掌篇

@Yoyodyne

天井

ローレンツは自身の家で横になりくつろぐ事ができなかった。

それはあまりにも”天井を見ること”を恐れていたためだ。

普段何かを被ることなどしないのに

室内ではツバの長い帽子を被り、眠る時も安楽椅子に座り、寝返りをうって天井をみることを避ける徹底ぶりで、頻繁に”天井を見ること”への恐怖を語るのだがそれは

(例えば)天井を一度も見たことがないのに想像してしまうんだ。そこには過去にしか住むことのできない人々の似姿、母、父、その他の先立った大切な人々の模造品が次々にこっちに迫ってくるのを。そしてその隣でニタニタ笑っている一度も顔を見たことがない男、いや、顔を何度も何度も見ている夢、白昼夢、疲れから起きる一瞬の妄想の中で━━見た感覚があるのに顔を全く覚える事ができないのだ。それは極端なまでに普遍化した誰の顔にも見いだせるような特徴しか持たない現実の誰でもない顔なんだろう。その普通の印象が異様なまでの笑顔によって掻き乱されている。等と舌をもつれさせながら言っている有様で

その時だけ明らかに様子が変わり、目をひん剥いて広角を引き絞るような満面の笑みを浮かべるのだった。

私の前でも何度もてんかん発作起こしたように上記の行動をとるのだが、その度に私は目のやり場に困り部屋のあちこちに視線を泳がせる他なかった。ある古ぼけた調度品を除いて━


見れば後悔することがわかりきってるのにも関わらず精神に作用する見ることが禁じられてるもの特有の重力のためにそこに毎回視線をやってしまい

そしてその網膜に焼きついた女の顔は私の自我を閉じ込める牢屋を飢えと乾きの荒野が広がる深淵に投げ込んでしまうため私はローレンツの家を訪れて数日の間は正常に呼吸しているのに息のできない感覚に陥ることがよくあった。


ローレンツはいつしか周りの人間にそのことで少し恐れられるようになった。

彼はその問題に何度か対象しようとした。

ローレンツ家は装飾が流行遅れになった時代に没落した建築家の家系で、彼は祖先たちとは別の道を進み、勃興しつつあった神経科学の進路を選んでいた。ローレンツはよく自分の不合理な恐怖は神経の特異的な発火まで還元できると考えていた。ミュラーの特殊神経エネルギーを信じていたため、天井が”天井を見ること”の恐怖を誘発はするが、その原因が天井になく自身の神経系の構造にあると考え、そういう趣旨のことをよく述べていた。

ローレンツの家は代々受け継がれローレンツも両親のその家具や室内構造の本来の機能や利便性を損なうほど飾り立てるヴィクトリア朝の残滓のような悪趣味や嗜好には嫌悪を抱いていた(ローレンツは何物もより単純でよりコンパクトであることが望ましいとよく言っていた)が、

その家は彼らが不慮の事故によって突然に死ぬことによって賜ったものだったのでそこを手放すというのは流石に抵抗があったようだ。思い悩んだ末、折衷案として彼は部屋を底面を下にした三角錐にすることで天井そのものの領域を隅の一点に追いやろうと計画を練っていた。

しかし、いざ実行に移そうとすると多々の困難に見舞われるようになった。


ある日友人数名を自宅に招いていた時のこと、酒の勢いもありその客人たちはある計画を練った。ローレンツは酒にあたるとお気に入りの簡素な椅子に(彼はあまり部屋の内装に金をかけるタイプではなかったし、それを見せびらかすよりは質素に見せる事に拘っているように見えた。年代物の家具などが汚損を受けるとそれを修理し保存処理をするが自身の所有する倉庫にしまい込み二度と人前に出すことはなかった。その代わり天井を見ないことには金と労力を奮い、なりふり構うことはなかった。)勢いよく俯いたまま座り込んだため、友人たちはその椅子の後ろ足のネジを抜き取るだけで目的を成し遂げる事ができた。


ローレンツは膨大な書き置きを遺していた。それは日記のような体裁だが、とても現実とは思えないようなシチュエーションやローレンツの人生と矛盾する出来事、数行のメモや注釈が

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