第2話

ガングロ兄ちゃんの結構な早歩きに頑張ってついていき、ものの5分もしないうちに目的の建物に着いた。


「ほら着いたよ。どう近かったでしょ。やっぱ場所最高だわ。一等地だよ」


確かに、ここなら渋谷駅徒歩圏内だろうと、田舎者の金太郎でも感じられるほどの距離だった。

建物はどうやら大家さんの一軒家で、その2階が募集している部屋のようだ。

白いモルタルの外壁で、2階に上がる外階段が付いた、可もなく不可もなくといった建物だった。

外階段に向かうと、庭の草木に水をやっている中年の男性がいた。


「あっ大家さんこんにちは。お客さん連れてきましたので、部屋見させていただきます」


「・・・どうぞ」


金太郎も軽く会釈すると、大家さんも軽く頭を下げた。

大家さんの印象は物静かで、優しそうな大家さんだった。



2階の入口で靴を脱ぐようになっており、備え付けの下駄箱が用意されている。


「すぐ左に共同トイレと流し。あとシャワーがあって、それと洗濯機。みんなで使うものだから綺麗にね。って今は誰もいないけど」


2階の部屋は3つあって、奥の角部屋に案内された。


「どう?明るくていい部屋でしょ?しかも家電、家具付きだよ!なんとエアコンもあり!」


部屋は畳の6帖で、窓が角部屋なので二つ付いている。

そして新品ではないけれど、冷蔵庫に照明器具、テレビ、カーテンに食器棚、なんと袋に入った布団まであった。

さらに、エアコンまでもあるのだから文句のつけようがない。

ここまで充実していると、まるで、誰かがさっきまで住んでいたような感じがしてくる。


「これ全部付いてるんですか?でも壊したり汚したりしないか心配だな」


「大丈夫だって。大家さんとっても優しい人だから。どう?気に入った?」


ガングロ兄ちゃんの満面の笑みは、真っ白な歯がうざかったが、部屋も想像していたより悪くもなく、家具家電一式もついているし、何より渋谷駅徒歩圏内が魅力的だった。ただ家賃が幾らなのか気になっていた。


「うーん、いいなって思うのだけど、家賃とかによりますよね」


「家賃?大丈夫だよ。よし、じゃー決まりだね。戻って手続きしちゃおう。他に取られたらもったいないから」


家賃とか賃貸条件が明かされないのは納得いかなかったが、まあ、条件合わなければ止めればいいし、それに、もう部屋探しも疲れたからなと、自分はまっとうな事を考えている風を装っていたが、本音は早く戻って、もう一度夜の蝶に会いたいのだった。


