切っても切れない縁もある

 最後に、母の温もりを感じたのは、二歳の時だ。

 母の口癖は「わっち」だった。


 父が、唯一心を許した女性だと聞いている

――そんな母も、シアンが3歳の誕生日を迎える前に、帰らぬ人になってしまったのだが。

 もし、母がまだ存命なら、父と縁を切らずに済んだのだろうか。


「お待ち下さい。シアン様がもし旅立たれる際にはをと。マオから」


 屋敷を出る直前、見慣れないメイドが手荷物を届けてくれた。

 美しい金糸の髪を、頭の後ろで編んだ、ハーフエルフ。

 マオとは親しい仲だったという。

 シアンは礼を言って、マオの置き土産を受け取った。


「重てっ、何が……入ってるの?」


「おそらくは、旅における必需品かと」


 勘当という形ではあるけれど、何というか――マオに門出を祝って貰ったようでちょっぴり照れくさい。

 靄のかかっていた胸の内が、少し晴れたような気がした。


「わざわざ届けてくれてありがとう。しっかし重いな……これ。まあ、マオの愛情の重さと、取れなくもないけど」


「長旅に愛の重さは不要でしょう。これをお受け取り下さい」


 メイドは愛のくだりを真顔で一蹴すると、エプロンスカートの衣嚢から小瓶を取り出し、手のひらの上に置いた。


「これは?」


「『ひと瓶の大蔵ストレージ・ボトル』。どんなものでも収納できる魔法の小瓶です。蓋を外すと収納したいものを収納することができます。収納物が飛び出さないよう、蓋はしっかり閉めるように」


「そのちっこい小瓶に、このでっかいカバンをしまえるの?」


「ええ」


「そんな高価そうなもの、おいそれと貰えないよ」


「私には不要なものですので」


「ふーん。じゃあ遠慮なく」


 シアンはにやっと笑って、メイドから小瓶を受け取った。

 年下の男の子が中々に腹立たしい顔をしていたので、メイドは、やっぱりあげるのやめようかな、と一瞬錯綜した。


(でも、なんだろ。マオに聞いてた通り、シアン様ってこう……)


 絹のようになめらかな青髪と、天使もかくやというほどの愛らしい相貌。お人形さんという表現が似つかわしいシアンの容姿は、どことなく琴線に触れる。


 小柄で、まだ幼いながら、将来有望さを感じさせる体躯。

 その幼気さが、背徳的な情欲を呼び覚ましそうで危うい。


 無邪気に笑う姿など、どこか妖艶さを醸している。

 こんな子供を相手にするなんて、自分はどうかしてる――そう思いつつも、つい目を奪われてしまう。


(……ああダメダメ、ヘタにちょっかいかけたら、マオにどやされそうだし)


 メイドはその視線をごまかすために、こほんと咳払いをした。


「蓋を取るんだったな」

 

 シアンはひと瓶の大蔵ストレージ・ボトルの蓋をさっそく外してみる。すると、携行カバンがみるみる小さくなり、小瓶の中に吸い込まれた。


 それはまるで手品のようだ。


「おったまげた」


 シアンは目を丸くして、感動の声を上げた。


「シアン様。人の世には、切っても切れない縁が御座います。もしどこかでマオと再会した折には、夜番のミロが約束を守ったとお伝えください」

 

 そう言って、ミロと名乗るメイドは深々とお辞儀した。


「必ず、伝える。ありがとうミロさん」


「私は一介のメイドに過ぎません、ミロで結構です」


「ワチも一介のに過ぎないよ。それじゃ」


 シアンは小瓶を腰ベルトに差し込み、脇差しの位置を整え、踵を返す。


 ――行ってらっしゃいませシアン様、と。

 ミロは一貫して使用人らしく振る舞った。


 シアンはふっと口許を緩ませると、両扉を開けて屋敷を後にした。神官服のような白い着物をパタパタとはためかせながら。

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