二日目
客室で朝を迎えた僕達は、朝ご飯を食べようと船内の食堂に向かっていた。
その途中に人だかりができていたので、何事かと覗いてみたら、昨日気安く話していたマダムの遺体がプールに浮かんでいたんだ。
まだ見つかったばかりで規制もされていなかったために見てしまった。プールの中ほどに大の字で、お腹の辺りに赤いものが見えた。
船内はすぐに騒然となり、警備員によって追い出され、プールは封鎖された。
「大変なことになったねぇ」
喫茶店moriya出張店のカウンターで、僕達はマスターのぼやきを聞いていた。
さすがにこの人が関係してることはないと思うけど……。
「でもこんな事故があったんじゃ、この航海も中止かしらね」
母も頬に手をついて言う。
「事故なの?」
空湖が空気を無視するように言う。
その頭には昨日毒入りワインの余興で貰ったホームズ風帽子を乗せていた。何気に気に入ったようだ。
「事故じゃないの?」
僕の母は現場を直接見ていない。
「遺体は服を着てなかったよ。誰もいない時間に開放感を味わいたかったにしては変じゃない?」
「それに、お腹に傷みたいなのがあったんだ。血の跡みたいな」
空湖の言葉に僕が補足する。
「でも血なら水に流れてしまってるんじゃない?」
空湖のもっともな疑問に、そう言われればそうかと思ってしまう。
「でも、事件ならもっとヤバイじゃない」
母の言葉にそれは確かにそうだと頷く。
殺人事件なら、殺人犯が船の中にいることになる。
どこにも逃げることのできない閉鎖された空間で。
でもこの船はかなり広いので閉じ込められている感じはしない。ただ誰が犯人か分からない状況が落ち着かないだけだ。
あーだこーだと勝手な推論を繰り広げていたら、ソフィアとアリシアがやってきた。
「へえ、そんな騒ぎがあったの」
二人は事件のことは知らないようだった。
少し顔を合わせただけとは言え、昨日まで元気に動いていた人が突然帰らぬ人になったことには驚きを隠せないようだ。
「この子達は殺人事件だと言って譲らないんだけどね」
マスターがやれやれという様子で笑う。
「マスターは違うと思うの?」
母が意外という様子で聞く。
「推理ドラマじゃあるまいし。殺人事件なんてそうそう起こるもんじゃないよ。タネを明かしてみれば事故だったり、自殺だったりがオチなんじゃないかなぁ」
確かにそうなんだけど。
僕達がここにいる理由でもある事件も、公式には事故で捜査終了になっているんだ。
「なにより、殺人にしては不自然なのが遺体をよく見える所に放置していることだねぇ。普通は隠したいと思うもんじゃないか?」
それもそうだ。
普通は発覚を恐れて隠したり、処分したりするもんだけど。
「それにここは船の上、僕ならここで人を殺したら、見られないように海に捨てちゃうけどねぇ」
と言って爽やかに笑うと皆もつられて声を上げる。でもこの人なら本当にやるのかもしれないと思ってしまうのは僕だけだろうか。
「でも……、事故だとしたら、どうやってそうなるの?」
ソフィアの疑問に皆沈黙する。
無理矢理理由をこじつけることはできても、しっくりくる説明はできそうにない。
「じゃ、殺人だとして。あんな所に遺体を放置する理由は?」
「死体を皆に発見させるため?」
「死亡推定時刻をズラすため?」
空湖の言葉にマスターが答え、それに母が対抗するように言葉を重ねる。
でも発見させるのが目的ならもっと人目につく所があるだろうし、死亡推定時刻をズラすにも昨夜まで無事だったんだから、元々かなり絞られている。
プールは娯楽エリアに隣接して誰でも簡単に行き来できるから、朝にすぐ見つかるのは想像に難くない。
と母は作家らしく補足する。
「でも、あまり人の死をネタにするものじゃないよ。殺人犯と同じ空間で生活するなんてこと、そうそうあるものじゃない」
マスターが大人らしいマトモなことを言う。
僕もそう願いたいのだけれど……。
皆もそりゃそうだよね、という空気になったところに、調子のいい声が近づいてきた。
「やあ、みんなお揃いだね。なんか物騒な話が聞こえたもんでねぇ」
昨日のイベントで死体役だった男の人だ。
母やソフィア、アリシアに馴れ馴れしく挨拶するとマスターにコーヒーを頼んだ。
「いやあ、大変だったよ。僕も引き揚げ作業に駆り出されてね」
事件のことはもう知ってるみたいだから隠すこともないだろう、と愚痴をこぼすように言う。
