トウキョウ連邦軍

 和暦一九四〇年 五月


千代田区に設置された〈トウキョウ・サイタマ連合国軍〉の統合参謀本部に、以下の電文が届く。


『北部戦線・サイタマ戦区にて、グンマ帝国軍の攻勢を確認。深谷、加須方面での圧力激しく、本日中には〈荒川防衛ライン〉へ到達する模様。』



 日本列島に、四七の独立国家が割拠かっきょするこの時代。

 近年――急速に軍備拡張を推し進め、軍事的圧力から〈トチギ共和国〉を併合した〈グンマ帝国〉。この時、長年の宿敵であった〈サイタマ国〉、その同盟国である〈トウキョウ連邦〉に対し宣戦を布告したのである。


 〈グンマ帝国総統・安藤〉が率いる、誇り高きグンマ人たち。彼らが国民一体となって、〈紫の国旗〉と共に掲げる、民族の到達点があった。それは――


『海を手に入れる』


**********



「グンマの連中……真っ先に関東方面に銃口を向けやがったか。」

「政府の見解では、〈フクシマ〉や〈イバラキ〉をけん制ないし制圧して、背後の安全を確保してからの関東方面でしたが……役人はあてになりませんね。」


 トウキョウ陸軍・第二歩兵師団第十五歩兵連隊――矢口士郎やぐちしろう大尉。

グンマ軍侵攻の一報が入った後、矢口大尉率いる中隊は師団本体に追随し、さいたま市の作戦展開地区へ向かっていた。


「サイタマの政府機能は、さいたま市から所沢へ徐々に移転しつつあるようです。」

「そうか。ま、賢明な判断だな。……しかし、サイタマ政府だのさいたま市だの、あの国はややこしいんだよ。」

「文句言ったって仕方ないですよ。そういう国なんですから。」


 矢口大尉と共に現状確認を行う、同中隊所属の伊藤少尉。士官学校出のエリートであるが、まだまだ未熟者である。そんな彼と、彼が率いるその部下たちを、矢口大尉は年長兵ながらにうまく纏め上げていた。


「我々第二師団の任務は、さいたま市首都で防衛戦を展開し、遅滞戦術を行う事だ。後方でグンマ軍の進行を遅らせ、温存した主力による反攻作戦の足掛かりを守ること。」

「グンマ軍が戦線に張り付いて停滞した後、主力軍を川越方面から北部へ転進。そのままイバラキ国境まで進撃し、首都を堕とそうと躍起になっていたグンマ軍を包囲、殲滅する。」

「よく理解しているな、少尉。流石は士官学校主席のエリートだ。」


今年で三四歳の矢口大尉は、時々こうして若い部下に対して呟く。


「や、やめてくださいよ! そういう大尉だって、士官学校では十番以内に入っていたんじゃ……」

「バカ言え、時代が違うんだよ。俺の頃の十番以内なんて、貴様の代じゃ二十番くらいだぜ? 当時は軍人なんて需要が無かったからな。」

「あぁ、そうでした。当時はまだ、関東諸国が仲良かったんですよね。」

「表面上はな。……グンマがあんな風軍国主義になってからは、互いの鬱憤うっぷんが露呈したってだけの話よ。」


 それが今、戦争と言う形で暴発してしまった。

 戦場に赴く前に、このような政治話をするものではないと、矢口大尉は理解している。気の重くなるような実話で、兵の士気が下がるからだ。

 しかし、そうせずにはいられなかった。誰もかれも……軍人としての責務を果たせることを、戦争と言う行為自体を良しと思っていない。思わないことが正解である。皆、いきどおりを感じていた。


「関東平野は防衛線には適していない。現着したらすぐ、塹壕掘ってトーチカ造りだ。それまでに体力を残しておけ。」

「「「はい!」」」


 中隊一同、大尉の訓辞を胸に刻む。

 彼らを乗せたトラックと、師団の兵らを運ぶ車列。それらは着々と、北関東へと向かっていった。皆、小銃を握りしめて。故郷・トウキョウを振り返った。


**********


「グンマ軍の動向は?」

「現在、深谷及び加須方面からそれぞれ越境したグンマ軍は、利根川を突破して南下中。規模はそれぞれ〈一個軍集団〉。トチギからの義勇兵も多数含まれているとのことです。」

「トチギ兵とは、これまた面倒だな。戦後の外交にも影響を与えそうではあるが……仕方あるまい。しかし軍集団規模とは、グンマの連中はよくそこまでの兵力を用意できたものだ。」


 トウキョウ北方方面軍

麾下・第一軍司令官――北見八助きたみはちすけ大将。

副官より報告されるその現状は、数十万のトウキョウ軍将兵を預かる北見大将にとって酷な物であった。

 所沢に設置された北方方面軍司令部は、嵐の前の静けさなど感じさせない。中央政府からの政治的背景を意識した文句や、各師団の移動配置等により、参謀将校たちが慌ただしく駆けまわっている。通信網の調整や、補給物資等の輸送先などもこれに該当し、各師団の補給中隊将校が往来していた。


