第5話 お遊戯

 取りあえず、資料の読み込みを始める。仕様書は総て手書きの資料である。箇条書きにされたエアコンの運転条件が適当な順序で書かれている。

 今回の言語変換作業は新しいエアコン機種に対して行い、それがうまく行けば他の機種にも適用する計画となっている。

 まずはエアコン動作のお勉強である。


 機構部品部から通知がありエアコンの原理的な動作の説明を受ける。

 その後に簡単なテスト。

「間違ってますよ」

 テスト結果を見ながらニヤニヤしながら担当の人が言う。

 へ? どこが?

 どこが間違っているかは教えてくれない。

 馬鹿野郎。それでは教習の意味がないだろ?

 つまりマウントを取りたいだけのセリフだ。こういう態度を取る人は多い。どうせ間違っている内容も実にくだらんことだろうと考え、敢えて訊かずに帰る。

 自分の仕事よりもマウント取りを優先するのは子供の幼稚な考え方だ。

 彼にとってはそれは神の知識なのかも知れないが断熱圧縮冷却のメカニズムなど大して複雑ではないので別に興味はない。


 新人たちにはC言語のお勉強として、C言語のバイブルと呼ばれるカーニハン&リッチ著の『C言語プログラミング』という本を勧めておいた。お値段一冊二千円程度。技術書への投資は技術者の宿命だ。躊躇わず買え、と命じる。 ちなみに私はこの本を三冊持っている。

 一つは仕事場で見るためのもの。もう一つは自宅で見るためのもの。そしてもう一冊は無くしたときのための予備である。さすがに観賞用にもう一冊とまでは行かなかった。


 いつも新人には本を読めと勧める。仕事を一瞬でも速く片付けて、余った時間で本を読め、と。T氏がやっているような暇潰しのための読書ではなく、技術力をつけるための読書である。

 一部には先輩は手取り足取り後輩を教えるのが義務だと嘯く人間もいるが、交配がやらかした失敗の後始末に忙殺される先輩に余分な時間はない。技術が欲しければまず本を読んで下地を作っておかねばならないのだ。

 技術の腕を上げるには技術書を読むのが一番近道だが、それでも自ら本を読む人間は少ない。それでもこう説明されて自ら本を読む人間は成長する。克己する心、向上しようとする心、努力する心。こういう人材に恵まれた職場は幸せである。


 ベテラン一人はハード担当だ。資料に書かれていない部分を訊く相手でもある。だがこれが実に頼りない。まともに頭が働いていないのが傍目にもわかるほどである。

 念のために回路図を貰う。組み込み系ソフトをやる際に必須なのは回路図である。CPU回りの情報だけを流して来るハード屋さんもいるが、私は基本的に必ず回路図を貰うようにしている。

 それは何故か?

 回路図以外は信用できないためである。

 例えばCPU回りの情報だけを流して来る場合、回路図と照らし合わせると大概間違っている。今まで色々な所で仕事をしてきたが、流して来た情報と回路図を正しく一致させていたハード屋さんはたった一人しかいない。他は全部間違っていて、そのケツ拭きは全部ソフト部門がさせられた。

 だから回路図は必須だ。今回も例外は無い。

 ざっと回路に目を通す。

 やはり間違っている。同じ名前の信号線が二つある。ということはハード設計用のツールできちんとチェックしていないということであり、このベテランハード屋が他所に出す資料を目視チェックしていないということになる。

 つまりズボラなのである。さらにはこういう人間を新規プロジェクトに割りつけてくるハード部門のI課長はこのプロジェクトを快く思っていないということを意味している。


 やれやれ、またか。この会社も会社をしていない。やっているのはマウント合戦の会社お遊戯だ。会社の利益や仕事の行方よりも、自分の歪んだ嗜虐趣味や優越感を優先する。

 人間というものはすべからく自分の欲望や感情をむき出しにして、見え透いた嫌がらせをするしか能が無いのだろうか?


 心の中に湧いた思いは消去し、仕事に集中する。仕事は仕事だ。私自身は手を抜く気はまったくない。

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