【KAC2024】ちっぽけだが神様になれた

ポテろんぐ

第1話

 私には三分以内にやらなければならない事があった。

 時計は午後七時五十七分を回ったところだ。生憎、その時計は買ったその日から寸分もずれる事なく正確な時間を刻んでいる。

 父が古書店を開く際に買って来た舶来品の柱時計だ。

 もう五十年もの間、一秒たりとも間違う事なく時を刻み続けた。今日と言う日だからか、尚のことその正確な仕事ぶりに感動してしまう。私がお釣りを間違えたことなど、一度や二度では済まなかった。


 今日で、この店を閉める事にした。

 だから、あと三分でこの店は五十年の歴史に幕を落とす事になる。


 帳場に座って新聞を眺めている私の視線の先には最後の客が棚から本を出して入れるを繰り返している。

 もう入り口の手動の引き戸が開く様子はない。おそらく、この男性が最後の客となるだろう。あと三分で私はこの男性をこの店の外に送り出さなくてはならない。


 それが私の最後の仕事になる。


 長年、市役所に勤めていた父が、仕事を定年したのをきっかけに始めた駅前の古書店。ちょうどその時、勤めていた仕事を辞め、したい事も特に見当たらなかった私は何の気なしに店を手伝い始め、父が死ぬと、この歳まで店を守って来た。


 あと一冊、売れるだろうか?


 私は男性の事を観察していた。心臓の高鳴りのせいで、新聞なんてとても読めた気分ではなかった。


 この店が終わったら、ここにある本はどうなるのだろうか? 


 店を畳むと決めた時、脳裏にそれが過った。古本屋である。その日からパズルのピースが噛み合う様に店に入って来たお客の琴線にあった本が最後の一冊までピッタリと合い、あれよあれよと売れて行くなどは決してありえない。


 売れ筋の漫画などであれば、知り合いの別の店に引き取ってもらえるが……うちにある本のほとんどは既に絶版してしまっていたりする本、いわゆる物好きしか読まない様な本は、行く宛がなく処分されてしまう。

 人間が土に帰る様に、本の中にこもっている作家の魂は成仏して、最後には灰色の煙になる。

 リサイクルされ、そこに新しい作家の魂が吹き込まれれば運が良いが、大抵は碌でもない文字を貼り付けられるのが成れの果てだ。


 今、店の棚にびっしりと詰まった古書の中には、もう世界でこの店にしか残っていない本も、幾つかは存在しているのだろう。それが処分されるとき、その作家の魂もこの世から消えてしまうのだ。


 男性は本を閉じて、本棚に戻した。

 誰の本かは分からないが、その作家の魂はこの世から消えるかもしれない。そう思うと心がズキンと痛む。


 父は本が好きだった。だから、定年後は好きな本に囲まれて暮らしたいと言い、この小さな店を始めた。

『本は全て100円で売る』

 それが父のこだわりだった。


 古本屋は作家に利益が還元されないなど、ハイエナ産業だと言う人もいる。だが、父は最初から儲けを出すつもりは無かったようだ。

 最初から一貫して一つのポリシーを持っていた。

「本には作者の魂が宿っている、だから動物と同じだと思え」と私は父に教えられた。ろくに本も読まなかった私には「何言ってんだ」と思っていたが、はたきの絵の部分が本に当たると父は飛んできて、私の頭をゲンコツで引っ叩いた。


「ここは動物で保健所の様なものだ。最後の最後の瀬戸際で死にかけている本の命を守る場所だ」


 父にはこの店の本全てがゲージで買われている犬や猫の様に見えていた様だ。


 そう言っていた父が病気になったのは店を始めて十年が経った頃、本の命に関しては諦めが悪いクセに父は延命の道を選ばす、清々しくあっさり死んで行った。

 以来、この店の最後の門番は、碌に本に詳しくもなければ、愛着もない私になった。ただ、毎日の様に埃を払い、整理をしていれば自然と愛着が生まれる。次第に父の言っていた事の触りくらいは分かる様になっていた。


 歳を重ねると考えが暗くなり、ここが人間の命の最果てなのではないか? と思う様になった。

 ここにある魂は瞳から誰かの体へと入り、その人間の精神に寄生する。運よく、その人間の魂と結合すれば、その人間の中で死ぬまで生き続けることができる。

 本は、作者がどこか生まれ変わる場所を探し、本という船の中に己の魂を吹き込んだものなのかもしれない。

 そして、この店はそんな魂達が最後にたどり着く最果ての場所。

 人は一人では生きていけない。

 どれだけ孤独が好きな作家でも、自分の魂を吹き込む他の人間がいなければ、作家として存在することができない。


 古ぼけ、茶色く変色していく紙が魂のタイムリミットが残り少ないと訴えかけている。

 私が送り出した魂のうち、どれだけが今でもこの世界で生きているのだろうか? それを考えると、この世の中は途方も無く大きな世界だと感じる。


「これ、下さい」


 男性が一冊の本を持って、私のところにやってきた。


「はい。108円です」


 男性は110円を出し、私は二円を返した。


「あの」


 本に紙のカバーをつけている最中、男性が急に私に話しかけて来て、顔を上げた。


「この店、閉めるって聞いたんですけど」

「ああ。ええ、今日で終わりです」


 時計を見た、七時五十九分。あと数十秒でこの店は目を閉じる。


「そうですか。よかった」


 男性は店が終わると聞いて、安堵の表情を浮かべた。


「よかった?」


 私は流石にムッとした。


「あ、すいません。実は今日、東京から来たんです、私」

「え? そんな遠くから、なんでまた?」

「実は学生時代によく、この店で本を買ってましたので、電車の暇潰しがてらでしたけど。『閉まる』って聞いて、寂しくなって、最後に間に合って良かったです」

「……ああ」


 なるほど、そう言う意味か。


「あの、これ」


 そう言って男性は一冊の本を置いた。


「私が書いた本です。もし宜しかったら貰っていただけませんか?」


 男性は照れ臭そうにそう言った。慣れていない言い方にデビュー作なのかと察した。


「この店がキッカケに自分でも書き始めたんです。ほんと、間に合ってよかった」


 私は自然と笑みが溢れた。


 男性は「お世話になりました」とお辞儀をして、店を後にした。


 私は赤ん坊を抱く様に彼の本を自分の鞄にしまった。


 八時を知らせる柱時計が鈍い貫禄のある音を立てた。

 

 ちっぽけだが最後に神様になれた。










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