「女性の裸は好きだけど……ああいうのはちょっとねぇ」
と渋い顔でコーヒーをすする。
「それで、死因は何だったの?」
とことも無げに聞く空湖に、男性は口に含んだ物を吹きそうになる。
面食らう男性に、マスターが「この子は少し特別でね」と話す。
いやしかし……と若干渋るも、確かにヘタに隠して余計な憶測が飛び交うよりは、とやや重そうに口を開く。
「僕は医者じゃないから、詳しいことは分からないけど……」
と前置きし、少し間を置いて声を落とす。
「少なくとも外傷はなかったように思うよ。傷もないし、血も出ていなかったからね。脱いだ服も側に置いてあったから、誰も居ないのをいいことに一泳ぎして溺れたんじゃないのかなぁ。その時間は暗かっただろうし」
僕は遺体を見てしまったことを言っていいものか悩んだけれど、空湖は当然のように赤いものが見えたことについて質問した。
「ああ……、それは血じゃないよ。赤いタトゥーだった。多分ペイントなんじゃないかと思うけどね」
それを聞いて皆は少し安心したような反応を見せる。
「これは……、あくまで僕の予想なんだけど」
プールは基本誰でも利用できるが、ペイントを含むタトゥーを入れている人の利用は遠慮してもらっているらしい。
だから誰もいない時間を見計らって一人で泳いだのではないか。
元々泳ぐ予定ではなかったから水着も用意してなかったし、一瞬だけのつもりだったから裸で入り、そして準備運動もロクにやらなかったために溺れてしまったのだろう。
水深は1.5m。足がつかないことはないから油断したのではないか、と語った。
「君達は夜に子供だけでプールに入っちゃダメだぞ。まあ夜は扉が閉まって、子供の力じゃ開けられないけどね」
基本的には24時間開放していてナイトプールの設備もあるが、試験航海では利用者が少ないので事実上の利用停止。
ただ案内を無視して入ろうと思えば入れる状態だったらしい。
運営は利用者がルールを無視したことによる事故として、航海はこのまま続ける予定だ。
「でも利用者が減っちゃうとスタッフとしては寂しい限りだからねぇ。どうだい君達、これから一緒に泳がないか?」
女性陣にウインクするが、皆プルプルと首を横に振る。
もちろんプールそのものに危険はないんだろうけれど、無理もないと思ってしまう。
男性もそれは分かっているようで、苦笑いすると、
「じゃ、僕はまだ仕事があるからね。あ、僕はイヴァン・クリスト。何かあったら僕が力になるよ」
と女性達の手を取って甲にキスしてカウンターを離れた。
仕事と言っていたけれど、別の女性グループに話しかけている。
事故で不安になっている乗客のケアも仕事と言えばそうなのかもしれないけれど……。
苦笑いしているとマスターがグラスを磨きながら明るい声を出した。
「事故に遭った人は気の毒だけど、殺人犯が同じ船に乗ってないならよかったじゃないか」
皆も安堵した様子を見せるが、空湖は無表情のままだ。
「空ちゃんは、まだ気になることがあるの?」
おそるおそる聞くと、空湖は顔を向け、帽子の下から上目遣いに僕を見る。
「遺体、浮いてた」
……と、僕は一瞬固まってしまったが、やがて言葉の内容を理解する。
「そ、そうだね。浮いてた」
あまり思い出したくない光景だけど、その時の様子が脳裏に蘇る。
「プールで溺れたなら、肺に水が入って沈むはずだよ。浮いてたのなら肺に空気が入ってたことになる」
確かにそうだ。でも……、肺に空気が入ってたってことは、それはつまり……。
「プールに入れられた時は既に死んでいた、ということになるんじゃない?」
そういうことになるけれど。
「でも、プールサイドで頭を打って、それが原因で亡くなったんなら、浮いてることもあるんじゃない?」
母の言葉に「その可能性もある」とさほど気にした様子もない。
そりゃ殺人事件であってほしいワケではないからね。
船にも医者はいるんだし。事件の可能性があるんなら、対応をするのは船を運営する会社の役目であって僕達ではない。
「なぁ、陰気くさい話はやめて、あっちで遊ぼうぜ」
健太がややウンザリした調子で指すのは船のレジャーエリアだ。
この客船のほぼ中心にあり、カジノやゲーム、マッサージチェアーにテレビなどのくつろぎスペースがある。
乗客全員が一度に入れるんじゃないかというのは大げさかもしれないけれど、かなり広い印象だ。
