今日もきみに恋をする(短編集)

春風邪なり

本当はね、

 ドサドサ、と突然音が降ってきたかと思えば、「やば」と焦った声が追いついてくる。

 ベッドの上に座って、片手に構えたスマートフォンを眺めていた私は、音のした方へゆっくりと視線を向けた。捉えたのは、床に散らばった漫画や小説と、やってしまったと言いたげな顔をしている理央の姿。

「……ちょっと、散らかさないでよ」

「床に本置きっぱなしにしてる方が悪いでしょー」

 そう言われてしまうと、私はなにも言えなくなってしまう。理央が散らかした本たちは、元はと言えば私が床に直に置いて積んでいたものだった。まだ読んでいないものも、すでに読み終わっているものも、シリーズものの途中の巻とか、様々な本がごちゃ混ぜになって積まれていた。

「それに、桃香の部屋なんて元から汚いんだから、わたしが散らかしたってそこまで変わんないよ」

「なにおう」

「どうにかしたら?」

「うーん」

 理央に言われて、私は自分の部屋を眺めてみた。

 ……まあ、それなりに散らかっている。それなりに、がどこまでの範囲を示す言葉なのか曖昧だが、今はその言葉で表しておくことにしよう。理央が言った通りだった。一応、反抗するような返事をしてみたが、この散らかり具合では意味を成さないようだ。

 最近掃除してないしなぁ。

 いつだったっけ、最後に部屋を片付けようとしたの。

 考えると、この部屋が汚いことにも納得がいく。行動に移したかどうかは別として、部屋を片付けようと意気込んだ記憶すらないのだ。そりゃあ、片付いてないのも仕方がない。

 でもまあ。

「そんな汚い部屋に毎日来てる理央も理央だよ」

「うぐ……」

 学校が終わると、理央はいつもこの部屋に来ていた。私と一緒に高校を出て、一緒に私の家に帰宅して、一緒に私の部屋に入る。そうして数時間だらだらと過ごして、夜になると帰っていく。隣の家に。

 私たちはお隣さんだ。幼い頃からお互いのことを知っていたし、お互いの家を行き来して遊んでいた。こういう関係のことを、幼馴染み、と呼ぶことを私は知っている。

 家が隣同士なのだから、本当は理央の家でも良いのだ。集まる場所は。

「しょうがないじゃん…………居心地良いんだし」

「ふうん?」

「なに」

「なんでも?」

 でも、理央は、ここが良いらしい。

 私の部屋が、良いらしい。

 居心地が、良いらしい。

 嬉しくて、つい、頬が緩んでしまう。

「……本、勝手に片付けちゃうよ」

 少し照れた様子の理央が、床に散らばった本を一つずつ手に取っていく。分かりやすく話を逸らされた。

 まあ、いいか。このまま話を続けていたら、嬉しがっている私と照れた理央との間に、なんとも言えない気まずい空気が流れていたことだろう。

 安堵していると、先程とは打って変わって、慌てた理央の声が聞こえた。

「って、本棚パンパン! この本入れるスペースないじゃん!」

「いやあ、どれも手放せなくて」

 本棚には隙間なく本が詰められていた。片付けが苦手な私は、当然、物を手放すことだって苦手だ。買った後、一度も読んでいない本もあるのに。どうしてか手放せない。

 そういうものなのだ、仕方ない。でも、理央はそれを仕方ないこととして流してはくれなかった。

「桃香」

 怒る一歩手前、みたいな声がする。

 これは変に抵抗しない方がいい。私の経験が言っている。

「……はい」

「片付け、そのうちやろうね。わたしも手伝うから」

「……はーい」

「やる気ないでしょ、もう…………あ、この漫画の続きこんなところにあったんだ」

 理央の手が止まる。掴んでいたのは、理央がさっきまで読んでいた漫画の最新刊だった。

「あ、それ面白かったよ」

「あーあー! ネタバレ禁止!」

「面白かったって言っただけじゃん」

「それもネタバレだから!」

「えー」

「読み終わったら話そ」

「わかったわかった」

 床に座り直した理央が、手に取った漫画を開く。片付けられないことについてもっと小言を言われるかと思ったが、良い感じに興味が逸れてくれたので怒られることはなかった。一安心だ。

 私も手に持ったままだったスマートフォンに再び視線を落とす。すると、視界が暗くなっていることに気付く。

「電気点ける?」

「うん、お願い」

 窓の外も、随分暗くなってきた。そろそろ、カーテンを閉めるべきだろうか。

 ベッドから降りた私は、ドア横のスイッチを押す。部屋が明るくなる。ついでに、カーテンも閉めた。

 今日はいつまでいるの?

 理央に質問しようとして、やめる。

 あまりにも真剣な表情だったから。

 結局、理央が漫画を読み終わるまで、私はなにも話せずにいた。真剣な表情を、ただただ見つめていた。見蕩れていた、のかもしれない。

「この漫画、借りていってもいい?」

 理央の声で、我に返る。

「え、あ、ああ、うん」

「ありがと。もう一回読み返したいんだよね」

 そう言うと、理央は床に積まれた本たちの中から、手にしていたシリーズの物だけを選り分けていく。それを鞄に詰めて、立ち上がった。

「じゃあ、桃香、また明日」

「うん、また明日」

 理央が部屋を出て行く。部屋には、私だけになる。

 もっと、いてもいいのに。

 これは、優しさじゃなくて、我儘だ。

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