第三十四話『霊鎖解放/塊業刀身』

 炎のはぜる音が聞こえてきたことで、ヴィオラは目が覚める。


「ん、あれ。私」

「起きたか、ヴィオラ」


 どうやらヴィオラはザイルに抱きかかえられていたらしく、赤面しつつも地面に一人で降り立つ。

 しかし、そんなヴィオラの反応などどこ吹く風というように、ザイルは悲痛な面持ちをしていた。


「どうしたの、ザイル? そういえば他のみんなは、あの巨大な魔物は」

「あぁ……アレン先生やミレイユたちならそこだ」


 指を差された方向を見ると、確かにアレンやミレイユたち、それにザンバとガランまで立っていた。

 しかし、少し目線を下げると。


「タクト君……!?」


 そこにはタクトをはじめとした光明華ライト・ブルームのメンバーたちが横たわっていた。

 皆一様に炎に焼かれたような火傷の痕を負っている。

 目を閉じているのを見てヴィオラは一瞬『死』の文字を連想するが。


「なんとか、皆一命は取り留めたみたいだ。アレン先生の回復魔法をフルで稼働していたからな。だが、それで先生の魔力も底を尽きてしまった」


 低い声で、ザイルは唸るように言う。


「あの四人が倒れてるってことは……あの巨大な魔物は?」

「俺たちの背後、ずっと遠くで今も暴れている。そろそろ王都から出るんじゃないか」

「出るんじゃないか、ってあんなのが出たら国中がめちゃくちゃになるんじゃないの!?」

「あぁ。国中、もっと言えば世界中が危機に陥るかもしれない」

「それじゃあ尚更止めに行かないと」

「……俺もそう思った。だが、あれを見てしまったらそんな気持ちも失せてしまった。無理なんだ、もう」


 ザイルが絞り出した言葉に、ヴィオラは困惑する。

 弱音を吐いたことがほとんどない……少なくとも、メルファール以前の件以外では吐いているところを見たことがないザイルが、うつむき焦燥したように述べるのを見るのは初めてだった。


「無理って、どういうことなのよ」

「あの巨大な魔物は、攻炉の組織員を取り込んでさらに巨大化、人型になって暴れ始めた。それが放った熱線に光明華のメンバーたちはやられたんだ。アレン先生とミレイユは魔力がもう底を尽きてる。今まともに戦えるのは、俺とヴィオラ、ガランさんとザンバさんだけだ。それでは束になっても勝てない」

「勝てない? やってみないとわからないじゃない!」

「ヴィオラはあれを見てないからそういうことが言えるんだ。あれは最早『世界の終わりを体現する者』だ」

「何よそれ……」


 ザイルが頭を抱えるのを見て、ヴィオラは苛立ちに襲われる。

 しかしザイルがここまで言うということは、あの巨大な魔物にさらに相当な強化を施されたであろうことは間違いなかった。

 ヴィオラが立っていることに気付いたアレンが、ヴィオラたちの方へ歩いてくる。


「ヴィオラも無事だったか、よかった」

「アレン先生……さっきの魔物はもう私たちでは倒せないんですか?」

「……恐らく。攻炉の組織員は全員倒し終えたけれど、あれは俺たちでは無理だろう。他の機関員や冒険者たちに任せるしかない。と言っても」


 アレンは眉間にしわを寄せて腕を組む。


「機関員で今動けるのはここにいるメンツだけだ。それに、世界中にいる冒険者たちの実力も総合してどれくらいかはわからない。そんな状態であの魔物が世界中に解き放たれたら、それこそマウルス大陸で過去起こった勇者と魔王の戦争ほどの破壊規模になるかもしれないな」

