第4話

『ソータ。どうですか、似合いますか?』

『り、リリィ!?』


 俺の前に現れたリリィはベビードールを見に纏っていた。

 リボンとレースで飾られた薄い生地はどこか上品で、しかし同時にとても扇情的だった。

 青い生地の下から、薄っすらと白い肌が透けて見える。


『お、おい。り、リリィ……な、何をするつもりだ!?』


 俺は思わず、後退る。

 リリィはそんな俺に近づき、肩に手を置いた。

 

 そして俺の耳元に唇を近づけ、囁く。


「はなよめしゅぎょう、です」




「……夢か」


 そして俺はようやく、目を醒ました。

 差し込む朝日と、自分がベッドの上にいることから先ほどまでの出来事が夢であることを確かめた俺は、思わず額に手を当てた。


「全く、何て夢を見てるんだ……」

 

 普段なら、こんな夢、見ないはずだが……。

 リリィが家に来たせいで、いろいろと変に意識してしまっているらしい。

 

 慣れるまでは苦労しそうだ。


 俺は軽く伸びをしてから、ベッドから起き上がった。

そして歯磨きをし、顔を洗ってからダイニングへと向かう。


「そろそろひっくり返して。慎重にね」

「は、はい。うっ、こ、これは……」

「大丈夫、大丈夫。まだ巻き返し、聞くから。最後に見た目が良ければ良いのよ」

「そ、そうですか」

「最悪、胃にいれれば同じよ」

「そうですね!」


 台所では母とリリィが並んで料理をしていた。

 どうやら、料理の仕方を習っているらしい。


 我が家では家事は分担してやっている。

 リリィも生活に慣れてから少しずつやってもらうことになるだろう。

 今日はその練習、と言ったところか。


『うっ……ぐちゃってなっちゃいました。これは私が……』

「大丈夫よ。聡太なら文句言わずに食べるから」

「で、でも……」

「おはよう」


 俺が声を掛けると、リリィはビクっと体を震わせた。

 一方、母は目を丸くした。 


「あら……もう着替えて来たの?」

「うん、まあ……朝はできてる?」

「ええ、丁度できたところよ。ね?」

『え、えぇ……ま、まあ……』


 リリィは珍しく申し訳なさそうな表情を浮かべながら、俺に出し巻き卵と思しきものを差し出してきた。

 スクランブルエッグとだし巻き卵の中間のような出来だ。

 形はお世辞にも良くないが……。


 大事なのは味だ。

 母と一緒に作ったのだから、変な味になっているということもあるまい。


「ありがとう」


 俺はだし巻きを受け取り、自分の席に持っていく。

 だし巻き以外のモノは全て配膳済みだった。


「「「いただきます」」」


 三人で朝食を食べ始める。

 最初に味噌汁から飲むのが俺のルーティンなのだが、先ほどからリリィの視線が熱い。

 こちらをじーっと、見つめている。


 今朝の夢の件もあり、リリィに見つめられると変に意識してしまうな……。


 先にだし巻き卵から食べよう。

 俺は箸でだし巻き卵の断片を挟み、口に入れる。

 程よい塩味と甘味、そして出汁の香りが鼻を抜ける。


「……どうですか?」

「美味しい。初めてにしては上手じゃないか?」

 

 味付けについては母の作る物とさほど変わらない。

 ……母と一緒に分量を量りながらやったのだから、当然だが。


『そ、そうですか。ふふ、当然です』


 俺の言葉に安心したのか、リリィはいつもの得意そうな表情を浮かべた。

 そしてようやく、自分の食事に手を付け始める。

 器用に焼き魚の身を解す。


 昨晩の夕食の時もそうだったが、箸の使い方がとても上手だ。

 日本語と同様に練習したのだろうか?


「でも、リリィちゃん。初めての料理にしては、上手だったわね。計量スプーンの使い方もちゃんとしてたし」

「おかしなら、つくったこと、あります」


 そう言えば、イギリスにいた頃にリリィがお菓子を作ってきたことがあった。

 休日、一緒に出掛けた時も手作りっぽさのあるサンドウィッチを作ってきた。


 お菓子や簡単な軽食くらいなら、作れるのだろう。


「へぇ、そうなの! じゃあ、今度、作って見てもらってもいい?」

「ええ、まかせてください。おかあさま」


 おかあさま。

 昨晩から、リリィは母のことを「おかあさま」と呼んでいる。

 母が冗談で「ホストマザーだしお母様と呼んでいいわよ」と言い出したのを、真に受けたのだ。


 代わりにリリィは母に「アメリアではなく、リリィと呼んで欲しい」と伝えていた。


 俺がリリィをリリィと呼べるようになるには、半年も掛ったのに……。

 やや複雑な気分だ。


「「「ごちそうさまでした」」」


 食事を終えたら、食器を洗う。

 朝食については当番制だが、皿洗いはいつも一緒に洗うのがルールだ。

 洗う係と拭く係でいつもは母と作業を分担している。


「わたしも、します」

「あら、そう? リリィちゃんはこれから大変だろうし、日本に慣れるまではしなくてもいいけど……」


 覚えることもたくさんあるだろうし、家事は後回しで良い。

 母の気遣いに対し、リリィは大きく首を左右に振った。


「はなよめしゅぎょう、です」


 リリィの言葉に母は目を大きく見開いた。

 そしてなるほどと頷き、嬉しそうに微笑んだ。


「なるほど、分かったわ! じゃあ、リリィちゃんは私とお皿を洗いましょう!」


 どうやら母はリリィの言葉の意味を理解したらしい。

 エスパーか、何かか?


「じゃあ、リリィちゃん。このエプロン着て、そこに立って」

「はい」


 早速、エプロンを着て、腕まくりをし、スポンジを手に取ったリリィだが……。

しかし首を傾げてしまった。

 中々、皿洗いを始めない。


「おかあさま。聞きたいことがあります」

「どうしたの?」

「おさらって、どうやってあらうんですか?」

 

 料理はしたことあるのに、皿洗いをしたことはないのか……?

 あ、そうか。

 面倒な片付けは使用人にやらせてたのか。

 

「えーっと、そうね。まずは軽く水で……」


 母は少々困惑しながらも、リリィに皿洗いのやり方を教え始めた。

 リリィもややぎこちない手つきではあるが、きちんと皿を洗い切った。


 元々器用だし、この分ならすぐにできるようになるだろう。


「そーた」


 俺が最後の食器を拭き終えてから、リリィが話しかけて来た。


「うん?」

「はなよめしゅぎょう、がんばります。きたい、してください」

「あぁ、うん……? 分かった」


 語学は学ばなくていいのか……?



____


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