第43話 激流

 激務が続いていた。

 最初に計画を立てたとき、全工程をこなすのに6ヶ月と見た。昔から私の予想は当たる。

 もちろんこの中には残業予定がたっぷりと含まれている。

 だいたい二ヶ月休み無く働くと人は壊れ始める。そのまま後半年働き続けると、鬱病になるか、自殺するか、体を壊して入院となる。そしてこれが二年間になると必ず廃人となる。

 しかし、他の課の人間がのんびり生きることを決意すると、そのしわ寄せは大概、下流工程であるファームにやって来る。

 製品仕様を書くべき人間が仕事をサボって白紙の仕様書を出せば、ファーム部隊が調査も何も行う羽目になる。ハード部隊が基板を出すのを二週間遅らせれば、その遅れを穴埋めするのはファーム部隊の徹夜仕事となる。

 おまけにこれら仕事をサボった連中は自分たちが仕事をサボったことなんか誰にも言わない。だからすべての仕事の遅れはファーム部隊の責任とされる。

 理不尽だ。

 そこに例の派遣の連中の投入だ。ほぼ四人だけで仕事をこなしているところに、派遣が三人放り込まれた。全く役に立たない派遣たちだが、現場を知らない間抜け部長クラスから見ると頭数だけは揃ったことになる。使えない派遣を何とかしろと昼ギツネ課長に言っても、ただ部長が怖いだけの課長は上に何も言わない。

 結果として人数が増えたからと言って予定工数はさらに半分に減らされた。

 悲鳴・・・である。

 もう何を言っても無駄と知ったので、何も言わずに朝から深夜まで仕事する。

 キーボードを叩いているとたちまち二十個近くのコード画面が開き、そのデータの中を素早い魚のごとくに泳ぎまくって関連するコードをどんどん書いていく。

 一段落してはっと気づくと時計の針が二時間ほど跳んでいる。

 人間の集中力はどれだけ訓練しても四十五秒が限界なのだから、数時間の集中はすでに人間の技では無い。プログラマーの間ではこれをフロー状態と呼ぶ。もちろん意図してできる技ではない。

 もちろんこの状態は体にも心にも大変に悪い。


 ふと思いついて、自分がどれぐらいのコードを書いているのかを計算してみた。簡単なプログラムを書いて、コード中から実際に動く部分を抜き出して行数を数えさせてみる。クソがつくのに忙しいのにこんなものを作っているのだから、すでにこの時点で頭はまともじゃない。

 結果は月に九千八百行とでた。書くだけではなく、デバッグ済みの完全に動くコードのレベルでだ。

 以前に読んだことがある。平均的なIBM社のプログラマは月に三百十四行のプログラムを書く。それから見ると、私の作業はIBM社のプログラマ三十人分をこなしていることになる。

 どこか計算がおかしいのかって? とんでもない。

 ソフト工学での実測によると、ピンのプログラマとキリのプログラマは約二十倍の生産力の差がある。これに私の天才補正を加えると三十人分の働きは不思議ではない。

 さらに計算してみた。プログラムの値段は今も昔も一行につきほぼ二千円の制作費がかかる。これはアセンブラの時代もC言語の時代も同じだ。高級言語になって1コードでより複雑なことができるようになっても、コードが複雑になった分だけ作るに時間がかかることで相殺されている。これも奇妙な経験則の一つと言えよう。

 ええと・・・私が一ヶ月で書いているのはほぼ二千万円。IBMプログラマの人件費が月60万円とすれば三十人分だからだいたいその辺りの金額になる。

 Q.E.D。


 ぐは、心の中で血を吐いた。

 ここまで稼いでいるのに、どうして周囲から責められる?

 あなたのように有難い社員は他にいませんと事業部長が頭を地面にこすり付けて褒めに来るならともかく、現実はその逆だ。

 部長に至っては会議の席上で、どうしてあいつを辞めさせないんだ、と喚く始末。

 ええ、結構ですとも。私をこのプロジェクトから外すなら外しなさい。その代わりに三十人ほど誰かを雇って代わりにプログラムを作らせればいい。

 しかし、この派遣の人たちのような自称プログラマでは三十人が百人でも決してプログラムは完成しないだろう。人間は自分の頭より複雑なものは作れはしないのだから。

 情けない場所に流れ着いてしまったなと思いながらも、三ヶ月で三万行のプログラムを書き上げる。

 もう駄目だ。休みが欲しい。死にそうだ。


追記)

 IBMプログラマの生産性は最低だがそれには理由がある。仕様書から取り扱い説明書まで完全なドキュメントと設計を行うからだ。


「電球を一個取り換えるのにIBM社員は何人必要か?」

「百人。一人が電球を取り換え、残り99人が電球を取り換える仕様書を書く」


 IBMの有名なジョークだ。

 基本的にIBMのソフトの現場ではバグが3個出たら、仕様書から作り直すのが鉄則なのである。

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