第2話

 アメリア・リリィ・スタッフォードと出会ったのは、留学先の学校だ。


 白銀に輝く髪と、澄んだ碧い瞳。

 妖精のように可憐な容姿。

 白磁のように滑らかで美しい肌。

 ギリシャ彫刻のように均整の取れた肢体。


 イングランドは可愛い子が多いなと思っていたが、その中でもとびっきりに可愛らしい、美人な女の子だった。

 というよりは、雰囲気が違った。

 氷のように冷たく、誰にも人を寄せ付けない、孤高のお姫様。


  そんな印象の彼女は“氷のお姫様”と呼ばれるだけあって、かなり良いお家柄の貴族令嬢だった。 


 俺の留学先のパブリックスクール(全寮制私立学校)は良家の子女が多かったが、その中でも一目置かれるほどの名門の家柄。

 本人も容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能と三拍子揃った、ハイスペック美少女だった。


 もちろん、そんな彼女と突然、仲良くなれたわけではない。

 俺が最初に仲が良くなったのは、メアリーという日本オタクの少女だった。

 そしてその少女と、リリィは友人関係だった。


 メアリーを経由して、俺とリリィは仲良くなった。


 それからリリィと一緒にいる時間が増えた。

 俺の方から街を案内してくれと頼むこともあったし、リリィの方から誘ってくれることもあった。

 

 ある日、リリィの方から「アメリアではなくリリィと呼んでよい」と言われた。

 そう、当時はリリィのことを“アメリア”と呼んでいたのだ。

 ミドルネームでリリィのことを“リリィ”と呼んでいたのは、家族を除けばメアリーだけだ。


 こうして俺は貴族令嬢と――リリィと親友になった。


 そんな親友と、なぜ喧嘩別れしたのか。

 その経緯を説明するのは少し難しい。というのも、俺はなぜリリィが怒ったのか、未だによく分かっていないからだ。


確か……俺が日本に帰ると告げた途端、不機嫌になったのだ。

 聞いてない、と。

 最初、自己紹介の時にクラスメイトには一年間の留学であることは告げているし、その時にリリィもいたはずなので聞いていないはずがないのだが……。


リリィは思い込みが強い方だ。これからずっとイギリスにいるものだと脳内で決めつけていたのかもしれない。


 それからイギリスに残るように説得された。

 大学はイギリスに通うといい、学費は貸せるし何なら出してあげる、就職なら父親のコネが効く……。

ありがたい話ではあったが、友達にそこまでしてもらうわけにはいかない。


 だから丁重に断った。

 そうしたら、リリィは激怒した。


 嘘つき、詐欺師、マザコン、馬鹿、アホ、死ね。


 散々に罵倒された。

 罵倒されて良い気分になれる人間はいない。

 俺もつい、言い返してしまった。


 我儘を言うなと。

 日頃の鬱憤も少し溜まっていたのかもしれない。


 そこからは口喧嘩に発展し……。


『もう、あなたなんて、知りません。絶交です。大嫌いです! 日本だか何だか知りませんが、好きな場所に行けばいいんじゃないですか? ただし、二度と私に顔を見せないでくださいね!』 


