第16話

「という感じで、日本での生活は順調です」


 日本へ留学に来て、三週間。

 私は友人であるメアリーへ、電話で経過報告をした。


 ソータに会いたいのなら、あなたが日本に行けばいいじゃない。

 そう言って背中を押してくれたのは彼女だ。


「そうなの、意外」

「……意外とは、どういう意味ですか」


 私が日本でトラブルを起こすと思っているのか。


「イングランドに帰りたいって、ベソ掻いてるかなと心配してたの」

「別にベソなんて掻きません。……本当に快適ですし、楽しんでます」


 身構えていたほど、日本での生活は悪くなかった。

 英語はあまり通じないが、代わりに私の日本語はそれなりに通じているし。

 通じていなくとも、ソータがフォローしてくれる。


 水回りは衛生的だし、食べ物も美味しい。

 気候も……今は春だからかもしれないけれど、暖かくて過ごしやすい。


「じゃあ、日本に永住する?」

「……そこまではではないです」


 悪いわけではないが、住み慣れた母国ほどではない。

 言葉も不便だし。

 食べ物も合わないものがある。

 ……乳製品とか、紅茶とか。


 だからこそ、私の目標はソータをイングランドに連れ帰ることだ。


「彼も同じように思っていると思うけど。……誰だって、母国が一番でしょ?」

「そこは私の魅力でカバーします」


 私のいない日本(母国)と、私がいるイングランド(外国)。

 比較した上で、彼が後者を選んでくれればいい。


「今、私、ソータのお母様から日本の料理を習っているんです」

「へぇ……あなたが、日本の料理を」

「そうです。ソータがホームシックになっても、対応できるようにします」


 ――何だか、味噌汁が飲みたくなってきた。……日本に帰りたいなぁ。

 ――そうだと思って、作りました。どうぞ、召し上がれ。

 ――わぁ、美味しい! ありがとう、リリィ! 君と一緒なら、どんなところでも生きていける! 愛してるよ!


「完璧な作戦です」

「完璧ではないと思うけど、努力していることは分かったわ。ところで、下世話なこと、聞いて良い?」

「内容次第です。どうぞ」

「どこまで進んだの?」


 どこまで? 進んだ?


「何がですか?」

「関係よ。……えっちなこととか、もうしたの?」


 えっちなこと?

 ……えっちなこと!?


「し、してないです! するわけ、ないじゃないですか!」

「まあ、そうよね。あなたが、しているはずないものね」

 

 どこかがっかりするような、そして小馬鹿にするような口調だった。

 腹立たしい。


「じゃあ、キスは?」

「まだ、ですけど……?」

「一緒に暮らしてるのに?」

「それ、関係あります?」


 キスと一緒に暮らしているか否かは、関係ないはずだ。

 恋人同士ならキスくらいするはずだという理屈は、分からないでもないけれど。


「ハグは? 手は繋いだこと、ある?」

「……ないですけど?」

「どうして?」

「どうしてって……して欲しいと言われたことも、ないですし」


 ソータの方から手を繋いで欲しいと言われれば、してあげるけど。

 私の方から頼むのは、少し恥ずかしい。


 したくないわけではないが、しなければいけない理由もない。


「あなた、本当に好かれてるの?」

「どういう意味ですか?」


 思わず、ムッとしてしまう。

 私とソータの関係を揶揄うのは結構だが、疑うのはいくら何でも失礼だ。


「男の子が、好きな人と手すら繋ごうとしないなんて、あり得ないわ」

「世の中にはいろんな人がいるでしょう。別におかしくないです」


 ソータは紳士で照れ屋さんなのだ。

 私だってソータにして欲しいと頼むのは恥ずかしいし、彼だって似たようなものだろう。 

 ……できれば男の子である彼の方から求めてきて欲しいが、自分ができないことを人に求めたりはしない。


「どうかしらねぇ。男の人の気持ちって、移りやすいし。お堅い彼女よりも、身近で親しみやすい女の子に気持ちが移ってても、おかしくないわ。半年間もあればね」


 一瞬、私の脳裏にミサトの顔が浮かんだ。

 確かにソータと彼女は親しかった。

 今は恋人ではないようだが、昔は親しかったみたいだし。


「で、でも、ソータは私のことを、“俺の女”だって言いましたよ」

「ふーん。……あなたはそれになんと返したの? 肯定したの?」

「……やめてほしいと、言いました」


 公衆の面前でそう言うことは言わないで欲しいと、そう言ったつもりだった。

 でも、否定しているように受け取れなくも、ない。


「何やってるのよ……」


 メアリーの呆れ声が心に刺さる。

 もし、ソータが私のこと、嫌いになってたら……。


「ど、どうしましょう……」

「確かめたら? 私のこと、どう思ってる? って。好きだって、愛してるって答えてくれれば、解決でしょ?」

「で、でも、今更、そんなこと……」

「恋人同士が愛を確かめ合うのに、今更も何もないわ」

「そ、そういうもの、ですか?」

「そういうものよ」


 確かに言われてみれば、私のお父様もお母様も、毎日、「愛してる」と互いに確かめ合っていた。


 ――ソータ。私はあなたの何ですか?

 ――そんなの、決まってる。愛しの恋人で、未来の花嫁さ!


「私も愛しています、ソータ!」

「私はソータじゃないわよ」


 しまった、口に出ていた。


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