第47話 狙い済ました一撃

 アップル社の創業者として有名なのはスティーブ・ジョブズ氏だが、昔は二人のスティーブと言われていた。創始者のもう一人がスティーブ・ウォズニアックという名前だったからだ。

 ウォズニアック氏は技術者に絶大な人気があった。引退してから長いのですでに過去の人になってしまったが。


 アップル社が最初に作ったパソコンである「アップル」は、まさに当時のスーパーマシンであった。昭和五十年代で一台四十万円するパソコンは破格の値段ではあったが、その性能もまた破格であった。他のパソコンが緑モニタの一色で、キャラクタグラフィックと呼ばれる偽グラフィックをやっていた時代に解像度は今よりも低いがフルカラーのドットグラフィックをやっていたのだから凄い。


 バイト代と親を泣かせて学費融資で借りたお金でアップルを手にいれた大学時代の私は、このパソコンを文字通りしゃぶり尽くした。付属の回路図から初めてモニタと呼ばれる今のOS(オペーレーティングシステム)の走りまで、すべてを学んだ。

 大学時代はコンピュータで始まりコンピュータで終わった。


 またこのマシンは本当に凄かった。

 回路は極限まで削られ、ブロック崩しゲームなどに使用する回転パッドは可変抵抗とコンデンサが1つというシンプルな回路の極みで構成されていた。部品数が少ないのは手抜きではなく、極限の工夫の結果に現れる実に洗練された設計なのである。

 特に凄かったのは2Kバイトで構成されたモニタプログラムで、天才の作というのはこういうものかというのが理解できた。

 内部に組み込まれている逆アセンブラはデータも含めてわずか四十七バイトで構成されていた。これだけのバイト数で修飾子付の逆アセンブラができるなんて今では誰が信じよう。だが、ウォズニアック氏はそれを実現していた。

 長距離ジャンプ命令は通常命令コード1バイトにジャンプ先アドレス2バイトの計3バイトで構成されている。このアドレス部分に飛び込むことで、アドレスそのものを命令コードに読み替えて動作するなどというトリッキーな部分もあった。これは例えて言うならば、空飛ぶ鳥に小石をぶつけて落とし、跳ね返った小石をもう一匹の鳥にぶつけるのと同じぐらいの難易度だ。

 その発想と現実にしてしまう技術力は、すでに人間のものではない。まさに狙い済ました一撃というもの。

 彼はまさに技術の神とでもいうべき男であった。

 そして人格的にも素晴らしい男であった。

 それもあって決して日の当たるところに出して貰えることのない全ての技術者が彼を高く評価しているのだ。


 多くの技術者が彼はまた何か奇跡を起こすぞと期待して見守っていたが、彼自身は近所の子供たちにパソコンを教えて暮らす方を選んだ。実に残念である。


 そういったところからプログラムを学んで来ているので、プログラミングには自ずから厳しい態度になってしまうのは、むしろ自然だ。プログラムというものは、きっちりとしていて、完全に動き、さらには美しくなくてはいけない。

(後にコードを埋め込む容量が足りないというのが会議で議題に上がったときに、アホの子のK所長が言ったそうな。『コードを半分にする技法を使えばいいじゃないか』。どうやらどこかで私がした話を中途半端に聞き齧ったらしい。もちろんそんな離れ業は偶然と才気の産物だ。毎回できるはずもない。K所長は情報量保存則も知らない間抜けらしい)

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