第49話 黒ヤギさんからお手紙ついた

 研究所の所長のK氏から手紙が来た。

 一体何だ? まあ、クレームの類だろう、と中身を読んでみた。

 クレームだった。

 一見技術的な質問状のように見えるが、中身は小学生が書きそうな言いがかりが並んでいる。


 ええと、何なに?

 当会社には伝統の通信フォーマットがあり、それに従っていないのはうんぬんかんぬん。

 伝統の通信フォーマットだあ?

 そんなものがあるなんて知らないぞ。どうして誰も教えてくれなかったんだろう。事務所フロアの片隅にある文書保管棚を探ると、確かにあった。というより誰も触った形跡が無い。ただの黄ばんだ古文書である。

 誰も教えてくれないわけだ。誰も知らないのだから。


 ざっと中身を見て、問題なしと判断した。この通信フォーマットは疎結合でなおかつ対話的な場合に適用される。うちのシステムは密結合で自律システムに結合するから土台が違う。例えるならばマグロとイワシぐらいの違いがある。船の規模から漁法まで取り扱いが異なるというわけだ。マグロの一本釣りはアリだが、イワシの一本釣りはナシである。

 疎結合で対話的というのは、通信線の先に人間がいてコントロールする形態を意味する。人間というのは便利なもので、操作の上でエラーが生じれば同じコマンドを再度打ち込んで確かめるし、様子がおかしければ上司に報告するか、代わりに仕事をやるお人好しを見つけに行く。何も言わずにクレーム電話を切るのは公務員の得意技だが、それもまあ対処法の一つだ。


 ところが密結合で自律的な場合は話が全然異なる。通信線の先にはコンピュータがいるので、まず大事なのは通信が途絶しないこと、そして途絶した場合の検出とリカバリーができること。言葉にすれば簡単だがこれは途轍も無い難事なのである。極言すれば一種のAIを相手先として埋め込むのに等しい。

 その辺りを全然理解していない質問状は滑稽なのだが、この手紙が渡ってくるまでの間に目を通したに違い無い課長も部長も内容を理解することはなく、きっと研究所所長は何と凄い技術屋なんだと思っているに違い無かった。

 裸の王様がやっていけるのは、国民がそれに輪をかけた間抜けだから。単純な真理である。この場合、王様が裸だと告げた子供は王に対する反逆罪で死刑になる。私がそうであったように。


 ざっと質問状の回答を書き上げる。自分で読み返してみて苦笑した。色々と侮蔑と皮肉が効いている。これでは必ず喧嘩になる。もっとも喧嘩を売って来ているのは向こうなので、真面目に回答しても向こうに取っては喧嘩状になってしまうのは当たり前である。

 K所長は自分の発言にイエスと言わない者は敵とみなす人物だ。

 大人のやり方で、もっと柔らかな表現にして再度回答状を書き上げてから、課長に渡した。

 昼ギツネ課長が血相を変えて飛んで来た。

「うん、ボクはあれでもいいと思うんだけどね。やっぱりもっと表現がね。こっちで書き換えて出していいかな」

 どうぞご自由に。いつも私に断り無しに勝手にやっているではないですか。どうぞご自由に。きっともっと卑下した表現に書き換えるのだろうな、と思いながらも放っておいた。

 数日経って、研究所の所長が激怒しているとの噂が伝わって来た。


 あはははは。へらへらと笑った。要は地べたに頭をこすりつけて土下座して、貴方は偉い、その通りです、何て賢い人なんだ、と言わない限りは許さないのだから、何をしても無駄だ。 今後二十年分のブラックリストに載ってしまったなと思いながらも、まあ、いいやと放念している自分がいる。



 この話を聞いてN課長が教えてくれた。

「実はな。ウチの課もあそこに仕事を依頼したことがあるんだ」

 結果出て来たものはバグだらけだったらしい。それでバグ報告をまとめて上にあげると、研究所長からクレームがついたという。

「このバグ報告取り消せ」

 絶対に取り消さなかったけどな、とN課長は笑った。


 どうしてこんな所長が周囲の管理職の中では切れ者と言われているのかには訳がある。以前にこの所長についていたブレインができる人で、一切を取り仕切っていたのだ。つまりは所長もまた妖怪おぶさりてぇだったわけだ。

 そしてそのブレインが辞めてしまったせいで、見事に馬脚を現し始めたというわけだ。もっとも周囲の事業部長や部長がみんな同じぐらい馬鹿だったためにそれは問題にはならずに今ここまで来ているという。

 みんな大事なお遊戯仲間なのだ。身内で必死に傷のなめ合いをやっている。


 しまったなあ。こんな会社ごっこやっている会社なんて入るんじゃなかった。

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