第7話 逆忖度

「小西文書問題」を思い出してほしい。

総務省の役人が立憲民主党の小西ひろゆき議員と結託して、かつての総務大臣の高市早苗(現在は経済安全保障担当大臣)を辞職させようとした事件である。

国会で小西ひろゆきをはじめとする立憲民主党の議員が、捏造された文書を使って高市大臣を追求し、マスコミが立憲民主党に同調した。

政治のことがよくわからない私にとって、この問題は日本人の民族性を説明するための好材料でしかなかった。

日本の文化は限界集落の人間関係を水で薄めた文化である。

戦後の日本人のほとんどが「世間」を信仰しており、それを「和の文化」と呼ぶが、実は「世間」には「大きな世間」と「小さな世間」があり、「大きな世間」とは日本全体の事であるが、それ以外の世間の事を「小さな世間」と呼ぶ。いわゆる「サークル」の事である。限界集落の文化を水で薄めたのはあくまで「大きな世間」の方であり、「小さな世間」は限界集落そのものである。

立憲民主党も「小さな世間」であり、毎日新聞も「小さな世間」、総務省も「小さな世間」である。

「大きな世間」と「小さな世間」の違いは「抽象」と「具象」の違いである。(私は「大きな世間」が本当の意味での抽象だと思ってないが、抽象だという事にしておくと、「小さな世間」と対比しやすい)。

「大きな世間」は一億二千万人もいて、顔も名前も覚えられないから抽象だが、「小さな世間」は顔も名前も覚えられる程度の人数であり、だから具象という訳である。

「大きな世間」と「小さな世間」が対立した場合、日本人の十中八九が「小さな世間」につく。それはなぜかというと、日本人がベタな民族だからである。すべての人間は具象に弱いが、多神教の民族は特に具象に弱い。何しろ普段信仰している神が具象なのであるから。

また、日本人はベタなので、日本の左翼は外国の左翼と違って、イデオロギーそのものを信じるのではなく、「イデオロギーを叫ぶ人」を信じる。イデオロギーには形も色もないが、「イデオロギーを叫ぶ人」は具体的な形をしていて色も付いている。つまり具象である。

要するに、立憲民主党の場合、ひとりひとりの議員は、あくまで自分の周囲の人間、立憲民主党という「小さな世間」を信仰の対象にしている。社民党も放送局の人間も同じだと思う。(もちろん、日本人である限り右翼も左翼と同じである。月刊WILLや月刊HANADAというサークルは安倍晋三を崇拝しており、安倍晋三が深く関わった統一教会をいまだに否定することができない。それは何故かといえば、彼らがストレートに安倍晋三を崇拝しているのではなく、本当はサークルを信仰しているからである。サークルが安倍晋三を崇拝しているのでひとりひとりはそれに同調しているのである。するとひっこみがつかなくなる。統一教会が駄目だと分かってもここでひっこむと自分が孤立するのである。日本人が最も恐れる状態が孤立であって、戦前の天皇崇拝もこれと同じであったため、戦争を終結させる事ができなかった)。

私は前に、「聖徳太子の闇」という文章で世間信仰について説明した。世間を信仰するためには「性善説」という色眼鏡が必要であると。だがそれは「小さな世間」を信仰する場合も同じである。

そしてその「性善説」は、自分が所属する「小さな世間」だけに適用される。するとその「小さな世間」が左翼の団体だった場合、「なぜ、自分の周囲の人間は善い人ばかりなのか」という自然な疑問に対する答えが「日本人が身内にやさしいのは当たり前」ではなく、「共産主義を信じると善い人になる」になってしまうのである。

これを「共産主義性善説」という。

それだけで話が済めばどうという事はないが、左翼の団体は「大きな世間」と価値観が異なる。対立する場合もある。その場合、何割かの左翼が「共産主義を信じない者は悪人だ」という考えになってしまうのである。

つまり、日本の左翼団体に所属する多くの人間は「大きな世間」(日本全体)に対して「性悪説」を適用しているのである。

その証拠に彼らは、日本のロケットの打ち上げが延期になったり、サッカーの国際大会で日本のチームが負けると大喜びする。彼らはあきらかに「大きな世間」に対して悪意を持っているが、その悪意の根拠は性悪説以外に考えられない。

そんなわけで、立憲民主党や毎日新聞などの日本の左翼団体に所属する人間は必然的に反日になるのである。また、彼らの「中国信仰」の中身は実は「中国性善説」なのである。

ところで、「和の文化」を信じる者にとって、人とのつながりこそが自分のすべてである。たとえば、「立憲民主党」という「小さな世間」に所属する日本人は、その「小さな世間」に褒めてもらうことだけが生きがいである。

前述のように、そういう人間は「小さな世間」の中で孤立することが一番怖い。(信仰の対象が「他者」なので、「他者」とのつながりが絶たれると生きていけない)。

その恐怖が仲間に対する忖度につながる。

だが忖度の主体が常にシャイとは限らない。能動的、攻撃的な忖度もあると思う。

もうお分かりだろうがいじめの事である。

AさんがBさんに好かれたくて忖度をする場合、能動的、攻撃的忖度をする事も多いと思うのである。

これを「逆忖度」という。どうして逆かというと、こういう人間の行動は裏返して解釈するとわかりやすいからである。

Aさんが小西ひろゆきでBさんが立憲民主党の場合、AさんとしてはBさんが嫌う高市早苗に対して逆忖度をするのが一番効果的である。

つまり国会で高市早苗が攻撃された最大の原因は立憲民主党の内部の和合だったのである。

しかし、日本の国民だって左翼からは「性悪説」という色眼鏡で見られているから、立場的には高市早苗と変わらない。

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