そこを囲うようにブティックやマスターのカフェ、バーカウンターなどのお店が並んでいた。
目を引くのは中央にある大きな噴水。
塔のように伸びた像から水が流れて、池に波打つ水面を作っていた。
この豪華客船は最新式の揺動防止システムを導入していて、「世界一揺れない船」がキャッチコピーになっている。
船酔しやすい人にも優しい――がウリで、それを立証するための噴水なんだそうだ。
理屈的には建物の耐震装置に似たものだとパンフレットには書いてあったけれど、実際乗ってみてもかなり揺れは少ないように思う。
それでも皆無ではないようで、外洋に出てからは池がタプタプと波打っていた。
囲いに返しが付いているので溢れはしないけれど、近くにいれば水飛沫はかかるんじゃないかな。
床が毛足の長い絨毯なのは、万一溢れた時のためなのかな? と思ってしまう。
早速と言うか、池にはコインが投げ入れられていた。
塔の天辺にある像は天使かな?
キューピットのような子供が灯を掲げているような像、それがフロアにいる人達を導くような形で天を仰いでいる。
個人的には天に導かれるようで縁起悪いんじゃないかな、と思わなくもないけれど……。
健太と陽子はきゃっきゃと池の水を手で掻き回していた。
「わっ! なんだこれ。しょっぱいぞ!」
陽子も「ホントだ」と手を舐めている。
「この船のプールは海水なのよ。潮の香りがするプールがウリの一つだからね。この噴水の水も同じなの」
通りがかったスタッフの女性が教えてくれる。
昨日の毒入りワイン事件の余興でグラスを並べる役をやっていた人で、看護師として乗船したスタッフらしい。
海と繋がってんの? と驚く健太達に看護師は笑いながら答える。
海の水を直接取り込んでいるのではなく、要は「今回はカスピ海の水です」などといった謳い文句で開催していて、毎回本当にその海域で取り込んだ海水を利用しているようだ。
もちろんフィルターで
噴水の水も同じみたいだけど、プールと繋がっているわけではないらしい。衛生面を考えればそれはそうだろう。
空湖は、噴水に隣接している遊戯施設――スロット台の椅子に座っていた。
カジノだけれど、お金やコインを賭けない、子供でも遊べるものらしい。
でも設備は結構きらびやかで、本場カジノに来た雰囲気だけは味わえそうだ。
特に何をするでもなくじっと台を見ている空湖に近づくと、母が球の入った容器を差し入れてくれる。
十個ほどのピンポン球――かと思ったらスポンジのように柔らかい。
ここではこれを使って遊ぶらしい。
パチンコのように打ち出した球を籠に入れるようなものから、砲筒から射出して的に当てるゲームまで様々だ。
健太達はハンマーゲーム――大きなハンマーで鐘を叩くとメーターに添って人形が飛び上がり、その高さでスコアを競うゲーム――を遊んでいたが、ハンマーが重くてそもそも持ち上げられないようで、陽子がそれを見て笑っていた。
ゲームで勝ったりすると更に球が出てくる。
最初の球はお金がいるけれど、以降は普通に遊んでいれば結構遊べるらしい。球を一度も増やせずに使い切るほうが稀だろう。
ただ球をお金に戻すことはできないのでここで遊びきらなくてはならない。
遊び終わって余った球は設備の真ん中にある巨大な筒に戻さないといけない。
塔のような段差の上に乗った直径1メートルほどの透明な筒に、カラフルな球が詰まっている。
塔そのものが販売機になっていて、そこにプリペイドカードを入れると上部の筒から珠が取り出し口に落ちてくる。終わったら返却口に戻すと吸い上げられてまた筒の中に積み上げられるという仕掛けだ。
各ゲームの機械も管で繋がっていて球が行き来している。
という説明をスタッフに聞いてきた母が説明してくれた。
空湖は球を受け取るとそれをじっと見つめていたが、やがてスロットの機械に入れる。
機械の後ろから伸びている透明な管を伝って球が筒に落ちていった。
空湖がレバーを引くと、重い音を立ててドラムが回り始めた。この辺りは本格的だ。
ガシャッ、ガシャッ、ガシャッ……と三つのドラムが止まり、九つの絵が並ぶ。
僕はスロットの勝ち条件に詳しくないけれど、何も起きないところを見ると外れたのか。
空湖はしばらく固まっていたが、また次の球を手に取ると機械に入れた。
無表情に続ける空湖を僕はただ見つめていたが、ムキになっているのかな?