帰り際、大家さんが居たら挨拶しようかと思ったが、既に水やりが終わったようで庭には居なかった。

ガングロ兄ちゃんの相変わらずの早歩きに負けないぐらい、夜の蝶への会いたさが爆発し、物件に行く時よりも遥かに早いタイムをたたき出していた。


「はあはあ」


「ごめん、ちょっと早すぎたかな?」


「いやいや大丈夫です」


雑居ビルの古いエレベーターの遅さにイライラしつつ、ガングロ兄ちゃんがもし一緒じゃなかったら、4階ボタンを連打してるだろうと想像していたら扉が開いた。


「おかえりなさーい」


思わず大声で(ただいま)と言いそうになったのを、金太郎はグッと堪えた。


「戻りました」


ガングロ兄ちゃんが答える。


夜の蝶がフローラルの香りを身に纏いながら、金太郎に近寄ってくる。


「いい物件決まって良かったですね寿さん。暑かったでしょ?さあこちらに座って一息ついてください」


「・・・・はい」


まだ決めたわけではないはずだが、そんな事はどうでもよく、夜の蝶に名前を呼んでもらえた喜びと、艶めかしい仕草に生気を奪われ、完全に思考停止状態に陥っていた。


夜の蝶に出された麦茶を口に運びながら、奥で作業する夜の蝶を目で追った。

そこにガングロ兄ちゃんが色々書類を持ってきて、視界を遮り、向かいに座った。


「お疲れさまでした。それじゃ物件の説明していくね」


金太郎は邪魔をされイラっとしたが、こっちも大事だったと思い出し正気に戻った。


「家賃はなんと2万円。礼金なし、敷金1か月。共益費1000円と水道代と電気代は入居者の頭割りだね」


「2万円?!」


2万と聞いて、金太郎は正直驚いた。

予想していたよりも遥かに安かった。

考えてみると、たしかに部屋の中に風呂は無くて共同シャワー。

そして、共同トイレと共同キッチンに共同洗濯機。

さらに、フローリングでもなければ普通のマンションでもない。

しかし、大家さんの家の2階という気になる部分もあるが、それにしても2万円とは安い。安すぎる。

おまけに、家具家電一式もついているし、いまのところ全部屋空いているから、シャワーもトイレも洗濯機も気にしないで使える。

こんな美味しい物件、決めない理由はない。

何より、夜の蝶に住んでいる場所が知られるのが嬉しい。

もしかしたら遊びに来てくれるかもしれないと、わけのわからない妄想の暴走が止まらずに、ニヤニヤしていると、またしてもガングロ兄ちゃんに現実に引き戻された。


「安いでしょ?こんな物件もうないからね。問題ないでしょ?」


「あっ、はい」


もうこれ以上の物件は、確かに渋谷で探しても無いだろうと金太郎は腹を括った。

一か月2万円程度なら東京で十分やっていけるだろうと思った。


「よっしゃー、それじゃあ早速物件について説明していくよ」


申し込み書に記入もないまま、何やら説明が始まった。


「それにしても、ここ安いでしょ?似たような物件に比べて、ほんとに安いの」


そこまで言うとガングロ兄ちゃんはグッと体を前に乗り出して、ちょっと声のトーンを落としつつ、金太郎の目を見て話した。


「ここさ。訳ありなんだわ」


「訳あり!?」


「そう。まあ、そんなに驚くようなことではないのだけど、ほら、聞いたことない?事故物件って」


「事故物件?」


北海道の田舎では、まずもって聞いたことがなかったが、なんとなく言葉の雰囲気でやばそうな気がする。


「え?もしかして、その、誰か死んだ部屋とか・・・」


「いやいや、まあ一般的にはそういった部屋になるけど、あそこはちょっと特殊なんだよね」


金太郎は、当てずっぽうで言った、「死」という言葉の重みに押しつぶされそうになり、次々と悪い想像が猛烈に膨らんでいった。

だから、家電や家具の備え付けがあって、いかにも、つい最近まで誰かが生活していたような感じがあったのかと思い、だんだん怖くなってきた。


「ん?大丈夫だよ。ごめんね怖がらせて。ほんとそういったのじゃないから安心して」


疑わしくも、ホッと胸を撫でおろす金太郎に、ガングロ兄ちゃんはバインダーに挟まった一枚の紙を前に差し出してきた。


「実はさ。あの部屋に入るにはこの用紙に書かれていることを承諾してくれなきゃいけないんだ」


そう言われ金太郎は用紙に目を落とした。


そこにはこう書かれている。



一、貸主及びその関係者が、借主の承諾なく、いつでもその室内に立ち入ることができるものとする。


二、貸主及びその関係者が、その室内に立ち入った際に発生した動産等に対する損壊については、故意、過失如何にかかわず、貸主の負担とする。


三、貸主及びその関係者が望む世界及び目指す場所は、たとえ借主が望むものでなくとも、借主は自ら作った壁を取り払う努力をし、人類が、平和と愛に満ちた人生を歩めるよう、相手を慈しむことを忘れぬこととする。


