親子の決別

 -7年目-

 シアンは数年の時を経て、久方ぶりに父の書斎を訪ねた。

 早朝だった。


「視界に入ってくるな、と、言い付けたはずだが。言葉の意味が分からなかったのか」


「父上がそう仰るから、ワチの身長は遠慮して伸びちゃくれないんです」


「遺伝は悪くないはずなのだが……あーいや、で、用はなんだ?」


「ワチに、最初で最後のチャンスを下さい。父上に見て頂きたい、剣術が御座います」


 臆さず、そうお願いした。

 目は逸らさなかった。というより身長差がありすぎて、目を合わせるのがしんどかった。


 父は、ただ無言で頷いた。


 広々とした庭の中心――

 使用人や食客、妹のネイビーが、遠巻きに、見守る中、シアンはすぅと息を吐き得物を構える。

 アズールは値踏みをするような眼差しを、実の息子に向けていた。これまでのシアンの奇行を考えれば、当然、見定めたくもなるだろう。


「――では参ります、父上」


 シアンは抜刀の構えを取り、腰を落とした。


 ひかりのどけき。

 緑葉の露をかきわけながら、蝸牛が緩やかに進んでいく。

 静けさとまばゆさが、ぐるりと、混ざりあう、黄金比の朝。

 シアンは自然な動作で、空気と一体化した。


 ――チク、タク。

 秒針も、星も、歯車も、世界も。回る。


 誰かがその真実に気が付かなければ、この世に時間など存在しなかったはずだ。

 寿命時間を明確に意識したからこそ、人々は激情にかられ、それに抗うことを決意した。


 ――回る、回る。

 目まぐるしく変化する。

 立ち止まれば終わる。

 そんな不安を、取り除きたいと願った。


 祈って。

 祈って。

 祷った


 できそこないと肉親になじられながら。

 鯉口を切り、柄を握って、抜刀する。

 誰よりも速く何者も追いつけないその先へ。

 忍耐と、慣れの、その先へ。


 利き手のマメを、何千、何万回と潰しながら、少年はただ自分を信じて祈り続けた。


 そして現在。

 若干、十五歳。


 少年シアン=フォールの祈刀キトウは、時を遡った。

 は、限りなくゼロに近い――0.00001秒以下。

 

 対象を斬ったという〝事象〟だけを過去に置いてくる神速の居合い。


 ついに完成した。

 ついに成し遂げた。


 回り出す。

 時が、世界が。


「やりました、やりましたよ父上!」


「……」


 確かな、手応えを感じて、シアンは顔を綻ばせる。

 だが、


「待て。……何を、した?」


 父は目を丸くしていた。

 そんな父を見上げながら、シアンもまた目を丸くする。


「いや、質問を違えた……お前はまだ、何も、成していないのだから。にも関わらず、なぜ、だ? なにゆえそんな風に悦に浸っておるのだ……?」


「父上も人が悪い。まさか、ワチの華麗な剣術を見逃したのですか? 今お見せしたものが、ワチの全身全霊です。これ以上を望まれるのはごうつくばりというもの。まーでも、仕方ないですね。もう一度見たいと仰るなら」


 シアンは続け様に祈刀を披露する。

 父の反応が薄いので、もう二、三、ダメ押しの抜刀を繰り出すも――、


「け――おって」


「え?」


「ふざ、け、よっッ、げっ、げほっ、ふざっ、ふざっ、ふざけるなああああああああッ!」


「おわっ」


 アズールは激昂し、血走った眼で息子を睨みつけた。

 声を張り上げすぎて咳き込むほどの――鬼気迫る剣幕に、当然の如く、シアンは二の句を継げない。


 どうしてそこまで怒っていらっしゃるのか、さっぱりわからないからだ。


「シ、アン、ききき、貴様は、どれだけ私をコケにすれば気が済むのだ! 貴様の、貴様の、剣術とは、その棒立ちのことかッ! このでくのぼうめ、が……うぐぐ」


 棒立ち、でくのぼう?

