その4 人ならざるものの声(弟王子視点)

 カツ……ンッ。


 乾いた音に視線を落とすと、杖が廊下に転がっていた。

 まさかと兄上の耳を確認する。

 いつも貼り付いている【耳飾り】がない。落ちたのは兄上の【唯一無二の魔法の杖】だ。


 兄上も指先で自分の耳を確かめてから声をかけた。


「ユイ、どうしたの? 掃討作戦で疲れさせちゃったのかな。大丈夫?」


 すぐに【杖】を拾い上げようとした兄上を、私は手を伸ばしてさえぎった。


「兄上、ちょうどいいです。【杖】が離れている間に、【唯一無二の剣】と会って来てください。どのみち、他の【唯一無二】と会うときには【これ】を連れてはいけないのですし」


「……それもそうだね」


 せっかく兄上から離れたんだ。またすぐに貼り付かれたらたまらない。


「【これ】は私が大事に預かっておきます」


 私が【杖】に手を伸ばすとき、【杖】から【電撃】などで攻撃されないかと緊張したが、【杖】はただの杖のように、大人しく私の手の中におさまった。


「ほら、【杖】もわかっているのですよ。まだ仲間に会えないから、自ら離れたんじゃないですか」


 そんなことあるはずがないと思いながらも、それっぽい理由付けをした。

 多少強引にしないと、この【杖】は兄上にベッタリだからな。


 以前に兄上が、【唯一無二の槍】と、その【あるじ】である辺境伯と会うことになったときは、本当に大変だった。


 【主】のいる【唯一無二】は出会い頭で戦闘になることがある。

 兄上が【唯一無二の槍】と会うのが目的だったため、あの時は【杖】に遠慮してもらうことになった。


 しかし兄上がいくら説得しても、なだめすかしても、【魔法の杖コイツ】はどうやっても兄上から剥がれなかった。

 最終的に、兄上が【耳飾り】状態の【杖】に魔力を通すときに直接かかるような【催眠】を新たに編み出す事態にまでなった。


 そこまでしてかけた兄上の【催眠】でもそれほど持たなかったのだから、この【魔法の杖】は確かに兄上の【唯一無二】なんだろう。


「ユイ、そうなのかい? ……うーん。まぁ良い機会だから、このまま【剣】に会いに行こうかな」


 いつもの兄上なら【杖】をひと撫でくらいして行くところだが、今は【唯一無二の剣】に気を取られているのか、足早に行ってしまった。


「お前、ふられたな」


 軽口を叩けば反応があるかと思ったが、【杖】は無言だった。


 おかしい。

 この【杖】が兄上にベタ惚れなのはわかっている。

 いつも砂を吐くような甘い二人のやりとりを見せつけられているうえ、たまに漏れ聞こえてくる【杖】の思念にいたっては、「お前は兄上の恋人かっ」と言いたくなるような内容ばかり。


 そう。昔から私には人ならざるものの声が聞こえていた。

 誰もいないはずの宝物庫や山奥、王墓の地下道から、ぶつぶつとなにやら聞こえてくるのだ。


 その声からは耳をふさいでものがれられない。


 死霊の声だと思った幼い私は、恐怖から、聞こえる声を音で打ち消すために、自ら叫び声を上げ、派手に物を壊した。

 声が語る内容に耳を傾ければ、それこそ取り憑かれてしまうと思い込んでいたのだ。


 転機が訪れたのは三年前だ。

 献上された槍を手に取ると、槍から(【あるじ】ではないのか。残念だ)と聞こえた。


 まるで武将のような物言いに、つい普通に返していた。

「お前は主を探しているのか」

(そうだ。我は【唯一無二】であるからして。切実に【主】と出会いたいのだ)


 この槍が【唯一無二】?

 いや、ただ槍に取り憑いた死霊がかたっているだけかもしれない。


 私は人払いをした部屋で槍とじっくり話すことにした。


 槍は博識で、私の知らない歴史の裏側や、槍の今までの持ち主について語ってくれた。


 保存されている【唯一無二】の資料と【槍】の語った内容を照らし合わせ、聞こえる声を頼りに、宝物庫に埋もれていた【唯一無二の篭手こて】を掘り当てた。


 そうしてようやく、槍は正しく【唯一無二の槍】であり、今まで私に聞こえていた声は【唯一無二】の思念だったのだと信じられた。


 【唯一無二】同士なら思念で会話できると【槍】が言う。


 しかし現実なかなか【唯一無二】同士が出会うことはない。

 絶対数が少ないことに加え、威嚇いかくから【主】の取り合いにまで発展することがままあるため、最近では【唯一無二】の【主】は他の【唯一無二】を避けるように心がけているからだ。


