04 タリアンとフーシェ

 タリアンは思い悩んだ。

 思い悩んで、思い悩んで、思い悩んだ。


さよならオールヴォワールだと!?」


 これはどういう意味だろう。

 テレーズ・カバリュスは、このタリアンを捨てるという意味か。

 あるいはもっと単純に、死ぬということか。


「そんなのは、認められん!」


 叫ぶタリアンは、まずロベスピエールの元へ向かった。

 だがロベスピエールは、「明日、国民公会コンヴァンスィヨン・ナシオナーレで演説することになっている。その準備で忙しい」と断られた。

 ふだんから、公安委員会の激務で会えないロベスピエール。

 ましてや、国民公会となると……と普通は思うところだが、しかしタリアンは――特にのタリアンは、そのロベスピエールの「拒否」を、「断罪」への意思表示と受け取った。


「ロベスピエールめ、もしやテレーズを殺す気か。そしてこの私もギロチンへ……」


 負の方向に向かった思考は、もう止められない。

 そして日が変わって、国民公会でロベスピエールは演壇に立ち、こう言った。


「粛清されなければならない議員がいる」


 やっぱりだ。

 それがタリアンの感想である。

 感想というか、絶望である。

 この日、七月二十六日、すなわち熱月テルミドール八日。

 のちに熱月テルミドール九日のクーデターとして知られる反動の日の、実に前の日であった。



「ああ……」


 その晩。

 国民公会の議場。

 タリアンは自らの議席でうなだれていた。

 すでにロベスピエールとその党与とうよはジャコバン・クラブへと向かっており、今はいない。

 ちなみにそのジャコバン・クラブでロベスピエールは、「諸君がいま聞いた演説は私の最後の遺言である」と、意味深長な言葉を残している。

 頭を抱えていたタリアンは、こうなればジャコバン・クラブに乗り込んで、ロベスピエールに直訴するかと決意を固めた。

 そこで立ち上がった。

 そこへ。


「ジャン・ランベール・タリアン」


「誰だ?」


 議場には、もはや自分一人だけだと思った。

 だから、いつまでもいつまでも――それこそ夜まで――うなだれていたというのに。


「忘れたのかね? 同僚議員のことを」


「フーシェ……」


 タリアンが振り返ると、そこには痩せぎすの貧相な男がいた。

 もはや夜のとばりが下りて、議場はまるで暗幕に包まれたような、そんな仄暗ほのくらさの中、その男フーシェはそんな暗がりこそが我がみ家と言わんばかりの、やはり陰鬱な雰囲気を漂わせている。


「タリアン、君は思い悩んでいるね? 今日のロベスピエールの演説を。の対象は、自分ではないかと」


「そ、それは……」


 フーシェこいつにそれを言うことは躊躇ためらわれる。なぜなら、とてつもない陰謀に引き込まれそうだからだ。

 タリアンのその動物的直感は当たっているのだが、次なるフーシェの一言によって、そんな直感は砕け散って、かえりみられなくなる。


「それに、そのとは、獄中のテレーズ・カバリュス女史にも及ぶと考えているだろう、如何いかん?」


「……うっ」


 思わず呑んだ、息の音が答えだった。

 なぜそれをと問うまでもなかった。

 フーシェの手には、ローズという署名の手紙があった。

 ローズとは、テレーズの獄中の友人である、ボアルネ元子爵夫人のことであろう。


「……断っておくが、タリアン、君のカバリュス女史へのご執心はつとに有名だ。ボアルネ元子爵夫人が知らせなくとも、知っていたとも」


 フーシェはコツコツと音を立てて歩き出す。

 そして演壇のあたりに至ると、振り向いた。


「そう……知らせてきたのは、ではない。タリアン、君はカバリュス女史からさよならオールヴォワールという手紙を貰っただろう。いや、隠さなくても良い、が、ボアルネ元子爵夫人の知らせてきたことだから」


 今、議場は仄暗い。

 フーシェの顔も、よくうかがえない。

 もしかしてフーシェこいつは、悪魔なんじゃないか。

 いや、悪魔がフーシェこいつの姿を借りているのか。

 ……そんなことをタリアンが考えてしまうような光景だった。

 フーシェはそんなタリアンの思惟を知ってか知らずか、話をつづける。


「さてタリアン、君は今、ジャコバン・クラブに行って、ロベスピエールと直談判に及ぼうとしているね?」


「…………」


「沈黙は肯定と受け取ろう。だから言う。そんなことをしても無駄だ」


「なぜ!?」


 タリアンは、仮にも一廉ひとかどの革命家たる自分が、身命を賭して訴えれば――これからは心を入れ替えて、ロベスピエールの党与として邁進すると訴えれば、活路は開けると信じていた。


「活路?」


 だがフーシェは疑問を呈する。

 いや、疑問というか詰問だ。


「活路というが……それはタリアン、きることかね?」


「それはむろん……」


 そこでタリアンは絶句した。

 なるほど、たしかにロベスピエールは、タリアンを許すかもしれない。

 ただし、タリアン許す、ということだ。

 テレーズではない。

 むしろ、テレーズは「革命家・タリアン」を惑わす妖婦として粛清するだろう。

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