四、借主は、如何なる理由であっても、家族、知人等の宿泊をさせてはならない。




金太郎にはさっぱり意味がわからなかった。

貸主とは、大家さんだと思うが、関係者とは身内なのか何かの業者なのかわからず、一番目の文言はようするに、大家さんたちがいつでも自分の部屋に入ってくるということだよなと思い、想像するとちょっと嫌だなと思った。

四番目の誰も宿泊させることができないという文言も気になる。

まあ、東京には誰も知り合いは居ないしなと思いつつも、夜の蝶のことを妄想し、やっぱりこれも嫌だなと思った。

そして何より、この三番目。

さっぱり意味がわからなかった。


「この三番目、どういった意味です?」


「ん?」


ガングロ兄ちゃんは他の書類から顔を上げて三番目の文言を読んだ。


「ああ、ほら、物件で大家さんに会ったからわかると思うのだけど、何か、こう威厳みたいな、神秘的なオーラ感じなかった?凄いんだよあの大家さん。まじで凄いよな~」


何が凄いのかさっぱりわからなかったし、神秘的なオーラもなにも感じなかった。

しいて言えば、優しそうなおじさんという印象以外にない。



「問題ないでしょ?」

ガングロ兄ちゃんは、そう確認しつつも何やら書類作成に余念がない。

よくよく見れば、契約準備が着々と進んでいるようだった。

なんだかよくわからないが、まあ、嫌になったら退去すればいいやと金太郎は楽観的だった。


「宜しくお願いします」

金太郎は部屋が何とかみつかった安堵感に包まれて、急に、今日一日の疲れがドッと出てきた。


「じゃー、今日契約しちゃうけど、お金大丈夫?」

金太郎は、さっきの説明で、家賃とか敷金とか考えても10万円はいかないだろうと頭の中で見積もって、それくらいなら銀行に行けばあるなと思った。


「銀行に行けばなんとか」


「OK!印鑑もないだろうけど、拇印でいいね」


あれよあれよと、準備が進んでい行く。


金太郎は、不動産に関しては浅い知識であったが、思いついたことを質問した。


「保証人とかいいんですか?」


ガングロ兄ちゃんは何やら書きながら、即座に答える。


「ああ、いらないよ。保証会社もなし」


「住民票とかはどうです?」

金太郎は念には念を入れた。


「あとからで大丈夫さ」

ガングロ兄ちゃんはこれまた目も合わせずさらりと答えた。



保証人もいらないし、住民票も後からで良くて、さらに家電品も揃っているなら、北海道にわざわざ戻らなくていいなと金太郎は思った。

住民票も、わずかな荷物も送ってもらえば済むし、今日から東京に住めることに心が浮きだった。


その後ガングロ兄ちゃんに指示されるまま書類にサインをし、途中、銀行に行って引き出してきた契約金を支払い、鍵を受け取り完了となった。


「それじゃ、以上で終了だね。お疲れさま。良かったね無事見つかって」


「ありがとうございました」


金太郎は、こうやって一通り終えてみると、お店にきた頃抱いた感情はすっかり消え去り、手際の良さだったり、自分のわがまま条件に尽力してくれたガングロ兄ちゃんに、感謝すら浮かんでくるのだった。


(意外と仕事できるんだな)


そう思い、あらためて店内を見渡せば、自分以外にお客もちょこちょこ来ていて、楽しそうに部屋を探している姿から、見た目で判断していた自分が間違っていたんだと、なんだか情けなくなった。