『ああ、そう、分かったよ。もう会わないようにしよう』


 こうして俺たちは喧嘩別れした。

 後になった後悔し、謝ろうかと思ったが、しかし俺から謝るのはおかしいと感じた。


 俺の方から連絡を取ることはしなかった。

 そしてリリィの方からも連絡は来なかった。


 こうして音信不通になったはずのリリィだが、なぜか俺の家にホームステイにやって来た。


「ここがアメリアちゃんのお部屋よ。家具とか、どう? 入りそう?」

「だいじょうぶです。そんなに、もってきてないので」


 しかもなぜか、日本語を話せるようになっている。

 少々舌足らずで上手とは言い難いが、しかし日常会話には困らないレベルだ。

 昔は「スシ」「カツカレー」「ラーメン」くらいしか知らなかったのに……。


「じゃあ、私は買い物に行ってるから。後はお若い二人に……なんてね」


 母は上機嫌で出かけてしまった。

 俺とリリィ、二人だけが残される。


 思わずリリィの方を見ると……目が合ってしまった。


『な、なんですか……!?』


 リリィの方もさっきから、俺と話したそうに視線だけを送ってきている。

 俺と同じように気まずく思っているらしい。

 二度と顔を見せるなと言ったのはリリィの方で、日本に来たのもリリィの方だから当然か。


『えっと、リリィ。何をしに日本へ?』


 埒が明かないので俺の方から聞いてみることにした。

 するとリリィはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、嬉しそうな表情を浮かべた。


 そしてチラっと上目遣いで俺に視線を向けた。

 その顔は仄かに赤らんでいた。


 そしてそのふっくらとした、蠱惑的な唇を動かして、日本語で答えた。


「はなよめしゅぎょう、です」







 私、アメリア・リリィ・スタッフォードには恋人がいる。


 クドー・ソータ(久東聡太)という日本人の少年だ。


 最初は興味もなかったが、私の親友であるメアリーと彼が仲良くなったことで、話をするようになった。


 話してみると(英語は下手で聞くに堪えなかったが)、意外と話が合った。

 テニスができるというので一緒にやってみたら、良い勝負になった。

 大英博物館にまだ行ったことがないというので連れて行ってあげたら、熱心に私の話の聞いてくれた。

 英語を教えてくれと言って来たので、毎日放課後、教えてあげることになった。


 映画館に行った。

 遊園地に行った。

 登山に行った。


 一緒にいて楽しいと感じるようになった。

 好きになった。


 だから「リリィと呼んで欲しい」と伝えた。

 私を“リリィ”と呼ぶのは、(メアリーを除けば)家族だけであるとも伝えた。


 彼は驚きながらも、「分かった」と答え、私をリリィと呼んでくれるようになった。


 こうして私たちは恋人になった。


 もちろん、恋人になったからといって、劇的に何か変わるわけではない。

 直接、好きと伝えるのは恥ずかしいし……。

 手を繋いだりは照れくさいし……。

 ましてやキスだなんて……。

 未婚の男女がやったら、はしたないと思われるようなことは決してやらなかったが。


 それでも私と彼は想いが通じ合っていると、思っていた。

 このままイングランドで一緒にいてくれると。

 結婚してくれると思っていたのに……。


 そう、あれは……。

 夏休み、家族旅行で海に行くけど一緒に来ないかと、誘った時だった。


 家族に紹介しよう。

 水着も見せちゃおう。

 ちょっと、大胆なこともしちゃおう。


 あれこれ考えていた私に、彼は言ったのだ。


 夏休みは帰国で忙しいから行けない、と。

 

 ……私が誘っているのに、行けない?

 というか、帰国?

 どこに? まさか日本に……?

 私という恋人がいるのに!?


 私は必死に引き留めようとしたが、彼は「親が心配するから」と言って頑なに帰ると言い張った。


 恋人の私より、親が大切なのか?

 今までの私との関係は、遊びだったのか?


 もう、両親や兄姉(きょうだい)たちに「恋人ができた」と自慢してしまったのに。

紹介するとも言ってしまったのに!


 私は頭に血が上り、いろいろと酷いことを言ってしまった。


 そうしたら、彼は怒りだした。

 我儘を言うなと。

 彼が私に怒るだなんて、初めてのことだから、ついびっくりしてしまった。


 内心で怖いと感じながらも、絶交だと言い返した。

 さすがにここまで言えば、譲歩してくれるだろうと思った。

 いつもはそうだった。


 でも、彼は冷たい声で言った。


『ああ、そう、分かったよ。もう会わないようにしよう』


 こうして喧嘩別れした。

 でも、最初はそこまで深刻に捉えていなかった。


 ソータの方から謝ってくれるだろうと思い、待っていた。

 待っているうちに、彼は本当に帰ってしまった。

 

 段々と、怒りよりも寂しい気持ちの方が強くなっていった。

 

 彼に会いたい。

 でも、「二度と顔を見せるな」と言った手前、今更イギリスに来てくれとは言えない。


 悩んだ結果、私はふと名案を思い付いた。

 私が日本に行けば良いのだ。


 日本語を習い、同時並行で彼の学校に転入する準備を始めた。

 ホームステイ先は彼の家にした。

 ……知らない人の家に泊まるなんて怖いし。


 幸いにも彼の母親には「恋人だから」と伝えたら、すんなりと話が通った。

 でも、ソータに連絡することだけはできなかった。

 せめて、ホームステイすることだけは伝えないと。

 

 そう思いつつもズルズルと時が過ぎ、気が付けば来日の日になってしまった。


「ひ、久しぶり……ですね」

「あ、あぁ……うん、久しぶり」


 久しぶりに会った彼は記憶と変わらず、カッコ良かった。

 そして困惑気味の表情を浮かべていた。

 彼には私が来ることは伝えていないのだから、当然だ。

 

『えっと、リリィ。何をしに日本へ?』


 幸いにも彼は怒ることなく、普通に話しかけてくれた。

 語学留学……と誤魔化すことはできたが、ここは素直に答えよう。


 私が日本に来た、目的。

 それは……。


『はなよめしゅぎょう、です』


 彼のお嫁さんになるために、日本語と日本文化、家事手伝いを学ぶこと。

 そして彼を私がいないと生きていけないように、メロメロにすること。


そしてイングランドに連れ帰ることだ。


____




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