価値相対主義について

「エントロピーの法則」はご存じだろうか?

例えば、さっき私が電熱器で沸騰させた水はもう冷めている。

では沸騰時の熱は消滅したのか?

「エネルギー保存の法則」があり、熱は消滅しない。全宇宙に向かって拡散する。

これが「エントロピーの法則」である。

現在の宇宙では太陽のように温度の高い場所と月のように温度の低い場所のギャップがあるが、いずれこのギャップは無くなる。

エントロピーが進行すると温度の高低差は縮んでいき、最後には全宇宙の温度が均一になる。

するとすべての原子の運動は止まり、形のあるものは消滅する。

その時、宇宙は死ぬのである。

私は、文明とか社会とか文化にも同じ法則が当てはまると思っているのである。

文明は価値の序列で出来ていると思う。しかし岸田秀が指摘したように、どんな絶対価値もいつかは相対化する。

これは「エントロピーの法則」と同じではないだろうか。

価値の序列が差別を生む。しかし、エントロピーが進行し、すべての価値が均一になると、文明が死ぬのである。

具体的に言えば人間が笑わなくなる。可笑しいことが無くなってしまうからである。

さらに、性交が出来なくなる。女はともかく男はそうなるだろう。

「笑い」も「性交」も、価値の序列があってこそ可能なのではないだろうか。

だから「価値相対主義」とは「文明のエントロピー」であり、文明の寿命を縮める行為なのである。

だが、実は私自身が「価値相対主義者」なのである。

なぜ私が「価値相対主義」になったのかを説明しよう。

若い頃、フィリップKディックの「高い城の男」という小説を読んだのである。

二人の宝石職人が登場する。どちらも貧乏だった。そこで二人は一発逆転を狙って「今までにない装飾品」を作り始める。

そしてその装飾品は完成するのである。それはブローチでもない、ネックレスでもない奇妙な装飾品だった。しかし、じつに美しいのであった。二人はこう思った。「こんなに美しいのだから売れるだろう」

だが売れなかったのである。

それは何故か。

逆の考え方をしてみよう。

ブローチが売れる理由は何なのか。美しいからではない。それがブローチだからである。

ネックレスが売れる理由は何なのか。それがネックレスだからである。

つまり、こういう事である。大昔、影響力のある誰かがこう言ったのである。「ブローチには価値がある」「ネックレスには価値がある」と。

根拠もなく断定したのである。それ以外の人間はその「根拠のない断定」を疑わなかったのである。

ただそれだけである。だから、ブローチでもネックレスでもない装飾品は価値がないのである。

これが価値の正体なのである。

装飾品だけではない。すべての価値は最初はノイズに過ぎなかった。例えば電池を最初に発明したのは古代のエジプト人であった。だから電気を発見したのも、世界で最初にそれを自分たちのために利用したのも彼らであった。しかしこの当時は電気は金メッキのために使われただけであった。19世紀にヨーロッパ人が電気を再発見し、電池を再発明して、電気や電池の利用価値が一気に増大した。つまり電気や電池は最初から価値が高かったのではない。後から人類が電気に依存する社会を作ったのである。

これがフィリップKディックのメッセージだ。

私は未だにこのメッセージに反論できない。だから自分自身が「価値相対主義者」になるしかなかったのである。

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