「そんな! 何か手はないんですか!?」

「ヴィオラは、まだあの魔物を俺たちで止めるべきだと思っているかい?」

「それは……勿論です。僅かでも止められる可能性が残っているなら、やるべきです」

「そう、か」


 アレンはしばし考えていたようだったが、やがてガランとザンバを手招きして呼ぶと、ヴィオラに向かって提案した。


「実は、さっきザンバさんに聞いた方法を使えば、もしかしたらあの魔物を止められるかもしれない。ただ」

「ただ?」

「その方法を使うとヴィオラ、君一人だけであの魔物と戦うことになる。一人だけでも戦う覚悟はあるかい? それこそ、世界を終焉に導くような魔物と」

「……っ」

『ヴィオラ……』


 黒牢が案じている中、ヴィオラの脳内では様々な記憶が蘇る。

 ガスガルタ、メルファールでの戦闘。

 ノエン村でのリジンを失った入学試験。

 スレイヤー機関に入ろうと思い立った日のこと。

 ドラゴンを討伐したこと……黒牢と出会ったこと。

 そして、前世の記憶を思い出したこと。


 前世の記憶を思い出した時、ヴィオラは決意した。

 何事も後悔しないように物事を決断していこうと。

 だがしかし、それによって新たな後悔が生まれたこともあった。

 それこそ、リジンを亡くしてしまったことや、ザイルを昏睡状態にさせてしまったこと。

 それ以外にも、小さいものまで数えるとしたらキリがない。


 今ここで『あの魔物を倒す』と決断したら、その結果新たな後悔が生まれるかもしれない。

 しかし、魔物を倒さない決断をしたことによって出来る後悔よりも大きいものでは絶対にないだろう。

 この土壇場に来て悩むことでもなく、ヴィオラの心はもう既に決まっていた。


「覚悟ならあります。私がここで全て……終わらせます。あの魔物をブッ倒してやりますよ」


 ニカっと笑ってサムズアップするヴィオラに、アレンは少しあっけに取られたような顔をしていたが、やがて覚悟を決めたようにヴィオラの目を真っ直ぐ見据える。


「よし。それなら今から言う方法をヴィオラに、もっと言うと黒牢に試してもらう」

「黒牢に?」

「そう。作戦は至ってシンプルなものだ。ヴィオラ・ザイル・ガランさん・ザンバさんの全魔力を黒牢にそそぐ。それだけだ」

「……それをすると何が起こるんです?」

『なるほど、そういうことか。アレン教官は、俺の能力を限界まで引き出そうとしているのだな』


 黒牢は得心したような口調で言う。


『他人の魔力を黒牢にそそぐと、黒牢が強化されるってこと?』

『人同士の魔力の受け渡しは通常出来ないが、俺に魔力を込めるだけなら誰でも出来るからな。ヴィオラ一人では捻出できないほどの魔力を俺にくべることによって、俺の魔王本来の力を引き出そうという考えだろう』

「ヴィオラもわかったような顔をしているけど、つまりは黒牢の底力を一時的にすべて引き出し、君たちに賭けようということだ……ザンバさんから聞いたけど、ヴィオラは黒牢の正体を知ってるんだってね」

「悪い、ヴィオラ。緊急事態ってこともあってお前と黒牢の関係性を喋っちまった」


 申し訳なさそうに手を合わせるザンバに対し、ヴィオラは軽く手を振って許す。


「いや、大丈夫です。それより、本当にそれでさっきの魔物を倒せるんですか?」

「わからないけど、個々で別々に戦うよりかは勝率は上がるはずだ……やってくれるかい?」

「わかりました」


 ヴィオラは黒牢を差し出し、そこにザイル・ザンバ・ガランが手を当てる。


「では四人共、一斉に魔力を込めてくれ」


 アレンの言葉と共に、四人は黒牢に魔力を流し込み始める。

 各々の透明な魔力が、黒牢に収束していくと、やがて黒牢は今までにヴィオラが見たこともないようなほど黒く輝き始めた。


『これは……』

『どうしたの、黒牢』

『俺の中にある力の芯の部分、俺は『霊鎖れいさ』と呼んでいたが、それの輝きが今までに見たことないほど強くなっている』


 黒牢の輝きはさらに増し、全員が眩しさに思わず目を細める。


『ヴィオラはあの魔物を倒したい、と言ったな』

『う、うん』

『ならば俺が協力しよう。これだけの力があれば……俺たちに敵などいない!』


 瞬間、黒牢は魔力を刀身に纏い、細身だった刀を分厚く巨大に、その身を大刀へと変化させた。

 ヴィオラの手から離れて地面に刺さる、その黒牢だった大刀を見上げてヴィオラは呟いた。


『力の解放、霊鎖解放……!』

『あぁ。俺の魔王だった頃の力に近いものを取り戻せた。この大刀……黒牢・塊業刀身こくろう・かいごうとうしんとでも言うべきか。存分にこの力を振るえ、ヴィオラ。この世界を救うために』


 ヴィオラはゆっくりと黒牢を地面から引き抜く。

 その巨躯とは裏腹に、黒牢は先程までの細身の刀だった時と同じほどの重さしか感じられない。

 しかし、ヴィオラは持った瞬間から膨大な力の奔流を黒牢の中に感じていた。


「ヴィオラ、これでもう僕たちに出来ることは何もなくなった。あとは君に託したよ」

「アレン先生……」

「すまないが頼んだぞ、ヴィオラ。俺はお前を信じている」

「私もよ。癪ではあるけどね」

「ザイル、ミレイユ……! わかった。いってきます」


 大刀を背負い、ヴィオラは駆け出した。


 ― ― ― ― ―


 黒牢からその力の一部が流れてきているのか、自然とヴィオラの体はとても軽かった。

 超人的なスピードで、ヴィオラは燃え盛る王都をあっという間に駆けていく。

 数分ほど後に、目標である超大型の魔物の近くまでたどり着いた。


「なに、あれ……まるで巨人じゃない」


 ザイルの言っていた通り魔物は先程のスライムのような姿からは形を変え、人型の魔物へと変貌していた。

 しかもその大きさは家々を数軒分、たった一歩の歩みで容易く破壊できるほどある。

 そして、巨人はその身の丈と同等の長さがある杖を持って歩いている。

 その魔物……巨人は、後数歩で王都から出ようとしていた。


 王都の入り口部分にはまだ生きている人々がいるらしく、悲鳴がヴィオラの下まで聞こえてきている。


「こうしちゃいられないッ」


 ヴィオラはさらに走るスピードを上げると、あっという間に巨人を追い抜き、その正面に立った。

 そして、そこで逃げ惑う人々が踏みつぶされないようにするため、巨人に向かって飛び掛かる。


 走力と共に跳躍力も強化されていたらしく、ヴィオラは軽く飛んだだけで巨人の腹部まで飛翔した。


「このッ!!」


 思い切り黒牢を振るうと、巨人の腹部に見事命中する。

 突発的に受けたことによって、巨人はそのまま王都の方へと後ずさりし、倒れ込んだ。


地面に降り立ったヴィオラは、逃げ惑う人々を背にして黒牢を構える。


「ここにいる人たちだけでも助けないと」

『そうだな。今の俺たちの力なら奴の首元まで刃は届く。全力で戦え、ヴィオラ!!』

「言われなくても!!」


 ヴィオラは黒牢を構え、魔力を込める。

 背中を押してくれたザイルやミレイユ、アレンたちのためにも、ここで絶対に『巨人を倒す』という意志を持って、ヴィオラは再び駆け出した。


「うおおおおおおおおッ!!」


 巨人目掛けて再度跳躍すると、ヴィオラは黒牢を振るった。

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