三日目
翌日、目覚めた僕はゆっくりと体を起こす。
どうも慣れない寝具だとゆっくり休めない。隣に健太がいるのでなおさらだ。
僕達は一つの部屋でベッドをくっつけて寝ていた。
母と空湖と陽子、僕と健太で組になるように寝ている。
女性組が多少ベッドをはみ出すので二つのベッドを寄せている。多少気は使うものの、ベットが大き目なのでそれほど窮屈ではない。
食堂で朝食を摂り、デッキへ行って海の広さと空の青さを実感する。
豪華に施設もいいけれど、やはり船の旅に来たのなら海を見ないとね。
デッキも広い。夜に立食パーティーなんかもできるんだろう。
雲ひとつ無い、澄んだ青空を眺めていると、自分がちっぽけに思えてくる……なんてありきたりな表現だけど、ホントそれ以外に思いつかない。
まばらに人がいる景色を見回していると、白い船体に映える人影が見えた。映えるというのは正しくないか、その人は全身真っ黒で、文字通り壁にできた影のような人だ。
はためく帽子を押さえながら遠くを見るその人影は、別段怪しい素振りというわけでもない。
昨日はマスクまで黒だったが、今は潮風を顔に受けたいのかマスクはしていない。
サングラスは同じだけど、その口元は想像していたよりも若いように思えた。
怪しくもない人をジロジロ見るものでもないので、また広い海原に視線を戻した。
昼ご飯を食べてマスターの店でアリシアのお茶を飲む。
午後はまたカジノでゲームをした。
昨日空湖がスロットで珠を全部出してしまっていたけれど、今はまた補充されていた。
皆が各々遊びたいゲームを遊んでいる中、空湖は昨日と同じスロットの台に座っていた。
同じようにレバーを引いてはスカを出している。
いや、昨日あんな大当たりを引いたんだから……とも思うけれど、実は単にこういうゲームが好きなだけなのかな、とも思う。
相変わらず小さな当たり一つ出さずに珠を溶かしていくのは、ある意味才能なんじゃないかと思うけれど、さすがにこの後も同じってことはないだろう……と視線を外したところでけたたましい音が流れる。
激しく明滅する光と珠が舞う中、周りのスタッフや乗客も呆然としていたが、やがて激しい拍手と歓声に……なることはなかった。
珠が減っていく筒の中から、昨日王女様ともてはやされていた女性の半裸遺体が出てきたからだ。
そこからはバタバタだった。
彫像のように固まる僕達を他所にスタッフが集まり、僕達を荷物のように運び出し、手早く対応をする。
幕が張られ、カジノ施設は閉鎖状態になった。
少し落ち着くとマスターの店で、お茶を頂く。持つ手は少し震えているけど。
「航海、どうなっちゃうのかしらね」
母が不安気に言う。
店には健太達もだが、ソフィアとアリシアもいる。
「昨日のプールでの出来事は事故の可能性もあったけど、今回のは事件だものね」
空湖が空気を読まずに言う。
みんな分かってるよ。でも口にするのが憚られたんだよ。
「中止に……なっちゃうの? 日本に引き返したりするのかな?」
ソフィアが不安そうに言う。
ソフィアとアリシアは行き先に用があったのかな?
