エピローグ「蛇足」

 天正16年の、ある日のこと。


 身綺麗だがどことなくうさん臭さの漂う親爺が、同じく身綺麗だが、どことなく荒々しい気風を漂わせた少年に何やら話をしていた。


「……と、このようにして我らが木下藤吉郎の仕えた織田家は今川義元を討ち果たすことができたのです」


「嘘じゃ、嘘じゃ」


「嘘ではござりませぬ。我らが藤吉郎様……今では秀吉を名乗る関白殿下がおられるのも、狂うたように敵を追い回し全てを破壊し薙ぎ倒してどったんばったん大騒ぎの乱痴気騒動を繰り広げたバッファローの大群のお陰でありましょう」


「嘘じゃ。桶はざ間に全てをはかいしながら突きすすむバッファローの群れがあらわれた、などとどんな書にもかいておらぬ。そもそもバッファローってどういうことだよ。わけわかんねえ」


「ほう、秀俊ひでとし様は英邁でいらっしゃる様子。一体どのような本を読まれたのですかな……」


 老人はにこやかに笑い、秀俊と呼んだ少年の挙げる書籍の名前を楽しげに聞いた。


「やい、曽呂利そろり。お前、関白どののお気にいりだからといって、てきとうなことを吹いておらぬか。我は関白どのの子であるぞ。だましたら、ゆるさぬ」


「騙してなどおりませぬ」


「それはまことか。だましたならば、首を、きるぞ」


「ほっほ。勇ましいことで。僭越ながらそれがし、関白殿下に『死んだ方がよい』と言われながら首を繋げた男にござる。さて、いかがかな」


 今にして思えば、関白は──当時の「藤吉郎殿」は一度も『死ね』とは言わなかった。藤吉郎をして優れた男と言わしめた信長もまた、『殺せ』とは言わなかったのだろう。

 京の都へ凱旋し、天下を手にした男二人の厚情に触れたあの日のことを、思い出さずにはいられない曽呂利であった。


「──桶狭間の戦いでは、織田信長の軍勢が果敢に突撃して今川義元の軍を破る! 今川にも織田にも相当の死者が生まれる古今稀なる大戦にござる!」


 回顧の年をふり払うように、曽呂利は気勢を発して桶狭間を物語る。

 首と言い出す、気風の荒い少年をちょっとビビらせてやろうという魂胆があった。


「──乱戦にも関わらず、敵味方入り乱れての同士討ちもなく織田方は一心不乱に今川勢を打ち破ったとのことである! 突撃にてはバッファローが、同士討ちがなかった件には関白殿のご配慮が。史書の歴史もただいまの物語にも、いずれも相違はなかりましょうぞ」


「し、しかし……」


 曽呂利と呼ばれた親爺は、少年を抱きあげた。

 反論に窮してぐずりかけた幼子を前に、話しかける。


「それがし、秀俊様へ反駁する気は滅相ござらぬ。虚構の如き現実。実像の如き虚構。いずれも白黒定かならぬのがこの日ノ本にてござる。秀俊様が曽呂利の言を疑うならば、それもまた一つの真理でございましょう」


「お、お前はなにをいっておる。はなせ、はなせぇ」


 言葉とは裏腹に、きゃっきゃと笑う少年を床に下ろして曽呂利は居住まいを正した。

 相手は、幼子といえど、関白豊臣秀吉の跡目を継ぐ……かもしれない男である。物語の締めとなる、最後のひと言だけは少々恰好をつける形で言うことにした。


「それがしの物語は、史実を元にした虚構にてござりますれば。虚実定かならずとも、教訓や暇潰しとしていただければ、この曽呂利新左衛門、関白殿下より賜った御伽衆おとぎしゅうの冥利に尽きてござる──」


 曽呂利が深々と頭を下げると、秀俊も応じる。


「なんじゃ。やっぱり、嘘ではないか」


 関白・豊臣秀吉が養子・羽柴秀俊。

 後に、天下の趨勢を握ることになる少年は──新左衛門のすかした矜持に笑いを堪えきれなかった。






 どっとはらい。

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バッファロー・戦国時代・カネ パルパル @suwaharu

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