一章 ── 発熱 ──

一話 救世主という名の枷

「こうして勇者シエルはの『災厄』の王を討伐した」


 学び舎の一室、生徒の多くが真面目に授業を受ける中──一人、退屈心を抱きながら窓の外を眺める男は、自身の手の平をそのサラサラなショートヘアに潜り込ませるようにして頬杖をついている。


「ここで豆知識なんだが……実はこの国に在るあらゆるモノ、衛兵の鎧から、屋台の看板、リスペアス王国の紋章までもが!」


 なにやら……次から次へと黒板に投影されていく見本を、指示棒を片手に持った教師が順々に差しているのだが──、


「白銀の髪を持ち、翡翠色の眼をしていたとされた勇者シエルの姿を基にして、その二色を使ったモノとなっている」


 彼はそんな教師を視界にすら入れず──はぁ。と、ため息を吐いた。


「──おい、フォルテっ! ちゃんと聞いているのか!」


 中性的な顔立ちで、黒を基調とした少し青みがかった髪色をしている青年──フォルテは、体を動かすことも無く窓の外に向けていた視線のみを教師の方へと移す。


「……何ですか? 聞いてませんでした」


「何だとッ!?」


「別に良いじゃないですか」


 四十人は収容できるほどの大きな階段教室に怒鳴り声を響かせている男に対し、何の感情も抱かずに淡々と述べるフォルテ。


「良い訳があるか! そもそもお前は国王様に選定された今代の『救世主』なのだから、もっと他の生徒の手本となるようにだな……」


 『救世主』──この世界に住む人間は皆、魂の本質に左右されると言われている固有の魔法を扱うことが出来る。そしてそれは戦いに向いているモノから、ただの生活用魔法まで様々な種類が存在するのだが、どのような魔法が発現するかは、遺伝でも環境によるものでもない為に予測がつかない。

 しかし、このリスペアス王国の王家は規則性など存在しないはずの固有魔法なのにも関わらず、代々全く同じ魔法を継承している。その為、国王は──二千年前の『初代救世主』である勇者から始まり、現在の『五代目・・・救世主』に至るまで、この世界で生きている数多の人々の中から『救世主』という存在を選定する為の魔法を保有していた。選定の間隔は不定期で、数百年掛けて見つからない場合もあれば、『救世主』が息を引き取った二日後に選定された例もある。


「既に『災厄』の王が討伐されて平和だっていうのに、救世主なんか必要なんですか?」


「……お前」


 四代目の死後、千年以上もの間『救世主』が見つからなかった事から、一時期ではあるが国民達は王家が何らかの方法で行っていた魔法の継承が失敗したと考えてしまった。噂が出回った結果、リスペアス王家は失墜しかけていたのだが──近年、リスペアス王国から遠く離れた、ある辺境の村に住んでいた少年が五代目の『救世主』であったことにより、その信用を取り戻すことができた。


「凄いよなぁ。……まさか長い間見つからなかった救世主様と同じ時代に同じ授業を受けられるなんて思ってもみなかったわ! まぁ、最初は疑ってたけど」


「……それに関しては同意するわね。私はまだ入学時から今日まで、固有魔法を一度も使っていない彼を『救世主』だと確信してはいないけれど。あらゆる授業科目でトップを取り続けているという事には称賛せざるを得ないわ」


「あぁ〜……歴代の『救世主』達は揃って凄い固有魔法を持ってたんだっけ」


 周囲の雑音がフォルテの耳に入る。勝手に期待して、勝手に責任を押し付けて、毎日意味もないのに訓練を強いられる。『災厄』が存在しない現在に『救世主』などという役職をわざわざ国の金を掛けてまで維持させる必要はあるのだろうか。


「……ハッ! 国民の血税で毎日良い生活をしてるはずの救世主様にはぁ、少しくらい真面目に授業を受けて貰わねぇと俺たちの苦労が報われねぇなぁ!」


「……まだ働いていないお前もそちら側ではないだろう」


 既にこの世を去った自身の母親以外の顔は皆等しく同じに見えている──否、認識する事が出来ていないフォルテからすれば、如何なる言葉を掛けられたとしても、それは所詮他人の戯れ言であり、聞く価値もなく、何も響かない。故に、フォルテの周囲で会話を続ける生徒達が彼に向けて放つ言葉──その全てが否定的であっても、肯定的であっても然程変わりはなかった。