「深谷方面の敵は、本日中には荒川まで到達するとの見込みだ。加須方面も、二日もあれば首都へやってくるだろう。……サイタマ政府には悪いが、主要都市のほとんどは放棄せざるを得ないな。」


 既に政府機能を所沢へ移転したサイタマ。

その背中に対して、トウキョウ軍人は皆同じ事を考える。


「だがそれは、敵が我々よりも補給を受けづらい状態に陥ることを指す。充足率で勝ることは、戦略において非常に重要だ。くれぐれも、前線の将兵たちに弾薬が届かぬことのないように。」


 トウキョウ軍の戦略は防衛戦における常套句じょうとうく。敵軍を内地まで引き付け、自軍の優位体制を築いて戦う事である。

 トウキョウ軍の主力は歩兵師団。用意できた火砲門数も十分ではない。よって、数で勝るグンマ軍に対して平野部で戦うことは避けるべき――これが基本戦略。そのために彼らは、二・五キロもの幅を有する荒川の後方に防御陣地を築いていた。

 グンマ軍は必然的に、この荒川を突破せねばならない。対岸にトウキョウ・サイタマ連合軍が待ち受けるこの障害を渡り切るのは、攻撃役であるグンマ軍兵士にとっては困難でしかないはず。そのはずなのだ。

 問題は――その内情である。


「北見閣下。たった今、前線の三個師団より入電が。」

「申せ。」

「――グンマ軍到達まで、防御陣地は完成せず……とのことです。」


 副官が伝えたその情報は、まさにトウキョウ軍の内情が露呈したものであった。

 わかりきっていたことであったはず。グンマによる侵攻が始まり、その日に防御態勢を固めるなど到底無理だという事を。せいぜい、各師団を作戦計画の配置へ送り込めればいい所だ。――そこからさらに塹壕を掘り、機関銃を据え付け、敵の襲撃に備えろだと? ふざけるな――と、北見大将のみならず、トウキョウ陸軍の参謀たち皆が叫びたかったものだ。


「バカな政治家どもめ……だから軍部はあれほど進言したのだ! 開戦の危機が迫っているのなら、あらかじめ強固な防衛体制をサイタマに築いておくべきだろうと! サイタマ陸軍のみではグンマに太刀打ちできない、だからトウキョウが同盟国として共同戦線を張るというのに……!」


 そして結果的に、トウキョウ将兵らに不十分な状態での戦闘を強いることとなるのだと。

 戦争など目に見えていた。なぜ、政府は軍事的合理性を追求しなかったのか。――それは、サイタマが独立国家であるから。

 サイタマは以前から、近隣諸国との共存路線を模索し続けた。理由は明白――内陸国であるから。海洋の利権を持つ国家を、敵に回さぬように。

緩衝国かんしょうこくが故の、定まらない足場。トウキョウ軍としては、あらかじめサイタマ国内に対グンマ要塞か、それに匹敵する物を用意しておきたかったのだ。しかし、トウキョウ連邦の主導でそのようなことを行なえば、かえってグンマを――グンマに接近する〈チバ王国〉にさえ油を注ぐ結果になりかねなかった。

 サイタマ政府がどっちつかずである限り、それは内政干渉にもなりかねない。それは、トウキョウ連邦による〈正義の建前〉を崩す事となる。


 ――ふと、司令部に追加の一報が届く。


「報告します! 現在、グンマ軍主力は深谷市を越えて熊谷市へ侵入! 東部戦域でも〈東北自動車道〉へ到達した模様です!」


 軍事的合理性の為、戦力を残さず切り捨てた地名が叫ばれる。

 相対する敵のいない国境隣接の市に、グンマ軍は浸透を続けている。報告の中には、〈大型幹線道路〉の名も。


「予定通り、さいたま市に第一軍を展開させよ! 東北自動車道を寸断するんだ!」

「その点は滞りなく、現地のサイタマ軍が実行しております。」

「それから――〈関越自動車道〉はどうなっている?」

「現在、荒川横断地点での封鎖作戦を決行中です。」

「なんとしてでも守り通せ。あそこを取られたら、一気に背後へ回られるぞ。」


 事態は流動的に、止まることなく進み続ける。

それが、戦争のことわり


**********


「急げ! 敵さんが来る前に陣地を構築するんだ!」

「ったく! お偉方は無茶言いやがる……」

「死にたくなかったら手を動かせ、一等兵! 二度と秋葉に行けなくてもいいのか⁉」


 ― さいたま市防衛線 トウキョウ第二歩兵師団 ―

 本師団が所属する第一軍は、荒川防衛ラインよりしばし離れた地点に配置されている。ただひたすら壕を掘り続けて、資材の搬入を急ぐのみ。現場の事などお構いなし、役人どもが創り上げたクソのような状況でも、悪態をついている暇はないのだ。彼らが掘り進める穴は、彼ら自身の身を守る為にあるのだから。飛び交う銃弾から、降り注ぐ砲弾から。