この船が向かっているのはインドネシアだ。試験航海なので今回のクルーズはそこでお終い。
僕達は飛行機で日本に戻る予定だけれど、人によってはそこから別のルートで移動もするんだろう。
「航海はもうすぐ半分を過ぎるから、今から引き返すことはないんじゃないかな」
マスターが言うも、ソフィアは不安を隠せないようだ。
行き先の問題より、残りの航海をずっと閉鎖された空間の中で過ごさなくてはならない方が不安だろう。
「警察とか来んのかな?」
「海の上で?」
「海上……なんたらとかあんだろ?」
健太と陽子の話に、
「海上保安庁かい? そういうのは海難事故とか密猟とかを取り締まるものだからね。こういうのは普通に警察の管轄だね」
とマスターが答える。
「この船はパナマ国籍だから、パナマの警察が管理することになる。日本警察からしてみたら外国で起きた事件なんだよ」
船にも戸籍みたいなものがあって、どこの国に所属する船なのかが決めてある。
そしてその国の法律に従った税金を納める必要がある。
船自体は日本の企業が日本で製造した物だけれど、元々海外を行き来するなら税金の高い日本に船籍を置く必要はなく、もっと維持費の安い国に置いたりすることもある。
それがこの船の場合はパナマだったということだ。
船の中で起きた犯罪や事故は警備が保全し、あとはパナマ警察に委ねる。到着後になるのか、ヘリが来るのか……、多分到着後になるのではないか。
プールの事故も、船の設備や安全対策に問題があって起きた場合は運営している日本企業も無関係ではないが、規定に違反したために起きた事故とされているなら大事にはしないのだろう、と作家である母も口添えする。
ただ問題は、さっきのは明らかに事故ではない。あんなことをした人間が、間違いなく船内にいるということだ。
「でも……、スタッフの人達も手際が良かったよね。やっぱり不測の事態に供えて訓練してるんじゃない? だから大丈夫よね?」
ソフィアが不安をかき消すように言うが、少し声は震えていた。
「でも、確かにスタッフが来るの早かったね」
「現場にいたスタッフが何か押してた」
同調するように言う僕に、空湖が重ねてくるが、それにマスターが答える。
「ああ、それはきっとサイレントアラートだよ」
人が倒れたりした時に警報を鳴らしたりすると乗客が不安になったりする。特に船のような特殊な環境下では「沈むのか!?」とパニックになる人も出るので、関係者にのみ通知が行く仕組みだ。
珍しいものではあるようだ。
もちろん乗客に危険を知らせる警報もある。
健太と陽子は気分が滅入るというので、母が客室へと連れて行った。
それと入れ替わりにイヴァンがやってくる。
「いやまいったよ。まさかこんなことになるなんてなぁ」
落ち着いたので少し休憩すると、マスターにコーヒーを頼んだ。
「犯人の目星はついてるの?」
空湖の歯に衣着せぬ物言いに、一瞬面食らったような顔をするも、
「いや……、まだ事件か事故かも……なわけないか。事件だろうけどね。僕は刑事じゃないし、犯人とか言われても……」
それに調査していたところで乗客に話せることではないだろう。
「どうやってあんな所に遺体を入れるの?」
「え!? あ……いや」
言われると確かに気になる。
あまりにショッキングで考えるのを忘れていたけど、高台の上にある透明な筒の中に、どうやって人間を入れたのだろうか。
女性とはいえ、それなりに重さはあるはずだ。それに……。
「まあ……、筒は開くようになってるからね。入れられないことはないんじゃないかな」
「でも、入れた後に珠を入れても、外から見えるんじゃない?」
「そ……、そうだね」
そうなんだ。
筒の中にもたれ掛かるように入れた後で珠を補充して埋めても、外からは見えてしまうはずなんだ。
現れた女性は服を着ていなかったけれど、布みたいなものを体に巻いていた。シーツを裂いたような。
絵画に描かれているような女性が着ている物に近いけれど、衣服として付けていたにしては面積がなかったように思う。
筒の上に棒を渡して、体に巻いた布を引っ掛ければ、筒の中で吊り下げたような状態にはできるんじゃないか。
そして珠を入れて隙間を埋めた後、棒を抜けばできないこともない。
いずれにせよ、すごい手間がかかる方法だ。
そこまでしたということは、犯人は絶対に遺体を見つけられたくはなかったのだろう。
それが空湖の神がかり的なツキによって崩された。
もっとも遺体の腐敗を考えればそれほど誤魔化せるわけではないから、数日隠せればいいという考えだったんだろう。
僕も刑事物や鑑識ドラマが好きなのでそんな考えがよぎるけれど……。
「犯人は、どうして遺体を海に捨てなかったんでしょう?」
完璧でない上に、手間もかかる方法で遺体を隠したという方が気になってしまうのでそんな疑問が口をついたが、それにイヴァンが答える。
