第十四話 通判家の怪 乙

 翌朝。いつも通り八人かきの駕籠に乗って到着した楊家の屋敷は、あちこちに葬礼の為の白い布がかけられていた。駕籠の中にいても読経の声や霊前に備える香の匂いが届いてくる辺り、やはり規模はそれなりに大きいのだろう。窓から覗いてみれば、さっきからひっきりなしに弔問らしき客の出入りも確認できる。


「まるで雪が降っているみたいだな」


「廉親王殿下の葬列の折にも同じことを致しました。まだ永暁さまが八歳の時でしょうか。殿下の棺が城から出ていくのをお見送りしたのを覚えています」


「そうか、お前は父上の薨御を見届けたのだったな。それから態々西域から京師まで、長い長い旅をしてきたと言うわけか」


「ええ。一人では到底辿り着けませんから、旅芸人の一座に混ぜてもらって、飛んだり跳ねたりの仕方を習ったり……って、この話前もしましたよね?」


「お前の話は面白いからな、つい何度でも聞きたくなって……っとと、今はよしておこう。駕籠を止めてくれ、ここからは歩く」


 恭しく開かれた駕籠から外に足を踏み出すと、首元から提げた珠飾りがじゃらりと音を立てた。門前を吹き抜けていく風が補掛の裾を捲り上げ、下に来ている蟒袍の模様を露わにする。


「他人の弔問に来るのは久しぶりだな。うまく作法ができるだろうか」


「むしろ向こうのほうが永暁さまに対する態度を気にすると思いますよ」


 案の定、というべきかぼくが駕籠を止めて外に降りるや、門の中から家人が息を切らして走り出てきた。彼らはすぐに地面に膝をつき、


「恐れ多くも親王殿下お直々のご来駕を賜りまして、無上の喜びにございます」


「礼は不要。まずは故人に拝礼したい」


「只今ご案内いたします」


 屋敷の中に足を踏み入れると、やはりというべきかあちこちに祭壇が設けられ、僧侶と道士達が詰めて順番に経を上げ、香を焚いて故人の霊を慰めている。


「この為に様々な準備を要すると思うと、どこもかしこも大変なのだとつくづく思うよ」


「今朝もいつもより豪華な駕籠を用意して、普段はあまり連れて行かない護衛も二倍に増やしましたしね」


「さっきからじゃんじゃん銅鑼をぶち鳴らしてるものだから耳が痛くて仕方がない」


 普段、準備も何もかもが面倒なので、ぼくは使う乗り物も連れて行く人数も最低限威儀を失わない程度に抑えている。しかし、故人の葬式に参列するときだけは別だ。あまり手放しで賛成できることでは無いが、葬儀に参列する人数が多ければ多いほど、故人の遺徳を偲ばせるものになるのだとか。


「なるほど、それならばぼくの葬列に参加する人間は二人くらいのものだろうな」


「爺やさんと、後もう一人はどこから?」


 黙れ、とばかりに思い切り足を踏んづけてやると、彼は痛そうに顔を顰めた。ざまあみろ。


「こちらに故人の祭壇を作ってございます。柩は奥の霊堂に」


「ありがとう」


 ぼくはそのまま祭壇のある正房へと進み、一段一段階段を登ると、故人を祀る祭壇の前に膝をついた。すると、何処からか聞きつけてきたのか、慌ただしく楊家の一門らしき人々が駆け込んできて、


「恐れ多いことにございます、親王殿下ともあろうお方が、我が草莽の輩に膝をつかれるなど。何卒お立ちあそばします様」


「わたしは今日、長年の友を見送るためにここへ出向いてきたのだ。友の交わりを結んだからには俗世の身分など関係はあるまい。どうか心安らかに故人を見送らせてくれ」


 それだけ言って、ぼくは『名無し』と共に祭壇に拝礼し、紙銭を焼いて弔意を示した。


「我が十年来の友よ、誠に惜しむべきかな、まだ左様な若さのうちに身罷るとは。お前には相応しい未来もあったことだろう、麒麟児に相応しい栄誉を受けることもできたろう。しかし、今となってはそれはどうでも良いことだ。ただ、真心からの言葉をかけてやりたいと思うのに、『含言言哽咽,揮涕涕流離(陸機 挽歌詩三首 文選巻二十八)』と古い詩に言う通り、ただ涙の溢れるばかりで、塞がった喉からは何も言葉出て来ない」


 二度、三度と頭を下げて、ぼくは古い友人に声をかけてやった。上の位牌には長々と戒名が刻んであるが、ぼくにとって彼は大居士でもなんでもなく、唯の悪餓鬼の『楊一坊』。少なくともそれだけで十分だと思う。


「(父の諡号も一文字だった。故人の人柄を偲ぶのに余計なものは必要ない)」


 仮に『名無し』が『名無し』のまま命を落とすことがあったら、どうしようか。彼のために大枚を叩いて派手な戒名を付けてやり、葬儀も親王府を上げて豪奢に……


「(いや、彼はきっと喜ぶまいな)」


 派手な葬儀も大きな墓石も、年ごとの法要もいらない。火葬した骨を黒竜江サハリャン・ウラの河畔に撒いてくれればそれでいい。なんて、言いそうなことだ。


 そんな取り留めもないことを考えながら弔問を終えると、それを待ちかねていた楊家の家人に早速声をかけられた。


「瀏親王殿下、わたくしは故人の叔父で楊某と申します。この度は恐れ多くもご来駕を賜りまして、恐悦至極に存じます」


「叔父殿か、これは失礼をした。貴殿がこの葬儀の手配を?」


「はは、一応は。彼は歳若く子も妻も無かったものですから、親族の中で一番近しい関係だったわたくしが、ひとまず諸々の手配をしたのです」


「なるほど」


「それにしても、故人も大変なものを残していったものです。財産もさることながら、七人もの妾を残していきました。今はここにはいませんが、あの喧しさと言ったら─」


 まだ通訳すら終わらぬうちに、ぎゃあぎゃあと鳴き騒ぐ水鳥の様な、姦しい女達の声がぼくらに近づいてきた。酷く早口の漢語で何を言っているのか全く聞き取れないが、『名無し』の表情を見る限り大したことは言っていないのだろう。


