03 テレーズとローズ

「このタリアンが刑場の露と消えたとしても、それこそテレーズは世をはかなんで、自らを処するであろう」


 タリアンは、進退極まった。

 そう思った。

 だがテレーズ本人はどう思っていたことか。

 たしかにタリアンが死ねば、テレーズは困ったことだろう。

 しかしそれは。



「後ろ盾がなくなるという意味では、たしかに『世を儚んで、自ら処する』しかないわね」


「言うじゃない、テレーズ」


 パリ、ラ・フォルス監獄。

 テレーズはここで、最近知り合いになったローズという女囚と話していた。

 ローズはマルチニーク島出身の美女で、ボアルネ子爵という貴族の夫人であったが、その子爵から離縁され、ボアルネ元子爵夫人と呼ばれていた。


「ローズ。あなたはいいわよね、にいて」


 ローズは自らの隣室の、オッシュという軍人と恋仲になっていた。

 オッシュはナポレオンから戦争の達人と讃えられる名将だったが、この時はサン・ジュストの部下の「告発」により、収監されていた。

 そこでローズと知り合い、ねんごろになった。

 

「たまたまよ。そもそも彼、出獄すれば十六才の若奥様がお待ちよ」


 オッシュは収監された時、その若妻と結婚して一週間も経っていなかった。不運といえば不運だが、その投獄先でローズという美女と付き合うところに、彼のしたたかさがある。


「それでも、ああいう彼と監獄の中で、ってのは、ついてるわ」


 わたしとちがってね、とテレーズは自嘲気味に笑った。

 オッシュには軍人としてのコネがある。かつ、革命戦争の戦況によっては、釈放して軍務につかせるという、政府の思惑もある。だから今もこうして、彼は生きている。

 そのため、オッシュの獄中の愛人であるローズは、殺されることはないだろう。

 ロベスピエールに白眼視されているタリアンの愛人、テレーズとちがって。


「何言ってるの」


 ローズはいかにも心外だという風に目を見開いた。

 オッシュは獄中だが、タリアンは囚われていない。

 そこに、これ以上ない有利さがある。

 ローズはそう訴えたが、テレーズは肩をすくめた。


「駄目よ。タリアン、会いたい会いたいばかりで、ただそれだけ。そういう手紙を寄越すだけ。じゃあ会うためにどうするかなんて、一言も書かない」


 つまりは運任せで、ただおのれの愛情のみが、その運を招くと思っているのだろう。

 テレーズは、を間違えたかと真剣に思い始めていた。

 そんなテレーズに、ローズはウインクした。


「ね、テレーズ」


「何よ」


「わたし、思いついたことがあるの」


「何?」


 ローズは、獄中の良人おっとであるオッシュを訪ねて来た、痩せぎすの貧相な男のことを思い出していた。

 彼は「ロベスピエールの打倒はできる。だがそのためには、直情径行にあの男に刃向かう者がいれば」と語っていた。

 オッシュは、自分が出獄すればそれが可能だと言っていたが、その男は首を振った。一度投獄された者は警戒される、そうでない者がいい――と。


「テレーズ、あなたのなら、条件に合いそうだわ」


「そうねローズ、直情径行なんてとこが、特に」


 女たちは冷静だった。

 生きるために、どうすべきかを冷静に見すえ、考えた。

 そして一七九四年七月二十五日(熱月テルミドール七日)、テレーズはタリアンに最後の手紙を送った。

 タリアンはその手紙を見て、震えた。


「……何だこれは」


 手紙にはたった一言、こう書かれていた。

 さよならオールヴォワール、と。

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