グンマ帝国軍

 本日は晴天なり。東風強く、平均気温。兵たちの行軍に支障なし。五月の関東平野。サイタマ北東部から鳴り響く、キリキリという履帯の音。

 そして今、そのお天道様は西へ傾き始めている。


「暑い……風が全く通らねぇ!」

「こんな時ばっかは、歩兵の連中がけなりー羨ましい限りだ。いや、騎兵の方がもっといいか。」

「こんなあいさ隙間のねぇ車両にいちかって乗って。冷房の一つもありゃしねぇ。」

「それ言ったら歩兵の連中、『こっちは歩きっぱなしで大事だ大変』とか言うんだぜ。」


 全てが鋼鉄で模られた空間。その中に響くグンマ語の会話。大声を出さなければ、後ろからのエンジン音で全て掻き消される。

 地面に起伏が現れるたびに酷く揺れる車内は、彼らにとってはいつまでも慣れない事。晴天故に照り付ける太陽が、隙間風すら通らない車内をボイル状態にする。


「車長! さいたま市まであとどのくらいだ⁉」

「明朝には到達予定だ。いいか、戦闘前に十分な補給は無い。各自、次の大休止で英気を養っておけ!」

 

 照準器の隙間に体を通し、キューポラで周囲から見渡す車長。一度、乗り出した体を引っ込めて、足元にいる男へ言い放った。


「武藤。お前は敵との遭遇に備えて、砲弾を持っていろ。弾種は徹甲弾APだ。いつでも装填できるようにしろよ?」

「はい! ……ああチクショウ、狭いな!」


 砲手用の小さな座席に座り、車長の命令に返答する男。

グンマ帝国軍――武藤栄太郎。階級は伍長。

 座席をずらし、足場を確保。体を大きく屈折させ、旋回装置より下の弾薬庫から徹甲弾を引っ張り出す。――しかし、装填の指示が出たわけではない。重量約十キロの砲弾を抱えたまま、激しく揺れる車内で姿勢を維持し続けた。


『……第一大隊・一号車より各車へ。司令部より報告だ。』

「車長、中隊長から無線です。そちらへ繋ぎます。」

「うん。」


 エンジンの騒音に飛び入るように。無線手の下へノイズ混じりの通信が入る。その音声をすぐさま、車長のヘッドホンへ回した。


『偵察機によれば――我が軍団の進路五十キロ先に、連合軍の防御陣地を確認。塹壕、野砲で固められた野戦陣地だ。なお、守備する戦力は全体でおよそ一個連隊。その更に後方、一個師団が展開しているものと思われる。』


 それは、派遣した偵察機からの情報。

 要約すれば――彼らが目指すさいたま市付近に、敵一個師団によって防衛陣地が築かれているという事。トウキョウ軍の師団編成なら、総兵力一万五千から二万。サイタマ軍ならグンマ軍同様、一万から一万五千といったところ。単純な衝突なら、攻勢側のグンマ軍が不利となる。――それが、テンプレートな歩兵戦術なら。


『以上の敵部隊は、さいたま市防衛の時間稼ぎである可能性が高い。敵主力は依然、荒川後方に展開中である。――よって、軍団長殿より作戦指示だ。A軍集団麾下の第一装甲師団、第三機械化旅団、及び第五歩兵師団は、荒川ラインより突出した敵防衛線を攻撃せよ。』

「攻撃命令……大丈夫でしょうか。」

「静かに! 黙って聞いていろ……」


 命令の中に、自分が所属する部隊が含まれていた。口を開いた武藤伍長を静止し、ヘッドホンを深く耳に押し付ける車長。


『攻撃形態は奇襲が望ましいが……状況に合わせ、現場指揮官の裁量に任せる、とのことだ。各員、今次の攻撃は我に続いてもらう。――以上だ、各員の奮闘を祈る。』


 奮闘を祈る、というありきたりな締めの言葉。それを最後に、大隊長からの無線は終了した。


「なんだ、敵さんは荒川から身ぃ乗り出してんのか。予想とは少し違うな。」

「しっかし……てんがけいきなり予定変更かいな。戦いってのはつっかけわんな行き当たりばったりよ。」


 再び車内に活気が戻る。操縦手と機銃手がわいわいと文句を垂れ始める。……暑すぎて、文句なしではやっていられないのだ。

 車長もそれがわかっているから、部下にげきを飛ばせない。自身も士官制帽を取り、袖で汗を拭った。武藤伍長は砲弾を抱えているため、不可能。


「あーチクショウ! 早くグンマに帰って水沢うどんをすすりたい! それから草津温泉で、この汗を流したい……」

「おい、あんまり言うなよ! 余計にそうしたくなんべ!」


 操縦手がそういった瞬間、全員の喉が唾を飲み込んだ。揃いも揃って、うどんを啜る妄想をしてしまったのだ。あのつるつるで喉越しがよく、コシのある麺……それをつゆへ沈め、一気に頬張り……ゴクン。

 瞬間、誰しもが後悔した。この感覚を満たすために、どうしても本物を欲してしまう。狭苦しく汗臭い車内のおかげで、煩悩ぼんのうを振り払うのに一層苦労する。


「ハハハ――草津に来るときは、ぜひうちへ来てください。一家総出で歓迎しますよ。」

「あ、そうか。武藤は草津の出身だったか!」

「実家が飯屋を営んでいましてね。温泉客がじゃんじゃん立ち寄るんで、それなりに稼がせてもらってます……!」

「それじゃあ、今度の休暇にはお邪魔させてもらうかな! ……サイタマを倒せば、流石に帰れるはずだからな。」


 さいたま市まで、あと四十キロほど。

関東の大地に、いくつものエンジン音が鳴り響く。

 新鋭戦車〈アカギ〉を駆る彼らは――

グンマ帝国軍・第一装甲師団


 愛する故郷は、遥か後方へ。

「ここから先、グンマ。入るな危険」の看板が建てられた国境を越え、戦場へと向かう。

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