第30話 春の蝶ちょ

 ようやくシステムの大部分が出来上がり、安定してきた。ほっと一息、である。やたらとT氏がやってきてリモコンをいじくる。

 他に仕事は無いのか、この人は。

 ハラワタを煮えくり返していると、T氏が画面を指差してバグがあるよ、と叫ぶ。ええい、バグがあるなんて判っているわ。

 まだデバッグ中だよ。誰がテストしてくれと言った?

 むすっとした顔で返事もせずにキーボードを叩く。それでも指だけはあくまでもソフトにキーを叩いている。怒りに任せてキーボードを手荒く扱えば、壊れて泣くのは自分自身である。部下には女性の乳を触るように優しくキーボードを扱えと命じてある。

 その点ではT氏は真逆である。仕事をするのをアピールするためか、キーボードに指を叩きつけるようにて音を立てる。この打ち方をする人間は総じて仕事をしない。これで一日キーを叩けば間違いなく自分の指がいかれるからである。

 新人君がT氏の真似をしてこの押し方をし始めたときには厳しく言ってやめさせた。



 ある日、事業部長が管理職連中を引き連れて、アポも無しに開発中の製品の視察にやってきた。実験室にいきなりお偉方連中がずらりと並ぶ。

 きっと会議の最中に気分が盛り上がってその流れで来たのだろう。

 目の前にあるのは現在デバッグ中の大型プラズマモニタ。

 するとどこからともなく、ひいらひらとT氏が飛んで来た。

 目を皿のようにして管理職の動向を伺っていたのかこの人は、と呆れた。

 T氏はそのままプラズマモニタの前に置いてあったリモコンを取り上げると、それを操作しながらお偉方連中に説明を開始した。

 ええ、このメニューはこうなっておりまして。

 これはこう、それはああ。

 この人はこのためにしつこくリモコンをいじっていたのか?

 渋い顔でそれを眺めている私。この人、ウチの課員ではないよな?

 白紙の仕様書を提出しておいて、よくこんなことができるものだ。なんて恥知らずな人なのだろう。そう思った。

 T氏が三十分ほど説明するとお偉方連中は満足したらしく、T氏に礼を言って引き上げた。


 この瞬間、朝から晩までリモコンの調整を行って来たS君の成果も、一人で黙々とテレビチューナーを作って来たN君の手柄も、退屈なソース管理業務をきちんとこなしてきた新人のS君の仕事も、すべてがこの人の業績へと化けた。

 この人には前の前の会社のときから泣かされ続けてきた。仕事はサボる。手間はかける。人の仕事にたかる。だが、それでもここまでは我慢してきた。だが、これは許せない。大事な部下たちの仕事の成果をタダ取りして、うまくやったと思っているこのクソ野郎Tを心底憎むようになったのは、この時だ。

 してやったりと笑顔を浮かべて去るクソ野郎の後ろ姿を見ながら、煮えくり返るハラワタの置き所が無かった。

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