第27話
五月中旬頃。
「たいいくさい?」
「そう。『スポーツ大会』だ」
体育祭の時期がやって来た。
イギリスにはないと言い切って良いか分からないが、俺の留学先の学校、つまりリリィの学校には似たようなイベントはなかった。
「なるほど。ラグビーですか? サッカーですか? それともテニス?」
「ああ、いや、そういうのじゃないんだ」
訳し方を間違えた。
競技内容は玉入れや綱引きなど、経験者と未経験者で差が出ないようなものであると俺が伝えると、リリィは眉を潜めた。
「こどもっぽいですね」
「嫌か?」
「いいえ。たまにはいいでしょう」
そう言って僅かに唇を緩めた。
参加に不満はないようだ。
俺は競技の一覧が書かれた紙をリリィに渡した。
「集団競技と個人競技、それぞれ最低一度、出る必要がある。具体的にはロングホームルームで決めることになる」
俺はリリィに各競技について、丁寧に説明していく。
集団競技は玉入れや綱引きなどが当たる。
個人競技は徒競走や障害物競争、借り物競争とかだ。
『このパン食い競争というのは?』
「途中でパンがぶら下がってる。それを口で咥えて、走る」
『行儀が良くないですね。……ところで、そのパンは? 競技が終わったら、どうするのですか?』
「……それは、まあ、その人の物だし、自由かな」
『ふむ。……どんなパンがあります?』
「菓子パンかな。去年はメロンパンとか、アンパンがあったような」
『ふーん。そうですか』
どうやらリリィはパン食い競争……というよりは、パンに興味があるようだ。
「集団競技はどうする?」
「そーたと、いっしょがいいです」
俺と一緒なら、何でも良いらしい。
人気のある競技だと、クジ引きになるが、その結果次第ではリリィと離れ離れになってしまう。
となると、不人気競技を選んだ方がいいけど……。
「それでもいい?」
「いいですよ」
できるだけ、面白そうな、思い出に残りそうなやつを選んであげよう。
「競技、聡太は何を選ぶつもり?」
ロングホームルーム前の、休み時間。
美聡が話しかけて来た。
「借り物競争かな。徒競走は味気ないし、障害物は中三の時、やったし」
借り物競争はまだやったことない。
一度はやってみたいと思っている。
「集団競技は?」
「特に決めてないけど、リリィと同じやつに出ると約束してる」
「ふーん。相変わらず、ラブラブね」
「そんなんじゃないって」
俺は眉を潜めた。
幸いにも噂の当人は席を外しているが。
「それって、照れ隠し? それとも、本当に恋人同士じゃないの?」
美聡は珍しく、真剣な声音で俺に尋ねた。
本気で俺とリリィが恋人同士だと思っていたらしい。
……いや、そう思われる謂れがないとまでは言えないが。
「恋人じゃない」
「ふーん。私なら、友達とはいえ、異性の同級生の家にホームステイしないけど。……それにアメリアちゃん、花嫁修業に来たって言ってたわよ。それって、そういう意味でしょ?」
美聡にも言ってたのか。
“花嫁修業”。
「あれはリリィが変な日本語、覚えてるだけだよ。勘違いしてるんだ」
「そんなこと、あり得る?」
「リリィならあり得るだろ。ああ見えて、抜けてるし、天然だから」
リリィはああ見えてぽんこつだ。
思い込みも激しいし、人の言っていることをすぐに信じる。
メンマの原料は割り箸だと教えたら、あっさり信じていた。
「そうかな? ……そうかも。そうね、アメリアちゃんなら……うん、あり得るわね。でもなぁ……聡太も結構、アレだし……」
アレってなんだ、アレって。
俺もしっかりしている……とは言い切れないが、リリィほどぽんこつじゃないぞ。
「アメリアちゃんが、聡太のこと、好きってことはない?」
「それはないな」
「どうして言い切れるの?」
「前に聞いたことがあるから」
イギリスにいた時、リリィに一度だけ、尋ねた。
もしかして、俺のこと、好きなの? と。
俺だって、男だ。
可愛い女の子と話していれば楽しいし、気分が良くなるし、好意を持たれているのではないかと期待する。
もっとも、結果は……。
「二度と、勘違いはしないと決めた」
早口の英語で捲し立てられたため、全部は聞き取れなかったが……。
「勘違いしないでください」と怒鳴られた記憶はある。
地味に傷ついた。
「ふーん。そうは見えないけど……。ちなみに、聡太としてはどうなの? アメリアちゃんのこと。好き?」
「いや……別に。美人だし、可愛いとは思うけど」
勘違いするなと言われ、傷ついたのは本当だ。
しかし同時に安心もした。
リリィとは親友でいたいからだ。
「恋愛したいとは、思わない。特に友達とは。……分かるだろ? 美聡なら」
俺の問いに美聡は苦笑した。
「……そうね。仲良くても、価値観が合わなければ、別れないといけないものね。そうなったら、気まずいわ。友達は……友達同士が、一番」
どれだけ仲が良くても、価値観が合わなければ破綻する。
一度、そう言う関係になってしまえば、もう元には戻らない。
俺も美聡も、そのことは良く知っている。
『二人で何を話しているんですか?』
不機嫌そうな声が聞こえて来た。
そこにはムスっとした表情のリリィが立っていた。
日本語の授業から戻って来たようだ。
「ふふん、何だと思う?」
「おい、くっつくなよ」
美聡はニヤニヤと笑みを浮かべながら、左腕で俺の右腕を絡めとって来た。
体をピッタリとくっつけてくる。
鬱陶しい……。
「きょうみ、ありません」
リリィはそう言いながら、美聡を睨みつけた。
そして両手で俺の腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと……リリィ!?」
そしてそのまま、強く引っ張る。
俺は慌てて両足に力を入れて、踏ん張る。
するとリリィは両腕で俺の体を抱きしめた。
柔らかい胸が、俺の腕に当たる。
しかしリリィはそんなことも気にせず、全身を使って俺を引っ張った。
「そーた。たいいくさいの、はなし、しましょう。いっしょに、なににでるか。そうだんです」
リリィはそう言いながら俺を……いや、美聡を睨みつけた。
すると美聡は何が面白いのか、小さく笑った。
「あら、そうなの。……頑張ってね」
そう言って俺の腕を離した。
右側の引っ張る力がなくなったことで、バランスが崩れる。
「お、おっと……」
必然的に俺の体は左側へ……リリィの方へと倒れ込んだ。
不味い!
俺は慌ててリリィの体を抱きしめた。
『きゃっ!』
「ぐっ……」
両足に力を入れ、倒れないように踏ん張る。
ゆっくりと、体勢を立て直す。
「リリィ、大丈夫か!?」
『むぐっ……』
リリィからの返事は、呻き声だった。
よく確認すると、リリィの顔は俺の胸元に押し付けられ、埋もれていた。
つま先だけが僅かに床に触れている。
……抱きしめる勢いで、抱き上げてしまっていたようだ。
俺は慌てて腕をリリィから離した。
『ぷはぁ……』
「ごめん、大丈夫か?」
俺はゆっくりと下がりながら、リリィに尋ねた。
リリィの顔は……真っ赤だった。
こちらを潤んだ瞳で睨みつけてきている。
「え、えっと……」
『ソータのえっち!!』
バシッ!
リリィは俺の胸板を拳で叩いた。
地味に痛い。
リリィはそのまま鼻を鳴らし、自分の席に戻ってしまった。
「聡太のえっち!」
「お前のせいだろ!」
俺は美聡を睨みつけた。
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