 沈黙を保ち続けていたフォルテは、授業終了の鐘の音が鳴り響いたと同時に席を立つ。


「……今日はここまで! 皆、寮に戻ったらちゃんと復習しておけよ〜」


 周囲の声が賑やかさを含み始めた。他の生徒達が教科書や筆記用具をしまって学生寮の各部屋へと向かう中、元々何一つ持ってきていない彼はそのまま教室を出て、学生寮ではなく王城へと足を運ぶ。





 五代目救世主──幼い頃に抱いた”これからも母親と幸せに暮らしていきたい”という、たった一つのささやかな願いを奪い去った忌むべき称号。その名を冠している彼には、他の学生とは別に一人用の部屋が用意されている。

 毎日放課後に行われる、救世主専用の戦闘訓練へ向けて着替えを始めるフォルテ。睫毛が長く、宝石の様な水色の瞳、角度によっては女性に見えなくもない容貌。しかし、その顔にはまるで似合わないであろう程に鍛え抜かれた肉体が部屋の窓に映り込んでいた。


「───」


 王城の外には、制服を着た学園の生徒達が……何やら楽しそうにはしゃぎながら学生寮へと向かう姿が見える。


「……行くか」


 着替え終えた後も暫くその光景を見続けていたことに気付いたフォルテは、そんな自分を軽蔑するように鼻で笑うと、城内の訓練所へと向かった。





******





 身体の動かし方を知識として理解する座学から、それを感覚的な物へと落とし込む為の実践訓練、固有魔法以外の常用魔法を利用した魔力操作訓練等。毎日変わらない内容の為、訓練自体はそれほど厳しくはない。

 何故なら、行われている訓練の必要性を感じている者がその場に存在しないから。しかし、教官も彼も体裁を守る為にそれを続ける──片や世間による疑惑の目から逃れる為に、片や自身と病死した母との唯一の繋がりを手放さない為に。


「……終わったか」


「はい」


「私はこのまま帰るが、お前はどうする」


 国の中心に位置する王城附属の訓練所。日は完全に沈み、城に訪問する貴族達が彼等へと向ける監視の目も無くなった。


「……もう少し、残ります」


「そうか……此処はいつも通り好きに使ってくれていい。片付けだけは忘れるなよ」


「分かりました、ありがとうございます」


 教官は寄りかかっていた石壁から背を離すと同時に、訓練所の鍵をフォルテへと投げると、早々に出口へと向かって歩いていく。その場面だけを切り抜いて見てみれば、何とも冷血な人間である。だが、このような時間になるまで付き合ってくれているということを加味すれば、彼の面倒見の良さがある程度は窺えるだろう。


「……」


 その事実に対してフォルテが恩情を感じることは無い。

 元々、女手一つで自身を育ててくれた母をどうにか楽させたい一心で始めたことだった。彼が反対する母親の意見を押し切ってまで救世主という役を担ったのは、国の言う通りにしていれば報酬として大金が手に入るという話を聞かされたから。自身のような無能が母のこれまでの苦労をねぎらうには、金銭面での余裕を持たせて楽な生活をして貰うことしか思い付かなかったのだ。


「はっ……はっ」


 しかし、彼が重責を担い続ける理由は既に失われた。数年前に突如母が病死して以降、視界に映る全てのモノを正しく認識する必要も失った。今日の授業でわざわざ『この平和な時代に救世主は必要か?』などという皮肉を言ってしまった理由も分からない。普段のフォルテならばそのまま無視をして終わっていた所だが、何故かあの時だけは珍しく言葉を発してしまったようだ。

 無言で素振りを続けるフォルテの脳裏に、名前も知らない生徒の言葉が過ぎる。



 ──国民の血税で毎日良い生活をしてるはずの救世主様にはぁ、少しくらい真面目に授業を受けて貰わねぇと俺たちの苦労が報われねぇなぁ!



 教官に提示された訓練を終える度、一人訓練所に残って内容を反復するフォルテが、今日も自主的にそれを行う理由にその言葉は関係ない。では何故なにゆえ、この行為に、救世主という肩書きを背負い続けることに、意味など存在しないと自覚する彼が──今も尚、ひたすらに剣を振り続けるのか。


「はっ! ……帰るか」


 死んだ母との繋がりなど、疾うの昔に潰えていることを理解している筈の彼が──一体、何を思って。



 


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