「砲撃陣地、整備完了! ――三八さんはち式野砲を搬入します!」

鉄条網てつじょうもう敷設ふせつ、急げよ! それがあるだけでだいぶ違うからよ!」


 簡易的な掩体壕が完成すれば、そこに機関銃を。砲兵用の穴を掘り終えれば、野砲を押し込む。

 縦深防御だのなんだの、手間のかかる作業はしない。兵士を無駄死にさせないだけの体制が整えば、それでいい。


「矢口大尉殿。大隊長殿より連絡です。」

「……わかった、」


 中隊長として、若きトウキョウの新兵らを抱える矢口大尉。

不安と恐怖、焦りが目立つ兵たちを横目に、延々と伸ばされた電話線と繋がる受話器を受け取った。


「……こちら第一工兵中隊、矢口大尉。」

『こちら大隊長。師団長より下令だ。」


 陣地の奥も奥。後方連絡線に繋がる師団司令部より。雑音が酷い通信機器からの声を聞き洩らさぬよう、苛立ちを隠しながら耳を傾ける。


『我が師団の位置関係により、接敵は深夜から明朝にかけてと思われる。各中隊長の判断で兵らに休息を取らせ、これに備えよ。――以上だ。』

「了解しました……切りのいい所で休めという事ですね?」

『そう言う事だ。……無事でな、大尉。』


 その言葉を最後に、通信を遮断した。

 しばしの沈黙――その後に、ため息。五月の温かい空気が滲ませる汗を、軍服の袖でぬぐった。


「貴様ら! ……飯にしようか。大隊炊事班の状況はどうなっている?」

「人数分の米は炊けているようですね。確かメニューは……味噌汁に、トウキョウ湾魚港の干物。お供は〈ごはんだよ!〉ですね。」


 付近にいた伊藤少尉が、把握していた献立を語り出す。

若いだけあって、食への執着心は矢口大尉よりも強い。

 ふと、釣られて下士官らが、


「〈ごはんだよ!〉か、懐かしいな!」

「魚の干物も、どこの店から仕入れてるかだよな……!」

「なに、俺らは軍隊なんだ。そんなに贅沢はできまい。」


 陣地構築の手を休め、空腹の煩悩ぼんのうを露わにし始めるのだ。

 上空から見れば、アリの巣状に構築された塹壕。その土に、若いトウキョウ兵らの汗水が染み込む。それを補充するため、塩分の多い兵糧ひょうろうが彼らを待っていた。子供の頃によく食べた、ご飯のお供を添えて。

 着実にグンマ軍が迫っている、サイタマの地。快晴日数が日本トップクラスである国土の青空に、炊かれた米の湯気が立ち上った。


**********


 ――探照灯が、さいたま市のさらに北を照らす。宵闇の塹壕内に見えるのは、下士官が灯した煙草の僅かな火だけ。銃後の市街は住民の疎開が行われたために、生活感だけをそのままに光だけが消える。供給される電力は、前線部隊の通信機器用のみ。


「流石に夜となると、冷えますね……」

「あぁ……有楽町で仲間と呑みてぇなあ。酒飲んで温まって、いい女と遊びたいもんだ。」

「自分は月島のもんじゃ焼きが食べたいです。……あと、大尉殿。あまりそういう発言をするとと、また『税金泥棒』って言われますよ。」

「今だけは嫌みを言われるこたぁねえさ。……俺らが税金泥棒でいられる方が、よっぽどいいがな。」


 三十路で、尚且つ独身である矢口大尉。もはや開き直った彼は、いつもお気に入りキャバ嬢の話をするのだ。「独り身の方が気楽だ」という考えで。

 女と言えば――ふと、伊藤少尉の方を見て、問うた。


「そういえば少尉、嫁さんは元気か? 息子はいくつになったのよ。」

「妻は最近、落ち着いてきました。息子は二歳に……」

「かー! 軍務に忠実ながら、しっかり旦那と父親をしてるわけで。おまけに二人目が生まれるとなると……嫁さんは愛されて、幸せもんだな。」

「止してくださいよ! ……妻には苦労かけていますし、こんな大事な時期に一緒にいられないなんて。」


 トウキョウに、戦線の遥か後方で待っている、愛すべき家族。良妻と、幼い息子と……そして、まだ会ったこともない新しい生命。伊藤少尉は、小銃を握りしめて想い返した。


「……早く、帰りたいです。」

「――そうだな。その為に、まずはこの地を守らにゃならん。……一か月もすれば、戦争は終わるだろう。だからそれまで戦い抜いて、生き残って――グンマ人と笑い合えるようになるまで。」


 瞬間――伊藤少尉のヘルメットを叩いて、頭を揺らして。彼の土で汚れた顔を覗いて、矢口大尉は言った。


「だからよ……絶対に死ぬんじゃねえぞ。」

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