第十五話 通判家の怪 丙

 それから少しの間、劉老僕と故人の祭壇の前でごく最低限の打ち合わせをしていると、ようやくある程度の妥協に達したのか、喧しい女どもの声が止んだ。そして、主人の喪中であるにも関わらず煌びやかに着飾った連中が七人、同じ様に雁首揃えてぼくの前に姿を現す。


「瀏親王殿下に拝謁致します」


 一番年長らしき、昭君套を被った女がそう言うと、彼女らは一斉に膝をついた。あくまでも礼儀として、「面をあげよ」とは言ってやったが、正直なところ漆喰の壁よりも分厚い化粧を施した妾共の顔など目に入れたくはない。


 自分の主人が死んだと言うのに、相変わらず宝石をあしらった勒子ヘアバンドだの、灰鼠チンチラの毛皮で裏地を縫った外套マントだので身を飾り、頭の中で考えていることは、主人が世に在るときはその寵愛を独占し、死んだとみるや面子と取り分のことばかり。楊一坊がいい歳になっても妻をこの中から選ばなかったのも道理というものだ。


 ぼくは少し頭を振って嫌な心持ちを追い出すと、先ほど声をかけてきた妾に話しかけた。


「お前達は皆、楊通判の妻だったのか」


「いいえ、わたくしどもは皆、妾でございます殿下。お偉い他の家とは違って、上下の区別も無く皆平等に扱って貰えておりますわ」


 その途端、隣に膝をついていた別の妾が恐ろしい顔つきで彼女を睨みつけた。綸子の生地に牡丹の花を刺繍したスカートが手で強く握られ、深い皺を刻む。ああ勿体無い、鋭い付け爪が穴を開けないといいのだが。


「では、この葬儀はお前達の誰が取り仕切っている?」


「ええと、それは」


「只今その算段をしているところでございますわ、殿下」


 また一人が勝手に答えた。つまり、この中の誰でも無く、算段すらろくに出来ていない、と言うことである。一応それらしく祭壇を飾り付け、坊主と道士を呼んで経を上げてもらい、威儀を整えて弔問客を受け入れてはいるものの、結局のところ誰が責任者として埋葬まで取り計らうかはまだ決まっていないのだ。


「この分じゃ七杯の茶碗を七回叩き割る羽目になるかもしれんぞ。道に破片が散らばって靴底をぶち抜いたりしなきゃいいが」


「出棺の際には苦労するでしょうねえ」


 相手に分からぬ様ひそひそ声でそう言い交わすと、ぼくは改めて彼女らに問うた。


「ひとまず、喪主も誰もいないのに葬礼を進めることはできない。誰が喪主をやるのか早々に決めなくては」


「ここは勿論、旦那様から一番のご寵愛を受けた方がやるべきでしょうねえ、お姐様」


「あら何が言いたいのかしら、もう少しきちんと言って頂かないとわからないわ」


「ちょっとあなた達お黙りなさいよ!」


 再びぎゃあぎゃあと言い争いをはじめる妾ども。ぼくは頭が痛くなってきて思わずこめかみを抑えた。友人の誼など関係無しに言下に断ってやるべきだったかも知れない。


「分かった分かった、ひとまず喪主は親族の方を代理として立てることにしよう。劉殿、後で屋敷の出納係を呼んでくれ。細かい費用や儀仗のことについて相談したい」


「畏まりました」


「それから、お前達はもう少し、何と言うか慎みのある格好をしろ。仮にも主人を亡くした─」


「方々に申し上げます」


 今度は何だ。皆が慌てて駆け込んできた若い下男を訝しげな目で見ると、彼は言った。


「門前に道士様がお見えです。是非、屋敷のご主人にお取次を願いたい、と」


「帰って頂け。今取り込み中だ」


「いえ、わたくしが出て参りましょう。殿下はそのまま、お話をお願い致します」


 痛む腰を摩りながら劉老僕が門の方に向けて歩いていく。やれやれ、あの老人を失った後、この屋敷は一体誰が切り盛りをするのだろうか。


 他人のこととは言え、心が傷んだ。



 「ねえ、殿下。どうでしょう、旦那様は六品の通判でしたけれど、それでは些か儀仗が簡素に過ぎると思いますわ。ですから殿下のお力で、五品の位を頂けます様取り計らいを─」


「目下、売官は受け付けていない」


 劉老僕が出払って少しした頃。ぼくが祭壇の前で、相変わらず何の実にもならない不毛な会話を妾どもと続けていた時、俄かに外が騒がしくなった。何かと思って出てみると、ぜい、はあと息を切らした劉老僕が、他の下男達に両肩を支えられてこちらへやってくるではないか!