帰り際、エレベーター前まで夜の蝶が見送ってくれた。


「内見行ったら、また会えますね」

と凄まじい男殺しの笑顔で手を振ってくれた。


すっかり夜の蝶の虜になりながら、幸せな気分で新しい我が家を目指した。

物件に着くと、大家さんに挨拶した方がいいのか迷った。

まあ鍵はもらっているのだから、部屋を使用する権利はあるわけで、わざわざ挨拶しなくても、日中、会った時にしようと2階の部屋に直接向かった。


家電も布団も揃っている。

無いのは服と食べるものくらいかと思った。

金太郎は、食事がてら、さっそく渋谷の街に出かけることにした。

夜の渋谷は若者で溢れており、田舎のお祭りよりも多い人に圧倒された。

一通り街を散策し、牛丼を食べて部屋に帰ってきた。

部屋に帰ってくると、金太郎はあらためてこの部屋に決めて良かったと思った。

歩いて帰ってこれる立地の良さもさることながら、駅周辺の喧騒とは比べ物にならないほどの静けさだった。

静けさは今日一日の疲れを背負った体と脳を休めるには最適だった。

しばらくは都会生活を満喫して、頃合いをみてから仕事を探そうと思いながら眠ったのだった。


次の日すっきりと目覚めた金太郎はさっそく出かける準備に取り掛かった。

都会をもっと堪能したくて堪らなかった。

早々に準備を整えて外階段を降りると大家さんが庭の手入れをしていた。

金太郎はさっそく挨拶をした。


「おはようございます。昨日引っ越してきました寿です。どうぞよろしくお願いします」


大家さんは時々目線を外しながら「・・・よろしく」と軽く会釈した。

大家さんは、やっぱり物静かな人だった。

これ以上何を話せばいいのかわからなくなり「では、失礼します」と何となく気まずさを感じつつも、これで大家さんの挨拶も終わり、いよいよ自由だと金太郎はウキウキしていた。


朝の渋谷も凄い光景だった。

人と車と音が濃縮された空間でありながら、均衡が保たれているこの街に金太郎は改めて度肝を抜かされたのだった。

渋谷を散策するだけでも一苦労だった。

道玄坂一帯を歩いて、センター街を抜けて、宮益坂あたりを歩くころには足が棒になっていた。

どこか都会らしいカフェで休憩をと思ったが、一人で入る勇気が出ず、結局スクランブル交差点まで戻ってきて、パチンコ屋の集まった一角にある蕎麦屋に入った。

店構えは高そうな雰囲気があるにも関わらず、意外とリーズナブルで、しかも店の奥は立ち食いだった。

意外と美味しい蕎麦に驚き、渋谷お気に入り店1号として頭に登録したのだった。

しかし、渋谷だけ周るのにこんなに大変だとは思ってもいなかった。

しかも、一回周っただけではまったく把握できておらず、さらに全方向は周れていなかった。

まるで札幌一帯を歩き回ってるような大きさに感じるのだった。


蕎麦屋を出るとそのまま家に帰ろうと思ったが、まだ日が高いのもあり、もう一度道玄坂をプラプラしてから帰ることにした。

映画館やファストフード店など道玄坂の左右の店を見て、さらにビルを見上げながら歩いていると、突然声をかけられた。


「こんにちは」


見ると女の人だった。

金太郎はドキッとした。

もちろん、女の人に声をかけられたからだ。

金太郎が戸惑っていると

「今、絵の展覧会やってるんです。良かったら見ていきませんか?」

と歩み寄られた。

女性には興味があるが絵には全く興味がなかった金太郎はすぐさま断った。

しかし獲物を見つけた女性の喰いつきも半端なかった。


「お兄さんかっこいいですね。もしかして芸能関係ですか?少しお話できませんか?」


女性からの殺し文句に歩みを止めそうになったが金太郎は何とか振り切った。

追ってこないのを確認すると、あらためて、これが都会の恐ろしさかとあらためて認識した。

明日からはこの道を極力通らないようにしようと心に誓ったのだった。


家に帰ると疲れがドッと出た。

都会からしたらなんてことないジャブのような洗礼も、田舎者の金太郎にとってはとてつもなく重いものだった。

毎日毎日こんな感じだったらとてもじゃないが心が耐えられないと思い、早くこの街に慣れなきゃと気合を入れ直して就寝したのだった。


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