第十九話 通判家の怪 終

 儀式当日。僧侶に言われた通り、ぼくはそれまで斎戒沐浴して身を清め、また儀式の際側で立ち会える様話を通しておいた。漢語が話せないぼくにとっては大変な難行だったが、何とか舞台を整えることができた。日が沈み、夜がやってきたころ。


 身代わりになる劉老僕の寝台と、楊通判の骸が入った棺が向かい合わせに並べられた部屋の隅に、ぼくは座っていた。部屋の隣には道士によって祭壇が設けられ、儀式はそこで行われるという。


「魂があらぬところへ飛んで行ってしまわぬ様、鍵をかけさせていただきます」


 ずっしりと重い鉄扉が閉じられ、外から重い錠前で鍵がかけられる。中に残るぼくを見た時、道士は気味の悪い笑みを浮かべていた。


「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」


 寝台に寝かされた劉老僕はずっともごもごとそう唱えている。本当に、何処までも健気な従僕であることだ。生きているときも主人に尽くし、死んでからも、自分の命をなげうって助けようとしている。


「(彼もそうだった)」


 ぼくの失敗や愚行の責めを負ったのは、いつも彼だった。親王のぼくの代わりに、彼は何度も鞭で打たれたし、謝罪の為に頭を下げた。最初のころは困らせてやろう、いい気味だとしか思わなかったのに、やがて彼がぼくの代わりに傷つくのを見るのが、まるで我がことの様に辛く感じられるようになった。鞭で打たれた後、自分で背中の蚯蚓腫れに薬を塗る彼を見ていると、ぼくの背中にも痛みが走るような気がした。


「(お前をぼくの身代わりになど、させてなるものか。必ず助け出してやるからな)」


 やがて、儀式が始まった。朗々たる調子で道士が呪文を唱え始める。変化は、すぐに訪れた。ひょう、と床下から見覚えのある─あの顔の大きな、口裂けの化け物が二匹姿を現し、ガタガタと柩をこじ開けようと、歯を立て、爪を立て、かじりついている。老人にも見えたのだろう、驚きのあまり目をむいて、恐ろしさに震えている。


 しかし、ぼくは冷静だった。懐にしまい込んだ包みを掌に握ると、開く機会をじっとうかがう。やがて柩が開き、化け物共は中から通判の骸を引き起こした。顔は青白く、衰弱している様だったが、連中が体を何度もさすってやると、目を見開いて話し出す。


「ふふふ、首尾よく行ったようじゃのう」


「ヤクソクドオリ、ワケマエヲクレ」


「無論だとも」


 聞き間違える筈もない。通判の口から流れ出る声は、あの憎たらしい糞道士の声だった。あの男は妖魔の力を借り、自らの魂を入れ替えてこの家を乗っ取ろうとしていたのだ。そして、身代わりとして据えられたこの老人は、化け物共に与える代償……


「(そして、ぼくらもか)」


 連中の言葉は理解できないが、状況から察することもできないほど、ぼくは馬鹿ではない。金縛りにあったように動けない老僕を救うため、ぼくは包みを解いた。


「(これは何だ?二本の紐に、獣の爪?)」


 ぼくが使い方を考えるより早く、紐が包みから飛び出した。紐は空中で太い綱へと姿を変え、ぼくらの体をぐるぐる巻きに縛って天井の梁へと跳び上がった。


「キエタ!」


 化け物共は、目の前にいたはずの獲物が消えたことに困惑し、蒲団を蹴散らしてずたずたに引き裂く。やがて何かに気が付いたのだろう、通判の体に入った道士が何事か叫び、印を結ぶ。すると化け物共は梁に括り付けられているぼくらの姿を見つけて大喜びし、舌なめずりをして上へと跳び上がろうとする。


「(まだあるはずだ。今度は、この爪を─)」


 ぼくは包みに残っていた五つの爪を取りだし、跳び上がろうとする化け物共に投げつけた。すると、何と言うことだろう、爪は忽ち五匹の黄金の龍に姿を変え、襲い掛かろうとする化け物共を地獄の様な火炎で焼き尽くしたではないか!


