三話 脳内に響く声
『──右に飛んで』
不意に彼の脳内へと響き渡る声。馴染みなどないはず……にも関わらず、この身体はその声を知っているかの様に落ち着きを取り戻す。フォルテは潜考するという選択をせずに、眼前に迫る巨獣の左足──その更に外側へ向けて飛び退いた。
「───ッ」
突進を躱したフォルテは、着地と同時に転がることで衝撃を受け流す。
「……お前は、誰だ?」
『ふふ、君の疑問には後で必ず答えると約束するよ。だからほら、今は戦いに集中して?』
──諭すように、全てを包み込む様な優しい口調。
『落ち着いて。見た目ほどの脅威を感じる必要はないよ……あの蜥蜴の動きは単調で、一方向に驀進するだけ』
聞けば、どのような人間でさえも気持ちが穏やかになるのではないか──そう錯覚するほどの声音。しかし、それにつられて悠長に構える訳にはいかない。
──当たれば死ぬ。
巨獣が通った地面に深々と残る足跡。そこから推測できるあの化け物の重量と先程見た突進の速度から考えれば、誰であろうとその光景が目に浮かぶ。
『来るよ』
直線状に駆け抜けて行った巨獣がこちらへと向き直すのを確認したフォルテは、突進の狙いを定めさせない為、円を描くようにしてその周りを走り始める。そんなフォルテを追うように頭の向きを変え続けていた巨獣は、余程混乱したのか……その動きを停止させた。
「……なるほど」
脳内で声を響かせる何者かによる助言が、どうやら正しいのかもしれないという事を理解したフォルテは、動きを止めている巨獣の背後から、その首を切断する勢いで斬り掛かる。
「……ぐッ! 刃が通らないッ!」
だが、隙を突いた渾身の一撃も──首元の黒鱗に弾かれてしまった。
『考える脳の足りないアレは、その欠点を補うように全身が硬い鱗で覆われている。しかし、それとは別に……あの蜥蜴には明確な弱点があるんだ』
動き始めた巨獣は、再び此方へと向かって突進を開始する。それを静かに見詰めながら、続く言葉を待つフォルテ。
『這って移動するという特徴故に──その腹には鱗がない。ここまで聞けば、後は簡単だよね?』
地盤を隆起させながら急接近する巨獣を、衝突する寸前まで引き寄せた
──瞬間、すれ違いざまに巨獣の脇腹へと刃を刺し込む。フォルテはそのまま自身の手から離れることのないように、必要以上の力を込めて剣を固定する。
「────」
巨獣ニグニスは突進の勢いを止める事ができないまま、刃が刺された位置から尻尾の先までを──為す術も無く上下に両断されたのであった。
*********
足元へと剣を突き刺しながら、フォルテは吐息をこぼした。魔物の死体が光輝く粒子となって分解されていく光景を幾度となく見てきた彼でも、視線の先に残っている戦いの跡──その重さで、納屋ほどに大きく抉り取られた地面までは記憶にない。
『いやぁ〜流石、僕の救世主だね!』
妙に馴れ馴れしい雰囲気を醸し出して──うんうん。君、スゴイよッ! などと戯け始める声。
「俺の疑問には必ず答えると言っていたな?」
『ああ、言ったね』
その声に、少しだけ苛立ちを覚えたフォルテは捲し立てるように問い質す。
「──なら今すぐ答えろ。お前は何者で、その目的は何だ。俺が俺以外の誰かの身体を動かさなければならない状況に陥っているのは何故だ!」
『まぁまぁまぁまぁ、順番に答えるから落ち着きなよ。まずは……僕が何者か、というものから答えようか。僕の名前は──シエル』
「シエル……だって?」
──脳裏にチラつく英雄の影。
まさか、そんなはずは無い──と思いつつも、これまでの出来事がその蓋然性を消してくれない。
『──ん? 僕、何かおかしい事を言ったかい?』
「……いや、いい。続けてくれ」
リスペアス王国に伝わる、初代救世主──勇者シエル。現代では子供に勇者の名前を付ける親が多数存在しており、特段珍しいという訳では無い。しかし、フォルテの推測が正しければここは──
『う、うん。えーっと最大の目的は、世界に蔓延る凶悪な魔物の全てを根絶やしにすること。そして、君をここに……この時代に呼び寄せた理由、そうなってしまった原因は──僕がその目的を達成する過程で、ある失敗をした事にある』
「俺を呼び寄せた……?」
『僕は以前……災厄の王と呼ばれる存在と戦い、そして──
「は?」
フォルテが背負っていた鞘を取り外し、納刀しようとした瞬間──見えてしまった。その刀身に映り込んだ、白銀の髪に翡翠色の眼を持つ青年の姿が。
