第6話 おうちに帰りましたが出社です
イマジナリーカード【どこで門】を使って自宅に接続すると黒くて薄い壁のようなものが目の前に広がった。
ここを潜れば……
「ただいまー」
自宅の玄関である。
靴を履いていたので部屋に直接つなげてしまうのは気が引けたのだ。
まあ、靴を【なんでも収納】の亜空間に回収してから帰れば良かったんだけど。
それと「おかえり」を言ってくれる相手は誰もいない。
とにかく寝室に向かってベッドを設置し直した。
眠いが仮眠を取るような時間はない。
むしろ、急がねば会社に遅刻してしまうような時刻である。
俺は適当に用意を済ませると慌てて自宅を出て駅へと駆け出した。
え? 便利なカードがあるのに何故使わないのかだって?
そうやってイマジナリーカードに頼り切りになってしまうのが怖かったからかな。
自分が自堕落なダメ人間になってしまうんじゃないかとね。
「でも、もういいか」
今回のことで普通の生活を送るのが馬鹿らしくなってしまったのだ。
久々に自重せずカードを使ったら結構楽しかったし。
自堕落ダメ人間、上等だ!
さっそく【忍び足】カードを使う。
周囲から認識されなくなると同時に今度は【光学迷彩】カードで姿を消した。
次は【影の門】カードの出番だ。
これは【どこで門】と違って移動先の状況を先に確認できるので重宝する。
近くの影に飛び込んで移動目標近くの影を見る。
誰にも目撃されず出て行けそうな影をチョイスして【光学迷彩】をオフにしつつ人混みに紛れる。
【忍び足】は会社のトイレで解除した。
でないと人によっては唐突に現れたように感じるらしいのでね。
結果的に出社が早まったため社内の人はまばらな状態だ。
そういう時は意外に目立つからトイレを利用するのは悪くない手だと思う。
何食わぬ顔でトイレを出ると眠気覚ましの缶コーヒーを買いつつ周囲の状況を確認する。
うん、誰にも変に思われていないな。
自分の課へ移動しタイムカードを押して席に着く。
缶コーヒーのプルタブを開けると乾いた音が静かな朝のフロアに響くが反応する者はいない。
そりゃそうか。課内には俺しかいないからな。
パソコンを起動させてメールをチェックしていくが大半はスパム同然だ。
課長から仕事を押しつける内容のものばかりだからな。
いや、仕事というか雑用かな。
ボールペンを補充しろとか誰それの出張経費の処理をしろとか。
酷いのになると○○を買ってこいとか仕事ですらないので、まさにゴミだ。
「ふう、ここは何課なんだ」
デザイン開発課なんだけどね。
ポスターから立体造形まで何でもデザインするよろず屋だ。
クズ課長は工程数の少ない仕事ばかりして俺にあれこれ押しつけてくる。
スキルアップできるので仕事そのものに不満はないが仕事量は何とかしてくれと思う。
それと人が仕事を終わらせたら自分の仕事と入れ替えたりするのもな。
俺がクズ課長と内心で呼ぶのも御理解いただけるのではないかと思う。
まあ、名字も葛なので声に出して呼んでも誤魔化すことは可能だ。
ちなみに下の名前が太郎なので「クズ太郎」などと影で呼ばれたりしているのは平社員の間では公然の秘密である。
とにかくクズ課長のメールは普通の仕事の割り振り以外すべて無視。
これもきっと切り札になるだろうから証拠として確保しているけどね。
さて、今日は結果的に出社が早まったためにクズ課長の出勤まで時間がある。
今までは睡眠時間を少しでも稼ぐために奴より出社時間は遅かったからだ。
お陰で今日は奴が俺のパソコンに触れる機会が減る訳だ。
ちなみに俺が抱えている案件に今日が社内納期のものがある。
これを部長級以上のチェックを受けてクライアントに納品する訳だ。
前日までに終わらせるようにしている俺の場合、朝一で確認してから提出するのだが。
それを知っているクズ課長が先に出社してデータを横取りしていく。
俺のパソコンから添付メールを送るだけというお粗末な手口だ。
ああ、送信後は削除するくらいの知恵はあるようだよ。
