五日目

 空が白み始めた頃、僕達は近くを回遊していたソフィアと合流する。

 アリシアの無事を確認したソフィアは駆け寄って抱きつき、涙を流して喜んでいた。

 アリシアはプリマ王国の使いで、ソフィアとは渡航前に会ったばかりだったが、船に乗るまでの間にいくつか危険をくぐり抜けたし、ソフィアの命を守るために尽力してくれた。

 身代わりとして仮死状態になった時も、かなり危険だったのだ。

 もしかしたらもう目覚められないかもしれない、そんな恐怖の中での決行だったと言う。

 そんな旅の中で、ソフィアはアリシアのことを友達以上に想うようになっていたそうだ。

「あなた達もありがとう。このことはずっと忘れません」

 王女になった後も必ず会いに来ると約束してくれた。

「でも、よく分かったわよね。『イヴァン』が日本語名の英語訛りだって」

 母が感心したようにソフィアに言う。

 周りのスタッフも外国人が多かったから、皆それっぽい発音になっていた。

 それに対しソフィアは「ああ……」と思い出したように、

「わたしも、そうだからです」

 ソフィアは、はにかんだように言う。

「わたしも『堀井』なんです。堀井 柔愛ソフィア。ソフィアは養子になる前からで、それに漢字を当てただけだから、キラキラネームとは少し違いますけれど」

 それを聞いて一同は納得顔になる。

 確かにプリメラは日本人だという情報だった。

 国の要人の移送なのだから、偽の身分を用意するくらいわけないのかとあまり気にしていなかったけれど、反プリマ政権やイヴァンの雇い主だってそのくらいは予想した上で、戸籍上に存在しない名前での渡航はないか? など徹底的に洗っていただろう。

 にも関わらずプリメラを特定できなかったのはそういうことだったんだな。

「でも、このまま海上保安庁の助けを待っても、安全とは言えないんじゃないかなぁ」

 マスターが呑気な調子ではあるが、確かに心配なことを言う。

 反プリマ政権には、ここにプリメラがいることは伝わっているのだ。

 アリシアがイヴァンに正体がバレて逃げた時、彼はすぐに追ってこなかった。

 だから逃げ出せたとも言えるのだが、おそらくアリシアがプリメラでなかったのなら一緒に居たソフィアのはずだと、仲間にそのことを知らせていたと思われる。

 ソフィアの容姿は伝わっているはずだ。

 これから助けを待って、その保護下で国に帰らなくてはならないのだが、豪華客船のクルーにも敵が潜り込んでいたんだ。

 これから来る助けの中にいてもおかしくはない。

 全く安心できないんだ。

 今回は暗殺ではなく、取り込む目的だったかもしれないけど、それが無理なら暗殺に切り替えることだってある。

「そこで提案なんだけど、僕がこのまま目的地まで送ってあげるってのはどうかなぁ」

 マスターの言葉に、何を言っているんだこの人は……と呆れるしかないんだけど、皆は「それいいんじゃない?」と乗り気だ。

 空湖はそれでいいのかな? と見るも「決めるのはわたしじゃない」とソフィア達に促した。

 ソフィアとアリシアは互いに顔を見合わせたが、「お願いします」と声を揃えた。

「あ、危なくなったら直ぐに逃げてね」

 と僕は精一杯の抵抗を試みる。

「おや、随分だなあコウ君。僕はロリコンじゃないぞ」

 と笑うと皆もつられたように笑う。

 冗談だと思われたかな。

 冗談ではないんだけれど。でも今回マスターの目的が美術品だったのなら、ソフィアに危険はないのかもしれない。

 でもお金に目が眩んで身代金……みたいにならないといいけど……。

 僕達は固い握手、抱擁を交わし、ソフィア達は遊覧船に乗り込んだ。

 僕達は救命ボートで彼らを見送る。

「ああ、そうそう。今回も空ちゃんは大活躍だったね。というより本当に助かったんだよ。危うく船を持って行かれるところだったからね」

 イヴァンとアリシアのことだろうか。

 そうか、マスターが遊覧船で美術品を盗み出すつもりで用意していたなら、積んだ美術品ごとイヴァン達に持って行かれていたかもしれなかったんだ。

 イヴァンにそんな目的はないだろうから、価値が分からず途中で捨てられていたかもしれない。

 もっとも、僕にもその価値は分からないけど。

 計らずしも空湖のお陰でそうならずに済んだとマスターは言ってるんだ。

「キミの強運には感服したよ。何もお礼をしないというのも僕の主義に反するしね。何かお礼をしたいんだけど……」

 とマスターは積荷を見回し、その中の一つ。いくつかのパーツが組み上げられたような美術品から、その一部をもぎ取って空湖に投げ渡す。

 空湖は無表情にそれをキャッチした。

「それはキミにあげるよ。お互いの運を比べようじゃないか。それがオーパーツである確率は、スロットで大勝を当てるより低いと思うよ」

 届け物を勝手に人にあげていいのかな? とも思うけど、まあ元々オモチャのようなガラクタにしか見えないんだ。

 エンジン音を響かせて離れていく遊覧船でマスターが手を振り、ソフィアとアリシアが深々とお辞儀をした。

 それを救命ボートに乗った僕と空湖、母、健太と陽子、そしてクリスティーが見送った。

 ……って、ええっ!?

 なんでクリスティーがこっちに? と驚愕しながら人形のように手を振るパントマイムの達人を見ていたが、クリスティーは機械のような動きで首をこちらに向けると、壊れたようにガタガタと揺れだした。

 絶句していると、クリスティーはそのまま大きく跳躍する。

 その飛距離はとても人間のものとは思えなかったけれど、それでも遊覧船には程遠い。

 海に落ちる……そう思った時、クリスティーの体は水面を足場にしたように跳ねた。

 驚愕して見ていると一歩また一歩と海面を跳ねる。そのまま一回転して遊覧船に乗り込んだ。

 クリスティーはこちらを向いて恭しくお辞儀をする。

「パントマイムに、水の上を歩く技ってあったっけ?」

「海の上にアクリルのお盆が浮いてる」

 へー、そうなんだ。

 最後まで驚かせてくれる人だった。

 呆れたように、その姿を見送っていたけど、

「ねぇ母さん」

「なに?」

 僕の呼びかけに何でもないように答える。

「それ、捨てていった方がいいと思うよ」

 と、いまだ小脇に下げているMP-5を指す。

「あー、やっぱり?」

 母は苦笑いと共に、黒い鉄の塊を海に放り捨てた。

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