「ああ、それは分かるよ。デッキには監視カメラがついているからね」
乗客や乗員の姿が見えなくなった時は捜索しなくてはならないが、この街駅よりも大きな船内を探すべきなのか、それとも海に救助艇を差し向けるべきなのか、初動の遅れはそのまま人の命に関わる。
もちろん安全対策もされているが、身投げや何かを海に捨てるなど、防ぎようのない事態も起こり得る。
だから海に面している箇所には全てカメラが設置してあり、何かが落ちたり捨てられたりしたらコンピューターが知らせてくれる。
逆に船内はプライバシー保護のため、カメラのある場所はほとんどない。
「じゃあ犯人は、それを知っているスタッフの可能性が高いの?」
「え? ……いや」
空湖の言葉に一瞬戸惑った様子を見せるも、
「いやぁ、そうとも言えないんじゃないかな。カメラは全部見える所にあるし、乗客が知っていても不思議はないと思うよ」
と答える。
「それより、もうすぐ夕食の時間だよ。今日はディナーショーもあるからね」
小学生が振るものではない話題に若干引き気味なイヴァンは、露骨に話題を変える。
「じゃ、僕は会場の準備もあるから」
とイヴァンは席を立つ。
まだ事件を知らない人もいて、不安にさせるといけないから、あまりそういう話をするもんじゃないよと言い残して去っていった。
ソフィアとアリシアもそれに続くように客室に戻る。
僕は空湖がコーヒーを飲み終えるのを待っているつもりだったけれど、空湖はストローからブクブクと泡を立てていた。
僕は手持ち無沙汰になり、誰に言うでもなく呟く。
「でも……、到着した後、船を降りるまで大変だったりするんでしょうか」
「その可能性はあるだろうね。でもこの船の船長は日本人で、被害者は外国人でしかも船籍の国の人じゃない。船長には警察権があるけれど、日本の企業である運営会社としてはことを荒立てたくはないだろうからね」
結局航海中どうするのかを決めるのは船長で、事件をどうするかはパナマ警察に委ねられる。
船側もプールでの出来事は事故で、殺人とは無関係として処理するのではないか。実際関連があるという証拠はないんだし。
乗客全員が解決まで拘束されるということはまずないだろうと言う。
そんな話をして、僕達も母達と合流してレストランへと向かう。
今日のディナーはこの豪華客船の目玉でもある。
船体後部の数階層分を吹き抜けにした巨大レストランに乗客全員が集まり、豪華な食事に舌鼓を打った。
ショー形式で始まり、その間に料理が運ばれ、その後もトークショーなどを見ながら乗客は料理を楽しむ。
ショーにはマスターの店のクリスティーもパフォーマンスを披露して、皆から拍手喝采を浴びていた。
こんな豪華なレストランなんて慣れていない僕だったけれど、料理はそれほど複雑なものではなく、スープに魚、パンとシンプルだったので全く気を使うようなこともなく。
ズラッと並べられた食器の、どれを使えばいいのか悩むような場面に遭遇することもなかった。
空湖は……、パンのおかわりをし過ぎなんじゃないかと少し心配になる。
デザートに当たるスムージーを飲んでいるとちらほらと席を立つ人も現れ始めた。
ショーもスタッフによるツアーの紹介のようになって退屈する人も出るんだろうな、と思っているとフロアの一角が慌ただしくなる。
なんだろうと思っていると近くの席でも苦痛の声を上げて
スタッフが駆け寄り、騒ぎに呆然としているとまた一つ、また一つと席から助けを求める声が。
たちまち船内は騒然となった。
僕はオロオロとしながらも怖い考えがよぎる。
集団食中毒!?
何か悪いものが食事に含まれていたのだろうか? でもこんな豪華客船のディナーで?
どんなレストランよりも衛生面に気を使っていそうなものなのに? しかし日本の厚生省を通っているとは限らないのかも……と思うとその可能性も分からない。
でも、それならまだいい。
怖いのは……、先の事件が殺人事件で、遺体の発見が犯人にとって予想外のことだったのなら、食事に毒を持って乗客を皆殺しにしようとしているのか? という恐怖が襲う。
でもおちつけ。それならもっと強い毒を使うはずだ。
それに全員じゃない。見たところ乗客の半分にも満たない……、と思っているうちにも不調を訴える客が増えていく。
そこかしこで吐き戻す者も現れ出した。
不安で青い顔をする健太達の中、
「うっ、なんか気持ち悪くなってきた」
母も胸を押さえる。
僕は早くなる心拍数を押さえて冷静に自分の体に問いかけた。
特に異常はない、と思う。
空湖は……、と見るとケロッとしていた。
いつものようににぱっとした笑いを見せるが、母はガタンとテーブルに顔を伏せる。
「コウ君、……母さんはここまでみたい。パパと二人で強く生きてね」