「皆様方、どうぞ気をお鎮めください。恐れ多くも親王殿下がおわしているのですぞ」


「ですから、まず誰からご挨拶するか話し合っているんじゃないの、あなたは引っ込んでいなさいな!」


「あっ!姐さん、抜け駆けはずるいわ!」


 どうやら、妾の中で誰が一番最初にぼくに挨拶をするかで酷く揉めているらしい。一体何だってそんなに言い争う必要があるのか、ぼくには全くわからないが、名家には名家らしい理屈があるのだろう。


「済まないが話が進まない。妾の方々よりも先に、お前に話を持ってきたと言う従僕に会いたい」


「わかりました、今呼んで来ましょう」


 彼は声の響いてくる隣の部屋に続く廊下に消え、ややあって一人の老人を連れて戻ってきた。頭はすでに禿げ上がって額には皺が刻まれ、曲がった腰を支えるため家の中でも杖をついている。老人がひどく辛そうな顔をしながらも膝をつき、礼を行おうとしたのでぼくは慌ててそれを押し留めた。


「礼は免じる。楽にして良い」


「ありがとう存じます、殿下。楊家の僕で、劉と申します」


 細められた目はまるで孫を見る様な色を帯びていた。いかにも朴訥で、忠義に厚そうな男だった。恐らくは通判が乳飲み子の頃から側に仕えて居たのだろう、悲しんだ涙の痕がいく筋も皺だらけの顔に残っていた。


「わたしの奴僕に今回の話を持ってきたそうだな。わたしはお前など記憶に無いが、一体どこで出会ったのだ?」


「はい、そちらのお方、ええと確か」


「名前は良い。わたしは彼を『名無し』と呼んでいるから、お前もそう呼べば良い」


「ははっ。その、『名無し』様が少し前、この屋敷の前を通りかかられまして、主人が亡くなったことを告げますと酷く驚いていました。よく覚えております、この方は主人としょっちゅう喧嘩をなさっておりましたからな」


「わたしの顔も見たことがあるか?」


「……そういえば、そこはかとなく、見たことがあるような気が致します」


「わたし─いや、ぼくはその頃楊家の隣の別邸に住んでいた。彼からは女の様になよなよしているものだから、『娘々ひめさま』などとあだ名をつけられていたよ。覚えているか?」


「『娘々』……あぁ!もしや、あの子供が!親王殿下だったのですか!?」


「そうだ、紛れもなく親王殿下だ。あれは気がついていなかったのか、それとも気がついた上でやっていたのかは知らんが、その頃既にぼくは瀏親王だったよ」


 ははは、と笑って昔のことを話すと、劉老僕は懐かしそうに口を歪ませ、また涙を流した。


「この度はお力添えを賜りまして、誠にありがとう存じます。主人に代わり厚く御礼を」


「まあいい。それで、この『名無し』が楊一坊が亡くなったのを聞いて驚いた。その後は?」


「はい。それから、少しの間門前で四方山の話をしておりましたところ─お恥ずかしい話です、最近の妾の方々の態度の酷さと言ったら、とつい愚痴を申してしまいまして」


「ふむふむ」


「やれこの家はわたしのものだの、取り分はいくらいくらだの、喪主はわたしがやるだの……何とか出来ぬものか、と申しますと、『主人に一つ相談をしてみようか』と仰いましたので、ではお願いします、と言うことで話がまとまったのでございます、殿下」


「なるほどな」


 ぼくはすこしじっとりとした目を彼に向けた。気まずげに目を逸らされるが、本気で怒っているわけではない。むしろ、ぼくに相談したのは英断だったとさえ思う。


「それで、葬式が済むまでの間家内を無事に取り持ってくれ、と言う話か?このまま揉め続けていれば、喪主も不在で葬儀がいつまでも上げられず、楊家の名前を辱めることにもなりかねない、と」


「ええ、まあ。喪主をどうにかして、無事に葬式が万事済み、遺産の配分などもうまく纏められましたら、わたくしはこの屋敷からお暇を頂こうと思っておりまして」


「まあ、見たところお前も歳のようだからな……事情は大凡分かった、未熟ながら力添えさせて頂こう。まずは喪主をどなたにするか、という相談をしなくてはなるまいな」


「ええ。あぁ全く、ご主人様ときたら何という面倒ごとを残して逝かれたのか。今からでも生き返って、ご命令を仰ぎたいものです」


 ははは、と老人は乾いた声で笑った。あり得ない話と理解はしているのだろうが、そこには一抹の希望に縋りたい人間の顔があった。乳飲み子の頃から面倒を見ている主人に先立たれた悲しみはそう簡単に癒えるものではない。ぼくは何も言えぬまま頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る