ポスト民主主義について

2022年の1月のはなしである。グーグルニュースを眺めていて大笑いした。ご存じのように、グーグルニュースは各新聞の見出しが並んでいて、ひとつをクリックすると本文が読めるようになっている。

毎日新聞の記事の見出しに「ポスト民主主義」という文言があって、私はこれに大笑いしたのである。

「ポスト民主主義」とは民主主義に代わる社会制度の事である。

毎日新聞はそんな事を信じているのか。

残念ながら本文は読めない。料金を払えないし払いたいと思わない。

毎日新聞は新聞社であるにもかかわらず民主主義の重要性を理解していない。

民主主義がなぜそんなに重要かというと、「法の支配」が大事だからである。

世の中には「法の支配」の国と「人の支配」の国の二種類があって、「法の支配」が正しい。

たまたま国のトップが善人で国民にやさしい人で優秀だったとしても、いつかは世代交代するのである。次のトップは極悪人で国民を虫けらのように扱う無能な政治家かもしれない。

「人の支配」の国はこの問題から逃れられない。

だから「人の支配」は間違っていて「法の支配」が正しいのである。そして、「法の支配」を保証する制度は民主主義だけなのである。

つまり「ポスト民主主義」がどんな社会なのか誰も知らないが、その社会が「人の支配」だという事だけははっきりしている。

毎日新聞は中国から金を受け取っている会社だから、「人の支配」の優位性をアピールしたかったのではないだろうか。しかしどう考えても「人の支配」は劣っている。

では何故、毎日新聞は「法の支配」の重要性が理解できないのか。

それはこの会社がベタだからである。

ほとんどの人間は子供の頃に「親の支配」を受けていたのである。「人の支配」は「親の支配」の延長線上にあるから、「親の支配」が理解できたら「人の支配」は理解できる。だから毎日新聞の頭でも、「人の支配」は理解できるのだろう。

だが、「親」「人」が具象であるのに対し、「法」は抽象である。だからベタな人間には「法の支配」が理解できないのではないだろうか。

また、「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」「大岡越前」は「人の支配」を正当化し、美しく描いた番組である。これらの番組からは、「人の支配」が劣っているという認識は微塵も感じられない。

昔の世代の日本人は当たり前のようにこんな番組を観ていたのである。

さらに、西暦2000年頃の日本のマスコミはまだ日本の政府を「お上」と呼んでいたのである。彼らは二言目には「権力に迎合してはならない」とか「我々が権力を監視しなければならない」とのたまうが、それは口先だけであり、彼らには無理である。

日本のマスコミにとって最高権力はジャニーズ事務所であった(過去)。そして財務省であり中国である(現在)。

それらの権力には平身低頭ではないか。

だから「ポスト民主主義」が実現したら、真っ先に政府に迎合するのが日本のマスコミだと思うのである。当然の事ながら、政府ではなく国民を監視するようになるだろう。

私が通っている床屋では待合室に毎日新聞が置いてあった。だがそれは昔の話で、今は別の新聞が置かれている。「床屋談義」というワードがあるが、毎日新聞はその床屋に見限られたのである。「ポスト民主主義」等と言っている奴は床屋談義以下という事なのである。笑えるでしょう。



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