いいぞシェイクスピア

評論家の岡田斗司夫の動画を観てびっくりした。

現在は世界中でホワイト化が進行しているのだという。

ホワイト化とは何かを岡田斗司夫が解説していた。なんと70年代の若者は「汚いものの中に真実がある」と思っていたらしい。(実はそれには理由があるかも知れない。最後にそれを説明する)。それと反対の考え方がホワイト化である。

しかし私は思うのだが、実はホワイト化とは単なる左傾化の事ではないだろうか。

というのは、日本の左翼は70年以上前からホワイト化していたのである。

日本の軍隊を認めず、自衛隊すらも認めない。もちろんこれは憲法第9条にそう書いてあるからそれを守れという主張なのだが、憲法は変えられるはずなのに彼らが反対するから変えられない。

また、「武器輸出三原則」や「非核三原則」もホワイト化ではないだろうか。

要するにダーティなことは認めないという考え方である。日本の左翼にとって核とか武器とか軍隊は「穢れ」なのであろう。

さらに90年代に活発化した「言葉狩り」も一種のホワイト化だといえるだろう。

「言葉狩り」の正体は「臭いものに蓋」である。臭いものにどんどん蓋をしていけば社会がホワイト化するのは当然ではないだろうか。

最近ではAV新法が成立した。

この時私が思い出したのは「鉄拳」という映画であった。ストーリーはこうである。街の不良グループが街を浄化しようとする。そして彼らにとって身体障害者は「穢れ」なのであった。だから彼らは身体障害者を一人ずつ殺していくのである。

AV新法の推進派はこの不良グループと同じではないだろうか。

「鉄拳」のようなメッセージは実はそんなに珍しくない。諸星大二郎の「桃源記」という漫画も「陰」を排除することによってホワイト化した村を否定的に描いていたし、ジョージルーカスの「THX1138」という映画に登場するディストピアもホワイト化されていた。

これらの作品の元祖はシェイクスピアの「マクベス」かもしれない。予知能力を持った魔女の最初のセリフが「きれいはきたない、きたないはきれい」であった。(70年代の若者の考え方はここから来ていたのかもしれない。「きたないはきれい」には共感できないが、「きれいはきたない」には共感できる。あきらかにAV新法やホワイト化のことである)。

実はAV新法こそ「きたない」のである。

ホワイト化は「きたない」のである。きれいすぎてきたないのである。

人間の腸内環境だって、「善玉菌」(きれい)と「悪玉菌」(きたない)が同居しているではないか。「善玉菌」だけを残して「悪玉菌」を排除すると人間は病気になる。

社会も同じで、ホワイト化が進行すると日本は病気になると思う。

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