その事実により、自身の推測通り此処が──二千年以上前の世界である可能性が高いことを理解する。
「────」
勇者の名を自称するこの者が──いや、勇者シエルが本当の事を言っていたとして。彼が災厄の王との戦いに敗れたのなら、フォルテが生まれた時代にまで伝承されてきた彼についての歴史は、その大部分が嘘ということになってしまう。
『共に戦っていた仲間達も既に瀕死の状況、最後まで奴と交戦していた僕は……あと一歩の所で致命傷となる一撃を受けてしまったんだ』
絵本を読み聞かせるように穏やかな口調。だが、その言葉からは当時の想いがはっきりと伝わってくる。
『最早ただ死を待つのみという状態になった僕は、藁にも縋る思いで”星の宝珠”と呼ばれる秘宝を使った。その宝珠に宿る力は、使用者が思い浮かべた願いを叶えるというもの』
世の中には『魔道具』と呼ばれる、魔法の力を宿した道具が存在している。おそらく彼が使用したという『星の宝珠』もその内の一つだろう。
しかし、一定のルールに基づいてその道具に内包することが可能な魔法の種類には限りがあり、通常は”使用者が思い浮かべた願いを叶える”などという概念的な性質を付与することはできない。これらの事から、勇者シエルが保有していた魔道具は、まさに人知の及ばない秘宝であったことが分かる。
「……そんなとんでもない代物を一体どこで手に入れたんだ?」
『あぁ、それはね……旅の途中で出会ったオッサンに貰ったんだ!』
「何者なんだ……そのオッサンは」
『さあね? まぁ、変なオッサンに貰った変なものだったから、使った時に何かあったら怖いし……本当にヤバい状況にでもならない限りは使わないようにしていたんだけど──使っちゃった♪』
「……」
まるで”うっかり!”という意味を含んでそうな言い方をしているシエルだが、彼の話を聞く限りその実情は──全てを失う寸前で縋る物が無かったが故の選択と言った風に、凄まじく壮絶なものだ。
『死の直前に僕は願った──僕の仲間達を救い、あの災厄をも滅ぼしうる可能性を持つ救世主が現れる事を』
「───」
『そして気が付いたら、僕が旅を始めた当初まで時間が巻き戻っていて……その身体には”あの本で見た”やら、”やっぱり、二千年前の魔物”だなんて口走っている、知らない魂が宿っていた。だから僕は、君が僕にとっての救世主なんじゃないかと思ってね!』
結果、二千年後の未来からフォルテを呼び寄せるまでに至った──と。
「……そうか」
その声色から嫌でも伝わってくる強い感情に、フォルテは思わず顔を顰める。それは彼が日々、周囲から寄せられてきた過剰なまでの期待と同じモノ。どうやら救世主という肩書きにのしかかる重圧からは、たとえ時間を跳躍したとしても容易には逃れる事ができないのかもしれない。
──しかし、
「残念ながら、その予想は外れている」
『……どういう事だい?』
まるでそれが決まっている事かのような表情で言い放つフォルテに、思わず懐疑の声を上げるシエル。
「”星の宝珠”とやらが何を基準として俺を救世主であると判断したのかは分からない……だけど、思い当たる節はある。──俺は二千年後の未来で、世界中の人間から”救世主”と呼ばれていた」
『……ふむ。それなら尚更、僕の救世主に相応しい呼び名だと思うけど』
「初代以外──歴代の救世主達には特に何かを成し得た記録はなく、国王の固有魔法という不確かなものによって選ばれるだけの……ただの象徴だった。千年以上もの間、救世主の選定が滞っていた事実から国民の信頼を失い、失墜しかけていた王家は……その信頼を取り戻す為、辺境の村に母親と二人で暮らしていた俺を”五代目救世主”に仕立て上げたんだ」
『──仕立て上げた……ね。選定は国王の固有魔法によるものなんだろう? なら君が選ばれたのは、正しい手順を踏んだ結果のはずだ。君が王家を怪しむ根拠は
「それは……」
シエルの言葉に母の最期を思い出す。母を救えなかったことが──自身が無力だと、救世主などでは無いと痛感したその過去が何よりの証明。しかし、その事をシエルに話すつもりはない。所詮彼も、フォルテに勝手な期待を寄せる大勢の内の一人なのだから。
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