こう言っては何だけど、空湖は賭けことに向いてないんじゃないかな。空湖だけじゃなくて一家が……。
いや、ギャンブルで散財したわけじゃないとは思うんだけど。
次々と珠を入れていく空湖を見ながら、お金を賭けているわけじゃなくただのゲームなんだから楽しんでるならいいか……と思うも、それならもう少し楽しそうにしてくれてもいいと思う。
ここまで一度も当たらないなんて、かなり運が悪いと思う。
最後の珠を取る空湖に、母は僕と二人で分けるように置いていったと思うんだけどなー、という視線を送るも空湖は気にした様子もなく機械に入れた。
ガチャリとレバーが引かれるとドラムが回り始め、リズムを刻むように回転を止めていく。
最後の絵柄が揃うと、突然派手な音楽と共に周囲の機械も含めて光が明滅した。
周囲の人も驚きの視線で注目したが、やがてスタッフ一同が拍手を送る。
その途端、全ての機械から珠が溢れ出した。
一瞬機械が壊れたのかと思ったけれど、スタッフの様子から察するに、空湖は物凄い大当たりを引いたようだ。
フロアには珠が溢れ、円柱状の容器からみるみる珠が減っていった。
全ての珠をフロアにぶちまけると、ようやく機械は静かになる。
「いやぁ、凄いね空ちゃん。これ、設計者も船が廃船になるまでにお目にかかれるかどうか……っていうくらいの確率だと言ってたやつだよ」
余興の犯人役だったイヴァンが惜しみ無い拍手を送りながらも「コレ片付けるの僕達なんだけどね……」と苦笑いする。
敷き詰められた珠を見ながら、毛足の長い絨毯は珠が転がっていかないようにするためのものだったんだと納得する。
だけど大人のスペース、バーエリアでは「酒を奢るぞ」とバーテンが叫び、周りの人も色めき立っていた。
大当たりしてもゲームだから特に誰が得するものでもないんだけど、それじゃつまらないと船側もサービスをしてくれたようだ。
話を聞きつけた人がわいわいと集まってくる中、異様な恰好をした人が目に留まった。
その人は大きなサングラスに黒いマスク、船内なのに黒い帽子を被っている。
ガウンに手袋までが黒く、全身を黒で統一していた。
スカートだから女性っぽいけど、髪は結えて帽子の中に押し込んでいるのか長さは分からない。
体の大きさから高校生くらいか、あるいは小柄な女性なのかもしれない。
肌をほとんど露出してないから歳は分からない。
その黒ずくめの女性はふらっとレジャーエリアに入ってきたが、僕の奇異の視線に気が付いたのか、ぷいと立ち去って行った。
なんだろう。あからさまに怪しいけれど、単に黒が好きな人なのかもしれない。
まあ他人のファッションにとやかく言うなんて野暮なことだけれど。
そんなことを考えていると、お酒が入って上機嫌になった客達がこちらにも流れてきた。
「なあ、アンタ王女様なんじゃないのか?」
結構出来上がった男達に女性が絡まれていた。
「なあ、タトゥーがあったろう? チラッと見えたぜ」
それを聞きつけた数人がまた集まり、たちまち人集りができる。
女性は二十代だろうか。ショートの髪に色眼鏡をかけ、話し方からみても見た目より若そうだ。
服装はセレブというよりカジュアルで、雰囲気からしても王女様という出で立ちではないように思う。
女性に近づき、誘う時の常套句なのかと思えば、いやらしく絡む感じでもない。
プライベートでアイドルを見つけた時のような、チヤホヤするというのがピッタリな状況だ。
確かにこのクルーズは有名、著名人も多く参加していると聞く。まあ僕のよく知る人なんてまずいないんだけど。
