第2話 素の人間
前回は、パースペクティブという概念を使って一神教の社会と多神教の社会の違いを説明した。
このパースペクティブの概念は、個人、つまり一人の人間の人格を説明することも可能である。
パースペクティブの第三の消失点を絶対化するのが一神教の信者である。そして第二の消失点を絶対化するのが多神教の信者だ。
この場合、第三の消失点を「超自我」と呼ぶ。第二の消失点は「自我」、第一の消失点は「自己」である。
普通の人間は、「自己」よりも上位の消失点を絶対化する。
一神教の信者にとって「自己」の上位は「自我」、その上位が「超自我」である。彼らは「超自我」を絶対化するので、「自己」と「自我」の両方を同時に相対化できる。
こうすれば、自分で自分を律する事ができる。
それに対し、「自我」を絶対化するのが多神教のやり方である。
この場合、相対化できるのは「自己」だけである。
「自我」の正体は「他者」なので、多神教の信者の場合、「他者」に従わないと生きていけない。
当然、「他者」が誰を意味するかによってその人の生き方は異なる。
「他者」が天皇を意味する場合と池田大作を意味する場合では少し違うだろうし、
世の中にはプーチンや習近平という独裁的な「他者」を絶対化するありえない政治家とか、山口県光市母子殺害事件の被告を絶対化するありえない弁護士などが居るが、彼らは絶対化すべき「他者」の選択を間違えたために、「外道」になってしまった。
また、多神教の信者にとって信仰の対象が個人とは限らない。日本には「和の文化」という特殊な文化があり、むしろ大多数の日本人は「世間」という、不特定多数や特定多数を絶対化しているのである。だからほとんどの日本人は、不特定多数や特定多数に服従していると言える。
さらに、多神教の信者にとって信仰の対象が生きた人間とは限らない。オリュンポスの神々、八百万の神々、仏像、先祖など、架空の存在や死んだ人間に従う場合もある。
このように、「超自我」を絶対化した人を「一神教の信者」、「自我」を絶対化した人を「多神教の信者」と定義すると、世の中には「自己」を絶対化した人もいるわけである。その場合は何と呼ぶのか。
「人格障害」である。
これを説明する前に自分のことを言っておこう。じつは私は大学を出ていない。体系的に心理学の勉強をしたことが無い。自分の心理学の知識は岸田秀の6冊か7冊の本によって得たものだ。
だが、過去に虚言症の知り合いが二人居たため、虚言症のことはよく知っているつもりだ。
虚言症とは人格障害の一種で、自分がついた嘘を自分が信じてしまうという面白い病気の事だ。
私はパースペクティブの概念を使ってこの病気のメカニズムを解明してしまった(つもりなのである)。
虚言症とは、セルフ宗教なのである。
虚言症の患者は、自分が教祖であると同時に信者なのである。
「信者としての自分」にとって、「教祖としての自分」は絶対なのである。自分がしゃべった事は「教祖としての自分」の発言なので,「信者としての自分」はそれを疑う事ができない。
昔の日本人はこう言ったのである。「イワシの頭も信心」まさにその通りで、信仰こそ人間を人間たらしめる。信仰のない人間は自分を信仰(絶対化)するしかない訳だが、それは一種の病気なのである。
私はこういう人間を「素の人間」と呼んでいるが、世の中には「素の国家」もある。
韓国がそうである。(たぶん、北朝鮮も同様である)
おそらく「従軍慰安婦問題」の証言とか、「徴用工問題」の証言は嘘だろう。
だが彼らは自分がついた嘘を信じ続けている。
韓国という国家や世論にも問題がある。確たる証拠が無く、その上問題の当事者に過ぎない従軍慰安婦や徴用工の証言を根拠に日本を断罪するのは、客観性が無いと言わざるを得ない。これまでの説明でおわかりだろうが、人格障害とは、主観的すぎる人間の事なのである。
嘘をつくのも韓国人であり、それを信じるのも韓国人。立派な虚言症ではないだろうか。
韓国と北朝鮮が人格障害になったのは、自前の文化を作らなかったからである。
中国から儒教を輸入したが、実は「儒教」「仏教」「共産主義」は、信者の人格障害を治す事が出来ない。パースペクティブの第二の消失点も第三の消失点も絶対化しないからである(ただし王道の仏教は人格障害を治せないが、邪道の仏教は治す事ができる。仏像や先祖というパースペクティブの第二の消失点を崇拝(絶対化)する事によって、自己という第一の消失点を相対化出来るのである)。
ところで、私は5年前から大阪の豊中市に住んでいるが、出身は兵庫県の神戸市である。私立の「須磨浦小学校」に通っていた。同級生で藤原みちひろという奴が居たんだが、4年前に何故かこいつが私の近所に引っ越してきたのである。私の家から10分のところにセブンイレブンがあって、その店の店長をしている。何をする訳でもないが、ものすごく気持ち悪い。この気持ち悪さは韓国人の気持ち悪さと同じである。やはり藤原みちひろも「素の人間」なのだろうか。
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