 ぼくらは呆気に取られた様子で、それを見ているほかにない。やがて最後に残った金龍は、大鐘が打ち鳴らされる様な咆哮と共に雷を吐きだし、通判に入った道士を打った。そのまばゆい光にぼくらは耐えられず、思わず目を閉じてしまったが、やがて静かになったので目を開けてみると骸は元のまま柩に収まっており、ぼくらを結んでいた縄も消えていた。


「何があったのでしょう?」


 ぼくらが不思議そうに顔を見合わせたその時、


「きゃあっ!誰か、誰か来てえ!」


 けたたましい女の悲鳴。道士が儀式を行っていた祭壇の部屋からだ。ぼくらは急いで鍵を開けてもらい、祭壇の前に駆け付けた。すると、その前には雷に打たれて焼け焦げた、賈道人の無残な死体が倒れていた。その背中には硫黄でこう記されていた。



『妖道士が法術を練って姿を変え、財産を窺って女色を貪ろうとしたゆえ、天帝の命により斬刑に処す』


 ささやかな後日談。その後、ぼくは急いで馬を飛ばし、賈道人の屋敷へ行って『名無し』の姿を探した。彼はあの分厚い扉の付いた地下牢部屋に縄で縛られており、水も食べ物も無く飢え乾いていたが、すぐに助け出してぼくの屋敷に連れて帰った。その時、こっぴどく叱ってやったのは言うまでもない。


 今後は二度と同じことをするな、さもないと給金を永久に半分にしてやるからな、と。彼は相変わらず澄ましていたが、監禁されている時は生きた心地がしなかった、助けてくれてありがとう、と素直に礼を言ってくれたので、まあよしとしておこう。


 通判の家のことは、一先ず叔父の楊某と、劉老僕に仕切らせることにしてぼくは手を引いた。最後に彼らに忠告したのは、


「あの妾連中はさっさと銀子を渡して追い出してしまうが吉だぞ」


 妾と言えば、どうして彼は七人もの女を屋敷に囲っていたのだろう。ふと疑問に思ったので、事件が解決した後、いつものように藍珠の所へ遊びに行ったのを好機に、一つ聞いてみることにした。その時彼女はにっこりと笑って、


「男の人は、いつまでも叶わなかった初恋を追いかけているものなのです」


「叶わなかった初恋か。何とも形容しがたい味がしそうだな」


 きっと初恋とは、まだ熟していない、ライチの実のような味なのだろう。戯れにそんなことを呟いてみると、「なんだそれ」とぼくの髪を整えながら、『名無し』が笑っていた。


「(そういえば、彼の家にいた妾はみんな、長い艶やかな黒髪をしていた気がする)」


 まさか、まさかな。ぼくは自分の棟の中にそう言い聞かせた。記憶の中に残る彼は、もうとっくに大人の手前まで成長していた若者だった。一方その頃ぼくはと言えば、ようやく乳飲み子を卒業したばかりの、好き放題に暴れまわるバカな小坊主でしかなかった。


「(でも、あれが最初に迎えたという妾の瞳の色も、ちょっとぼくに似ていたような気がする)」


 もし彼が本当に生き返っていたら、確認を取ってみたいと少しだけ思った。


 それからもう一つ、ついでに。あの古びてしまった関帝廟だが、しっかりと親王家の寄進で立て直しておいた。蜘蛛の巣が張っていた神像はしっかりとひび割れを繋いで色を塗り直し、雨漏りがしていたお堂も基礎からしっかりと工事をし直した。全体で見れば少なからぬ費用が掛かったが、そんなことは全く問題にはならない。普段そういったことに無頓着な永暁さまが、とあいつは驚いていたが、ぼくにだって恩を感じる心くらいはあるのだ。


 一先ずこのくらいで、この話はこれまで。


参考資料:袁枚『子不語』、曹雪芹『紅楼夢』

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