それで言えば僕の母も知る人は知る作家だから、たまたまファンの人がいたなら似たような状況になったかもしれない。
女性も適当にあしらいながらも特に否定もしない。
満更でもなさそうな様子の女性だったけれど、さすがに鬱陶しくなったのか露骨に雑な対応をするようになった。
それでも取り巻き達は気にする様子もなくお近づきになろうと話しかける。
「はーい、会見はこれにてお終いでーす。ささ、王女様。次の予定がありますよ」
見かねたのか、イヴァンが女性をグループから離す。
男達は不満そうながらもイヴァンの陽気な様子に仕方ないかと散っていった。
乗客同士のトラブルを解決するのも仕事なんだろう。
あのおちゃらけたキャラクターもそのために演じているのかもしれないな、と少し感心していると、
「あー、楽しかった。それにしても空ちゃん凄いね」
ソフィアとアリシアがゲームコーナーから戻ってくる。
なんせコイン代わりの珠はいくらでも落ちているのだ。遊び放題だっただろう。
「私からのお礼。一緒にお茶飲まない?」
アリシアが国から持ってきた珍しいお茶があるのだそうだ。
もちろん飲んでみたいのだけれど、健太や陽子、母も集まってくると、ソフィア達の部屋では狭い。
空間というよりは皆で囲うテーブルのような物が無い。
どうしようか、と相談していると、
「じゃ、マスターに煎れてもらえばいいんじゃない?」
と母が言う。
厚かましいんじゃないかな? それにカフェに持ち込みなんて……、と常識的なことを考えるも、意外にもマスターは快くオーケーしてくれた。
「珍しいお茶なら僕も飲んでみたいな。頂けるなら全然構わないよ」
そうして加々美原町内会みたいになったお茶会が開かれた。
アリシアが簡単に煎れ方を手ほどきし、煎れたお茶が皆の前に配られる。
見た目は琥珀色で、かなり濃い感じがする。
皆香りをまず楽しみ、ゆっくりと口をつける。
「すごーい。アリシアが煎れたのより数倍美味しい!」
ソフィアが絶賛するが、アリシアは微妙な表情だ。
「でもこれ何ていうお茶なの?」
「リマ茶です。あまりお茶に慣れていない人には苦いかもしれませんが、ポリフェノール、カテキンがとても多くて体にいいんです」
母の問いにアリシアが答える。
老化を防ぎ、胃腸の調子を良くする効果が高いのだそうだ。
「僕も聞いたことはあるよ。古代では王族しか飲むことが許されなかったとも言われる特産品だよね」
「貴重なの?」
マスターの口添えに空湖が聞く。
「銘柄としては貴重ってほどでもないよ。今はインターネットでも買えるしね。ただティーパックやペットボトル入りみたいな物がほとんどだから、いわゆる茶葉から煎れる『本物』は貴重かもしれないね」
効用を考えればインスタント製品とは比べるべくもない。
それにこの手のお茶は煎れ方もコツが要るから、素人が茶葉だけ手に入れても物凄く渋くなって不評だったりする。
どんなお茶でも煎れ方次第で風味が変わるのは同じだけど……、としばらくお茶についての談義に花を咲かせた。
紅茶は貴族の飲み物だとかいう話で、そう言えばさっき若い女性が王女様だともてはやされていたのを思い出して話題に乗せる。
「女の子を口説く時の定番よね」
「でもそれならお姫様なんじゃないの?」
母と陽子が女性らしい反応を見せるが、
「タトゥーがあったから王女様なんじゃないか? って言ってたよ」
と空湖が入り込む。
そう言えばそんなことも言ってたっけ?
