第10話


 どうやら、留学生には春休みに課題が出ていたらしい。

 日本語で作文を書くという課題だ。

 それを添削して欲しいというのがリリィのお願いだった。


「こことここは切った方が良いかな。あと、句読点はこっちに打った方が良い。ここだと意味が変わってしまう」

「ふむ、なるほど」


 日常会話では問題なく話せているリリィだが、書き言葉はお世辞にも上手とは言えなかった。


 話を聞くと、どうやらスピーキングとリスニングに注力し、ライティングとリーディングは後回しにしたらしい。


 それ故に漢字は全く書けないから、文章はほぼ平仮名。

 助詞の「は」が「わ」に、「を」が「お」になっているところもある。


 加えて、その「は」と「ほ」、「あ」や「お」を混合している部分もあった。

 

 そしてスピーキングができるせいか、話し言葉の感覚で書き言葉を書いている節がある。

 一文が妙に長く、繋がっていて、何が言いたいのか分からない文章がたくさんあった。


 読み解くのはかなり辛い。

 しかしそれ以上に辛いことがある。

 

「ふむ、なるほど」


 距離が近い。

 熱心に聞いてくれるのは良いことだが、気が付くと肩と肩が触れそうなほど、近づいてくる。


 前のめりになると、弛んだ服と肌の間から、谷間がチライラと見え隠れする。

 頭が動くたびに、銀髪からふんわりと甘い香りが漂ってくる。


 さっきから、ドキドキしっぱなしだった。


 思えば、イギリスにいた時も距離が近かった。

 出会った頃はむしろ距離が遠かったのだが……。

 いつから、こんなに距離を詰めてくるようになったのだろうか?


「ありがとう、ございます。さんこうになりました」

「そ、そう。なら、良かった」


 ようやく離れてくれる。

 そう思ったが、しかしリリィは俺から離れてくれなかった。


「そーた。おねがいがあります」

「な、何でしょうか?」

「あす、デート、しませんか?」


 明日、デート?

 確かに明日は休日だけど。


「どこか、行きたい場所でもある? 日本観光?」


 俺がそう尋ねると、リリィは首を左右に振った。


「おかいもの、です。ふくを、かいたいです」


 あぁ、なるほど。

 そう言えば服とかは日本で買いそろえるつもりだったから、あまり持って来ていないと言っていた。


 そろそろ買い揃えないと、不便だろう。


「分かった。いいよ」

「ありがとう、ございます」

 

 リリィは嬉しそうに表情を綻ばせた。

 ……近距離だと、破壊力が高いな。






「そーた。おねがいがあります」


 白いネグリジェを見に纏ったリリィは、俺の体に馬乗りになりながらそう言った。

 俺の体は石のように硬く、全く動けない。


「お、おねがいって何を……」

 

 俺が尋ねると、リリィは自分の胸元を指さした。

 リボンを解くと、胸元が大きく開く。

 肩から下げるように、ネグリジェを脱いでいく。


「ま、待て! リリィ、何を……」

  

 一糸纏わぬ姿になったリリィは、ゆっくりと俺に顔を近づけた。

 そして耳元で囁く。


「おきてください」





 お腹の上の重い感触。

 体を揺すられる感覚。


「そーた、そーた。おきてください」


 そして天使が鈴を鳴らしたような、可愛らしい声を聴いた俺は目を醒ました。

 ぼんやりと霞む視界の奥には銀髪の天使がいた。


「おはよう、ございます」

「うん……おはよう。……って、リリィ……ゆ、夢じゃない!?」


 一瞬で目が覚めた。

 リリィは俺のお腹の上で馬乗りになっていた。


 いや、よく見るとちゃんとネグリジェを着ている。全裸ではない。

 半分くらいは夢だったようだ。


「ど、どうした!?」

「ねぼう、です、おこしにきました」


 ねぼう。

 ……寝坊!?


 びっくりして、時計を見たら朝の八時だった。

 確かにそろそろ学校に行かないといけない時間だ。


 ……いや、今日は土曜日、休日だ。

 学校は休みのはず。


「……早くない?」


 休みの日くらい、ゆっくり寝かせて欲しい。

 そう思いながらリリィに尋ねると、リリィは不満そうな、悲しそうな表情を浮かべた。


「……わすれたんですか?」

「忘れた? ……えっと、何を?」

「でーと、です。さくばん、やくそくしました」


 リリィは不機嫌そうに俺の体で体を上下に揺する。

 下半身に良くない刺激が伝わってくる。

ちょっと、その動きはやめて欲しい。


「まさか。昼から行こうと思っていたんだ」

「……そうですか?」


 リリィはムスっとした表情を浮かべる。

 これはイライラしている時の顔だ。


 信じてくれていないのか?

 確かに昼から行こうとは約束しなかったが、別に朝から行こうとも約束していなかったはずだが。

 リリィの頭の中では、朝から行くことになっていたのだろうか?

 俺がそう思っていると……。


 くぅー……。


 小さな音が聞こえて来た。

 お腹が鳴る音だ。


「朝ごはん、食べたい?」

「……そんなこと、ないです」


 リリィはそっぽを向きながらそう答えた。

 その頬は仄かに赤く色づいていた。




その日の朝食は洋食にした。

 イングリッシュ・ブレックファストを再現したような内容だ。

 日本に帰ってから恋しくなり、自分なりに再現を重ねて来た……自信のあるメニューだ。


「なかなか、おいしいです」


 リリィは上機嫌な表情で俺が作った朝食を食べてくれた。

 幸いにもイングランド貴族にも通じる味に仕上がっていたようだ。




__________



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