人のIDを不正使用してそれら一連の操作を行っている時点で犯罪行為なんだけど自覚あるのかな。
おそらく朝の間に訳のわからない雑用を強引に押しつけて犯行に及ぶつもりだろう。
もちろんシカトである。
そうなれば昼休憩に今日の仕込みをしてくるはずだ。
昼休憩の時間はパソコンの電源を切るように会社からうるさく言われているのにな。
表向きは節電のためと言われているが本当は私的利用をさせないためなので、この時間帯は監視が強化される。
俺が誰かと一緒に外へ食べに出掛ければ、これも証拠になるだろう。
そろそろ我慢の限界が来ていたので反撃の頃合いだ。
そのための備えもしてきているが、反撃の狼煙はどうやって上げようかと考えあぐねていたんだよな。
内容証明郵便を会社に送りつけるだけじゃインパクトが足りない気がしてさ。
まあ、奴に与えるダメージは半端ないんだけど。
という訳で先に出社したアドバンテージを利用させてもらう。
有り体に言えば罠を仕掛ける訳だ。
奴が出社する前に終わらせないと意味がない。
ここで出番となるのが【監視カメラ】と【アラート】のカードだ。
【アラート】は【監視カメラ】に指定対象が映ると脳内に警報を出してくれる。
これで会社のあるビルに奴が入ってくるのを監視させるわけだ。
その間に俺は作業を進める。
作業を終えたところで【アラート】カードからの警告音が脳内に響いた。
さて、どうなるかな。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
退社時間まで2時間ほどになった頃、社内に動きがあった。
いや、上層部は朝からずっとバタバタしていたけれど。
下っ端の間では昼休憩に集まって秘密会議のようなことが行われていた。
「今までにない大きな仕事が入ったとか?」
「それはないよ。営業部の俺が保証する」
「それはわかったけど、お前は外回りに行かなくて大丈夫なのか」
「社内で大きな動きのある時に仕事なんかしてられるか」
「出ました。問題発言」
もちろん誰もチクったりはしない。
コイツは情報通として知られているからだ。
人呼んで密偵の茂。
普段は普通に谷口さんとか谷口氏と呼ばれているが、平リーマン仲間だけで集まった時はこの二つ名で呼ばれる。
特にこういう非常事態の時はね。
「いいのかぁ、そんなことを言っても?」
「何だよ。もしかして特ダネをつかんできたのか?」
「さすが密偵の茂」
「で、どんな情報なんだよ」
「クズ太郎がやらかしたらしい」
ハンバーガーショップの一角が大きなどよめきに包まれた。
他の客が何事かと俺たちの方を見る。
「バッカ、声がデケえよ」
谷口氏が声を潜めて皆に注意すると口々に小さな声で謝っていた。
こういう時は何故か猫背になるんだよな。
「その点、能登氏は静かだったな」
「クズ太郎から目の敵にされているのにスゲーよ」
「この前なんて3件同時に大口の仕事を割り振られてなかった?」
「それな。手伝うことも許されなかったし」
「手伝おうとした山川くんが病むほど追い込まれたって聞いたわよ」
「山川は前から追い込まれてたぞ」
「けど、あれがトドメみたいなものだよな」
割と有名な話だったらしいが、その点は申し訳なく思っている。
だから山川には弁護士を紹介しておいた。
クズ課長は自分が追い込まれる側に回ることを考えていないのか無警戒だが、今までのツケを払わされることになるのだ。
故に俺はこの後の展開をある程度読めている。
だから大きな声を出さずに済んだのだ。
その後も谷口氏からの報告を受けて昼休憩は密かに盛り上がったのであった。
そして夕刻になって皆がワクテカしている状況の中で上層部が動き出した。
「葛くん、ちょっと来たまえ」
湯河原専務がクズ課長を呼び出した。
いよいよ火蓋が切って落とされるわけだ。
俺もワクテカしてきましたよ?
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