第54話 日々雑感

 正月が来る前に技術派遣の連中は元の会社に戻されることになった。

 デキナイ課長はこの会社の中で唯一自分を尊敬してくれる油おじさんを残そうとした。

「この人は残しておいて」

 デキナイ課長の望みは果たされなかった。課長の気持ち一つで月80万円の金額は払えない。

 うちの課の昼ギツネ課長に相談されて、四人の中で一番新人の女の子を残すことにした。プログラミングはできないが課内の雑用を積極的に片付けてくれるので大変に助かる。

 それに加えて残りの派遣の連中とは異なり彼女だけはひたすらに学んでいる。雇う価値はあるわけだ。

 今回切られた技術派遣の連中は猫の手ほども役に立たない。ぶっちゃけこの一カ月の間に役に立つコードを一行すら書いていない。

 かかった五百万円の人件費はすべてドブに捨てられたのだ。だから面接で私が弾いたのに。これは全部S部長に媚を売ろうとする昼ギツネ課長とイエスマンMの責任だ。


 女の子を残すと聞いて昼ギツネ課長の顔に嫌らしい笑みが浮かんだ。何を考えているのか誰にでも判る笑みだ。自分がどれだけ他から判りやすい人間なのか本人は自覚していないのが可笑しい。もっとも自覚があれば、下卑た考えをするときは表情を隠すようにして、もうちょっと周囲から高く評価してもらえるだろうに。

 やれやれ。



 会社の中は濃密な人間関係の塊だ。

 お茶を汲みに給湯室に行く。

 狭い給湯室の奥に書記の女の子がポットを持って立っていて、その出口をふさぐように男の社員が立っている。男はなんとか書記さんを口説き落とそうと必死で、背後にコーヒーカップを持った私が立っても気づかない。ひたすらにくだらないことを喋り続ける。

 情けない。いったいいつから日本男児は背後に人が立っても気づかなくなったのか? などと時代錯誤のことを考えながらも、面白いのでそのまま背後に立ち続けた。女の子はこちらを気にしてちらちらと見ているのだが、それを自分に気があるのだと都合好く勘違いした男はますます口角泡を飛ばして迫る。

 このシチュエーションは、どこまで行くのかな?

 手にしたカップを意味もなく揺らしながら、待った。

 五分が経過した。ようやく自分の背後をちらちら見る書記さんの視線の意味に気づいたのか、男が振り向いた。どうも、などとつぶやきながら、そそくさとその場を立ち去る。

 ふむ。ああはなるまいと考えながらコーヒーを入れる。

 まったく男ってやつは。



「いや~、人生観変わったね」

 香港国際空港に出張に行っていた同僚が感想を漏らす。

 そこに納入したプラズマディスプレイモニタを見に行ったのだ。

 そこで電源が火を噴き、ディスプレイの送風口から炎が轟轟と噴き出したのを見たらしい。

 それは恐ろしい光景だったそうな。



 映像部にはたいがい一人は画像の専門家がいる。

 仕事の一つはディスプレイの色温度の調整である。RGBの発色レベルを調整し、できるかぎり自然に近い発色を選ぶのが仕事である。

 いくつか異なるはずのサンプルを見せて貰ったがどれも同じ色に見える。この課の中でこの色温度の違いが分かるのはその人だけである。

 ワインのテスティングと同じで、映像のプロは素人が見分けられない色を見分けられるという話であった。



 社員の中にTシャツとGパンで出社してくる者がいる。

 彼の問題はもの凄い異臭持ち。全身から汗が腐った鼻にツンと来る酸っぱい匂いを発散させて職場に乗り込んで来る。

 それが暑い夏に自転車で通勤してくるのだ。

 もちろん会社にはシャワー室など無い。周囲5メートルは満遍なく爆撃される。誰がどんなクレームをつけても本人は聞く耳を持たない。

 実験室に入り浸る人間で無くて良かった。もしそんなことになっていたら殺人事件に発展していただろう。

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