 そばに誰もおらず話す機会もないと、つい私たちがブツブツつぶやくことがあるように、【唯一無二】も孤独な時間が続くと無意識に思念をたれ流してしまうものらしい。

 そんな独り言のような思念を私が聞き取っていたのだ。


 長きにわたり恐怖の元だった声の正体がわかって救われた気がした。


(本来なら【唯一無二】と【主】の絆が深まればこそ、【唯一無二】の思念を【主】が受け取れるようになるのだ。お前さんのように【主】でもないのに【唯一無二】の思念を受け取れるのは、かなり異質な能力よ。おおやけにせぬがよかろうな)


 確かに、良いように利用される未来しか描けない。


 しかし私の兄上は、私が奇声を上げ、やたらに物を壊し、自分で言うのもなんだが神経質でひねくれていても、少しも厭うことなく静かに寄り添ってきてくれた自慢の兄なのだ。


 兄上にだけは、すぐにでも打ち明けるつもりだった。

 

 今までの私は私にしか聞こえない声に怯えていたこと。【槍】のおかげで声の謎が解けたこと。


 もし次に聞こえてきたなら、よくよく聞いてみるつもりであると。そうすれば、すぐに成長する武器である【唯一無二】が見つかる。きっと兄上にふさわしい武器も見つかるはずだ、と。


 しかし打ち明ける前に、まるで今までとは違う、明るくはじけるような思念が届くようになった。


(え、それ、魔法? 魔法だよね。やったー! 魔法がある! あこがれの魔法使いになれるぅ!)


 子ども?

 生まれたての【唯一無二】だというのか?

 いやその前に【唯一無二】はどうやって誕生するのだ?


 私と同じように【槍】にも思念が聞こえていると思っていたが、【槍】には聞こえないらしい。


(思念の強さに応じて離れていても受け取れるとは。お前さんはほんに異質よの。我等われらの思念は本来、主等ぬしらの会話と同じくらいにしか届かぬものよ。しかも生まれたての【唯一無二】とな。ふむ。我がいつどのように【唯一無二】と成ったか覚えておらぬし、誕生の瞬間にまみえたこともないからして、どのように生まれるかはわからぬな)


 騒がしい思念は、夜も昼もなく素直な心情をつぶやき続ける。


(あれ、なんで私、動けないの? え。もしかしなくても、ここ、倉庫だよね。ふぇっ。まさかの無機物転生!? 異世界転生だけど思ってたんと違う! なんじゃこりゃあ! 動けないぃ! 魔法書がこんなにあるのにぃ。ない。ないわー。読みたいのに動けないぃ)


 武器も防具も元来、動かないものだろうに、声の嘆きは止まらない。


(【主】が決まれば【主】の【耳飾り】となり、【主】とともに移動できるようになろう。まだ【主】がおらぬということではないか)


 昼時にはさらにギョッとさせられた。


(ふぁ、食べ物の匂いがするぅ。お昼かな? そういえば全然お腹すかないんだけど。あ、杖だからお腹すかないのか。もし食べられるとしても口ないし。杖だから、食べられるのは植物みたいに水だけ? うぇえ。どうせ食べるなら、普通にごはんやおやつが食べたいなぁ)


 アレが食べたいだの、コレがいいだのとしばらく続いたが。

 いやいやそれより【唯一無二】とは食事をとるものなのか?


(まさか。我等にそのような必要はまったくない。そもそも食べたいなどとは思わぬものよ。その思念の元は本当に【唯一無二】なのであるか? まぁ他でもないお前さんに聞こえるのだから【唯一無二】で間違いなかろうが)


 滅茶苦茶な独り言について【槍】と話すのも楽しかった。

 こんな風に遠慮なく話せる相手は、私には兄上しかいなかったから。


(つまんないつまんないつまんないぃ! せめて自由に動きたいよぅ。目の前に魔法書があるのに、取り出せないし、めくれないし。ひどいおあずけプレイだよ。あ、魔法で動かせば……って、だから私まだここの魔法を知らないから使えないんだった。はやく魔法書を読んで魔法を覚えてって、だからその魔法書をさわれなくて……あー。負の無限ループ。悲しみぃ。はあぁ。誰か私をここから連れ出してくれないかなぁ)


 これを最後に、はじけるような思念は途絶えてしまった。

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