 この人は何を言ってるんだ。


「えーっと……」


 確かに、虚空を斬った。

 全力でカタナを振り抜き、納刀した。


 剣聖である父が、を見逃すはずもない。

 

「ぁ」

 

 イメージの枠外。

 もしも。

 もしも、だ。

 父の求める剣が『最速』の剣ではなく、『最良』の剣だとすれば。

 

 少し考えれば、気付けたことだ。

 見落としていた。

 父は一目で、祈刀キトウの欠点を見破ったのだ。


 この技を当てるには「対象」を刃の届く位置に誘導する必要がある。

 かいつまむと、その性質はカウンターだ。極論、接近さえしなければ攻略法はいくらでもある。


 火薬による爆撃。

 精霊矢や魔弾といった遠距離攻撃。

 戦闘中に、【効果範囲】の広い魔法で、辺り一帯を吹き飛ばされる――なんてこともあり得るかもしれない。


 シアンは更にイメージを膨らませる。

 近接戦闘に於いての、穴、鬼門、手抜かり。

 もしも相手が、鋼鉄もしくはミスリル、あるいはアダマンタイトのプレートアーマーに覆われた、完全武装の重騎士だったら?


 ……答えは明白だった。

 そもそもこの技は成立しない。


 斬撃の軌道は直線になりやすいし、鎧にぶつかって威力を削がれてしまうだろう。

 仮に上手くいったとしても、一撃必殺は望めない。

 ならばいっそ、鎧ごと斬ればいい――と行き着くところまで思考が辿り着いてようやく、シアンは父の真意に思い至った。


 今のシアンに、そのもしもを実現する術はない。

 どれだけ速い斬撃を繰り出そうとも、弾かれ、間合いを詰められるのが関の山だろう。


 そして一撃で葬られる。

 それはかつて、幼き少年が憧れた父の戦闘スタイルだ。

 神官剣士と重騎士の、融合。

 豪快で、強靭で、大力無双の剣術。

 ちんちくりんのシアンには、ついぞ真似できなかった型。

 

 父はきっとこう言いたいのだろう。

 圧倒的な力の前ではちょこざいな剣技など無意味に等しい、と。


 でくのぼう。

 木偶人形が棒を持っても何の役にも立たない――という、意。

 

「父……う」


「今日限りだ、今日、限りで、貴様とは親子の縁を切る……。なぜだかわかるかシアン、貴様は、私に最初で最後のチャンスをください、と、そう抜かしたからだ。自分で自分の首を絞めたものには、当然の報いが下る!

 貴様も男であるならば、二言だけは吐くな。大切なことだ、あえて二度言おう。男に、二言は、許されぬ!」


(あれ? 父上も同じことを仰ってないか……?)


「でていけ……シアン。金輪際、その女々しい顔を、私の前に晒すな……いいな、絶対に晒すな! 金輪際、貴様がフォールの姓を名乗ることは許さん!」


「ぁ、ぅ」


 何かが切れた。

 ぷつん、と。

 心の奥底で何かが切れる音がした――と同時に、胸が痛くなった。息が苦しくなる。目の前が真っ暗になる。


 視界が滲んでいく。


 父も、泣きそうな眼をしていた。

 あの厳格な父が、目尻に涙を浮かべている。


 少しでも、息子を信じようとした……自分が、情けないと言わんばかりに。


 今さら、何を、どう、弁明しろというのだろうか。父から剣術を、ろくすっぽう学ぼうともせず、反抗ばかりしてきたシアンに、この決定を非難する資格はない。


「今まで、お世話になりました。荷物をまとめて家を――」


 チラッ、と父の顔色を窺う。


「出ます」


 その日。

 後の大剣聖シアン=フォールは、勘当された。


 そして、その日。

 革新暦七二六年。コウネリの月、水霊の日。


 西の王国アーラグリシャの剣聖――アズール=フォールは、歴史的瞬間に立ち会いながらも、を見逃した。

 誰もが棒立ちと思ったその一瞬の最中、少年、シアンは、確かに鞘から刀身を


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