「王族ってタトゥー入れてたっけ?」
「まあファッションというより、王族であることを示す印を入れる風習はあるよ」
皆の疑問にマスターが答える。
「前にチラッとプリマ王国の話をしたろう? あの国にもそんな風習があったんじゃないかな」
プリマ王国は特に王権争いが根強く残っている国だ。
血筋が力を持っているという考え方で、代々その血統を持つものが国を治めている。
だけど今、プリマ王国には王位継承権を持つ者がいないらしい。
別の政権が引き継ぐということは、実質前王朝の崩壊を意味する。
だが王様に妾はつきものだ。
王妃の血を引いていない子供は、王権を狙う派閥に祭り上げられることがあるため国外に追放される。
もちろんお国柄としてはトラブルの源なんだけれど、国外に正当な王族の血を引く者がいるのなら、王位継承権を認めなくてはならない。
でもそういう時、「王位継承権を継ぐ者です」という輩が大勢名乗りを上げたりするものだ。
そのため「王位継承権の証」みたいなものがあったりする。
という話をマスターはしてくれたが、「まあこれはあくまで映画や小説なんかでありそうな設定……というだけで、件のプリマ王国がそれと同じかどうかは分からないけどね」と付け加えた。
「プリマ王国の場合、王位継承権にはその証として刺青を体の何処かに掘るって聞いたことがあるね」
今回のように国内に継承者がいなくなった時に、血を引く者であることを証明するためだ。
でも今なら目に見える印なんて残さずにDNA鑑定するなど方法はありそうなものだけど……、血の力の信仰を科学で分析するというのも確かに変な話だ。
「出港前に日本で話題になっていたのもそれだよ。その継承者が日本にいたっていう噂が流れて、色々な国から調査が入ったって話だ」
幼い頃に日本に移住し、養子に出されていたと言う。
「じゃあ、日本人から王様が出るかもしれないってこと? 今のうちにツバ付けとこうかしら?」
母がケタケタと笑いながら言うが、実際そういう問題なのだろう。
そうやって近づく者が後を絶たないだろうし、迂闊に引き渡しても暗殺されるかもしれないんだ。
本人だって誰が信用できるのか分からないのではないだろうか。
「一つ訂正させて頂くと……」
アリシアがお茶を飲む手を止めて口を開く。
「プリメラは……継承者のことですが、その子は王妃様の実子で、最愛の人との間にもうけたと言われています」
王族の血を引いているのは王妃の方で、決して妾の子などではない。
件のプリメラは、正当な王位継承者であると。
日本ではあまり話題にならないけど、海外では資源豊富で平和主義なプリマ王国は人気があり、皇室を信奉する――つまりファンの多い国だそうだ。
日本でもイギリスのエリザベス女王を知らない人は少ないだろうし、悪く言われて不快に思う人もいるだろう。
アリシアも外国人だし、僕らよりも身近な存在だったのかな。
マスターもプリマ王国のことを直接言ったわけではなかったから、別に怒っているという風でもない。
要するにプリメラは姫のことで、女性であることは既に公表されている。王子の場合はプリムと言うらしい。
王妃とプリメラの父親の間にどんな話があったのかは分からないけれど、その子はずっと自分の出自を知らずに育ったのだろうか。
だけど実際問題、「私がプリメラです」と名乗りを上げる者が後を絶たない状況で、策謀による偽者の場合もあれば、小さい頃からずっとあったこの痣はもしや? という者まで様々だ。
ほとんどの場合、タトゥーを照会したところですぐにバレる。
「それで、どんなタトゥーなの?」
空湖が相変わらず唐突に聞くが、
「そこまでは……」
とアリシアは言葉を濁す。
秘密なわけではないので、大体のイメージを知る人はいるが、インターネットに写真があるわけではないので正確に知る人は少ないんだろう。
円の中に三体の動物が描かれているらしい、というくらいの情報は出回っていると言う。
そんな話をしながらお茶を飲み、レジャー施設でそれなりに楽しんだ後、僕達は自身の部屋へと戻った。
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