僕に向かって伸ばされる手をなんとなく掴んでしまう……、けれど僕の名前はタカシです。あなたが付けたんでしょ? と心の中で突っ込んだ。
ひとしきり茶番した後、むっくりと起き上がって、看護の邪魔になるといけないから部屋へ戻りましょうと僕達を促した。
落ち着いてみると、腹痛を訴える人は多いが、動けなくなるほどの症状はその中の一部だ。
と言っても偶然にしては多すぎるので、食事に何らかの問題があったのは確かなのだろう。
食事のメニューは皆同じだったはずだから、僕達も食べたのだろうけれど、問題ないということは個人差なのだろう。
毒殺という線は薄そうだ。
スタッフが来て「大丈夫ですか?」と聞かれたが、そのまま大丈夫と答え、客室へと向かった。
途中、ソフィアとアリシアに会ったけれど、彼女達も無事なようで安心した。
しばらく慌ただしかったが、落ち着いてくると船の看護師が回診に来た。
僕達は何とも無いことを改めて伝えるが、毒入りワインイベントにも参加していた看護師で、僕達が無事なことに安心してくれた。
不調を訴える人は多いけれど、全員ではないし、ほとんどの人は軽症だから慌てないでと言う。
原因はまだ分からないが、やはり食材に何か悪い物が混ざっていた可能性は捨てきれない。
「あまり考えられないんですけどねぇ……」
と看護師も首を傾げる。
特に症状の重い人を食堂――大レストランとは別の大衆食堂。朝ご飯のビュッフェなどに使う――に集めて臨時の病室にしているから食堂は使えない。
明日からの食事は各部屋に直接配りに来るので、何か希望はないかと聞かれた。
パック入りの物、よく加熱した物など、できるだけ希望に沿う物を出すと言ってくれた。
確かに無事な人も不安になるだろう。試験航海からこれでは後の評判にも響く。船側のできる限りという言葉に嘘はないのだろう。
「マスター達、無事なのかなぁ」
健太のぼやきに、そう言えば……と思い出す。
クリスティーはショーに参加していたから、もしかしたら食事を摂ってないかもしれないけれど、マスターはどうだろう。
僕としては、あの人達が寝込んでくれているのなら安心ではある。
そうでなければあの人達の仕業なんじゃないかと思う僕もいて、少し考えすぎかなと反省する。
でもそう言えばマスター達の客室を知らないな。いつも店にいるから意識したことがなかった。
外の様子を窺うと、さっきよりはスタッフの行き来が減ったように思うので、健太達と様子を見に行くことにした。
特に外出を禁止されているわけではないので大丈夫だろう。
レジャーエリアに向かおうとする健太達に、空湖は逆方向を指す。
「マスターがカフェにいるとは限らないから、わたし達はこっちを探してみる」
一瞬戸惑った健太だったが、「お、……おう」とカフェに走って行った。
わたし達って……、僕は空湖組なんだね。
「マスターの部屋の目星はあるの?」
船内の通路を行く空湖に声をかけるが、あっさりと「さあ」という答えが返る。
どこへ行くでもなく適当に歩いているようにも見えるけれど、マスターがそこら辺を歩いてないかと探してるのかな?
たまにバタバタとしたスタッフとすれ違うが、他の乗客の姿はない。
本当にほとんどの乗客が寝込んでいるのかな? と思っていると老婦人の姿が見えた。
「こんにちは。お婆さん大丈夫なの?」
「おやまあ、小さい子だね。わたしは大丈夫だよ」
「ディナーのご飯食べなかったの?」
空湖は気さくに話しかける。
このお婆さんもディナーでの食事は摂ったようだ。
人懐っこく話しかける空湖を「これからお茶を入れるよ」と誘ってくれたけれど、空湖は断って先を急ぐ。
空湖はそのまま食堂へと足を向けた。
そこはテーブルがどかされてマットを敷き、激しい腹痛を訴える患者が寝かされていた。
スタッフがバタバタと動き回り、まるで野戦病院だ。
この中にマスターがいるかもしれないと思ったのかな?
僕も探してみるが、マスターの姿もクリスティーの姿もない。
「マスター達いないね」
僕が言うと、空湖も「そうだね」と言い客室へと戻る。
健太達も戻っていて、カフェとその近辺にもマスターはいなかったと言う。
僕も食堂とその周辺でも見なかったと情報を共有した。
だとしたら客室にいるか、寝込んでいるのかもしれない。
寝込んでるなら心配だなー、とぼやく健太に僕も形だけの同意をする。
寝込んでいればいい……というのではなく、何となくあの人達は大丈夫な気がしていた。
そのまま僕達は床に着く。
そして翌日。
まだ朝食も運ばれる前の時間。
時間が早いからまだ開店していないだろうという僕の言葉を聞かずに健太達は「カフェに行こう」と急かす。
結局押し切られる形で向かった先で、冷たくなったアリシアの姿を発見した。
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