「劉、大丈夫か!」


「いえ、何でもございません殿下。それよりも、それよりも皆さん!物凄いことです、朗報でございますぞ!」


 喉から搾り出す様な声で老人は叫んだ。おい『名無し』、わざわざその部分まで再現しようとしなくていい。


「今しがた、門前にいらっしゃった道士の方が、なんと、なんと」


「ええい、勿体ぶらずに早くおっしゃい!」


「なんと、旦那様を、生き返らせてくれるとのことでございます!」


 まあ!と妾たちが一斉に色めきたった。周りの下男や下女達もパッと顔を綻ばせ、喜びの声を上げる。忠実な老僕は双眸から滝の様な涙を流し、旦那様ようございました、南無阿弥陀仏、と言った風の言葉をずっと呟いている。ぼくは隣に立っている『名無し』の耳にそっと囁いた。


「どう思う、お前は」


「どうもこうも、生き返ったら全て丸く収まるのでしょう?やらせておけばいいじゃありませんか」


「しかしだな、ぼくにはどうも信じられんぞ。死人を生き返らせる術など……」


「早速!早速こちらへお呼びして、劉じいさん!」


「ちょっと、何アンタが女主人ヅラしてるのよ!勝手に使用人に指図しないで!」


「何ですって……」


 こんな時でも喧嘩か。周りの者達が御簾中の方々に呆れ返る中、劉老僕はすぐにまた門前へと走って件の道士とやらを呼びに行く。だが、今度は逆に悄然とした様子で、とぼとぼと祭壇の前に戻って来た。


「南無阿弥陀仏!門前にてお待ちする様申し上げたのですが、わたくしがお呼びに伺った時には、すでに立ち去っておいででした!」


「なんて事!あなたのせいよ、あなたがわたくしに女主人ヅラなんかするなってくだらないことで噛みついたから!」


「何ですって、普段から神仙さまへの敬意が足りないアンタが悪いんじゃないの!?ぺっ、見た目ばっかりよくして心が薄汚い穢れた連中の気配を感じ取ったのよ、道士様はね!」


「元はと言えば劉じいさんの足が遅いのが悪いのよ」


「わ、わたくしのせいでございますか?」


 目の前でくだらない責任の擦り合いを始めた楊家の人々をぼくは暗澹たる目で見つめていた。これはいよいよダメかもしれない、そんなぼくの暗い気持ちを推測ってくれたのだろうか、彼がポツリと呟いた。


「実際にあるのでしょうかね、その、人を生き返らせる術、なんて」


「……さあ、分からぬが。分からぬがとにかく、胸騒ぎがするな」


 彼は言い争っている劉老僕の肩をちょいちょいと叩き、さっき訪れた道士というのは、どんな名前のどんな風体の者だったかを尋ねた。


「そうですなあ、不思議な風体の方でございましたよ。ざんばら髪を孔雀の羽がついた簪でまとめ、足が不自由なのでしょうか杖をついておりました。ボロボロの麻の着物をはためかせて、『わしの名前は賈、賈道人である。終南山で百年の修行を積んで参った』などと申しておりました」


「孔雀の羽がついた簪……」


 ぼくは被っていた帽子に取り付けられた、長い孔雀の花翎はねかざりに触れた。鮮やかな緑色の羽は遠くからでも随分と目立つ華美なものだ。粗服に比してあまりにもちぐはぐで、釣り合いが取れない代物ではないかと違和感を覚える。


「ひとまず、その道士のことは置いて、諸々の支度を進めることにしよう。出納係は居るか、さっき途中で流れてしまった話の続きをしたい─」


 と、この様な調子で、一日目の夜は更けた。ぼくはあくまでも世話人のつもりでいて、実際の細々とした仕事は故人の関係者が粛々とやってくれるものだと思っていたのだが、何とまあアホらしいことに、全くの部外者であるぼくが細かいところまであらゆる指示を飛ばす羽目になった。


 幸い出納係の男は丁寧に家計の管理をしてくれていたようで、銀子が足りずよそ様から調達する様なことにはならずに済んだが、それにしても横からあれこれと口を出す連中の口うるさいことと言ったらなかった。


 あまり酒は好きではないが、この日ばかりは寝付くのに酒がどうしても必要だった。煙草では目が覚めてしまうから。


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