱いているのではないか、と、この所気持ちが弱る度に頭をよぎるのであった。


「活動のほうは上手く行ってるの?」


 運ばれてきたミートパスタをつつきながら先生が聞く。なんとなく事実を答え難くて、「ええ、まあ」なんて言葉を濁すと、先生は急に真面目な顔になって、


「また無理してんじゃないだろうね。君の担当として看過できないよそれは」


 なんて優しい事を言ってくれる。これだから困るのだ。きっとこの人は誰に対してもこんな風なんだろう。でなければ、本当に困る。


「大丈夫ですよ。先生に施術して貰ったギアーズも凄くイイ感じです」

「そう? …まあいいか。ああ、でも”先生”はやめてね、僕はそんなイイもんじゃない」

「私にとっては先生です。ずっと」


 言葉に力を籠めると、先生は恥ずかしそうに笑って、ぐるぐるとフォークで皿の上を掻きまわした。


「君にそう言ってもらえることは素直に嬉しいけどね。まあ、頑張ろう、お互い」

「はい」


 私もきつねうどんをごちそうになって、その日は別れた。

 去り際、先生が軽い足取りで人ごみに消えていくのを、こっそり何度も振り返って見つめた。


 そうだ、私にしか為せない事がある筈なのだ。




 翌日は清掃活動の予定日だった。朝から駅前に集合して、パートごとに分かれて街の清掃に当たるという予定だったが、相変わらずチームの統制がとれておらず、遅刻してくる人間はちらほらいるわ、飽きてサボる人間がいるわ、散々である。


 私の苛立ちを見て、補佐に当たってくれている同級生の女の子が心配そうにこちらを見る。


「大丈夫? 汗凄いけど」

「うん、ちょっと寝不足でさ」


 とっさに嘘を吐いたが、その日は義体の接合部が妙な熱をもって、体調が悪かった。寝起きにも若干悪寒と頭痛がしたが、休むわけにはいかない、と風邪薬だけ飲んでようよう出てきたのである。


『二班、活動終わりました』

「お疲れ様。ゴミ袋例の場所に置いて、もう班員さん達も帰してもらっていいよ。今日もありがとね」

『お疲れ様です。ただ、あの…班員の中学生男子が活動中ずっとふざけてて。私から言っても聴かないんで、リーダーに一言叱ってほしいんですけど』

「そっか…うーん」


 そもそもが上に立って人の面倒を見るという事が得意な性分ではない。いつもクラスメイト達が騒ぐのを教室の後ろから見ているような生徒だったし、両親もあまり活発なほうでなく、小さい頃はずっと一人で本を読んでいるのが好きだった。

 そんな私が、中学生とは言え男の子に意見か…。


『バシッと言ってやってほしいんです』

「うん…分かった。今からそっち向かうから、座標送って」


 端末での通話を終了して、アプリに贈られてきた座標を展開する。そのまま班員に断って現場に向かった。


「あんたがリーダーなんだ?」


 待ち合わせ場所では、見るからに手を焼いているパートリーダーの子と、これまた明らかにこちらを舐め腐っている男の子が待っている。


「傍から見てたけど手順がめちゃくちゃだね。あんたみたいなのが頭にいたんじゃこのチーム、長くもたないよ」

「それはそれ。これはこれ。あなたがふざける理由にはならないよね」


 なるべく固い声を取り繕ってとりあえず叱ってみたが、すると男の子は目を丸くしてこちらを見た。


「へえ…言う時は言うね。どっかの恵まれたお嬢さんだと思ってたけど」

「あなたねえ…上級生にそういう口の利き方は…」

「あんたと話してない」


 口を挟んだパートリーダーを威圧し、男の子は一歩こちらに近寄って私の顔を覗き込んだ。


「俺の親父、市議会議員なんだ。俺に舐めた口きいた事話したら、この活動どうなるかな?」

「私にモノ申したと思ったら、今度はお父さんの権威をちらつかせるの? あなた、ガキね」


 言ってから後悔したが、頭に血が上ってしまったものはどうしようもない。

 しかしこの切り返しは彼にとっては地雷だったようで、今度こそ雷に打たれたような顔をしてその場に棒立ちになった。

 息を整える。


「あのね。あなたはどうか知らないけど、チームの人間は大抵が本気でやってるんだよ。私も本気でやってるつもり。そこに介入して好き勝手やる事は、私たちの気持ちを踏みにじる事だよ。これからも活動に参加してくれるつもりなら、それを覚えておいて」

「…クソ」


 がんっと八つ当たりにそこらの自販機を蹴飛ばして、男の子はその場を去って行った。パートリーダーの女の子はしばしそちらを呆然と見つめていたが、我に返ってぱっと笑顔になる。


「やるじゃないですか。見直しました」

「うーん…今ので良かったのかな」

「正解かどうかが問題じゃないんです。行動するかしないかです。そして、あなたはやりました」


 正直ガツンと言ってやった手ごたえなんてものは微塵もなかったが、その日は気持ちがふわふわして、この所の自分へのご褒美だ、とネットでほしかったマスコット人形を二体ポチった。


 きっとこんなことの積み重ねが未来を作っていくのだ。だから、今は不格好でも間違っても、とにかく次を打ち続けるしかない。

 先生の顔を思い出し、次に会った時にはどんな会話をしようかと逡巡して、その日も暮れていく。

 マスコット人形の片割れは、先生にプレゼントしよう。そして、いつか。

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